マツのみらい商店

大人も子供も楽しく学びあえる場作り=21世紀の学びを日々研究。日本で唯一の北欧流ビジネスデザインアカデミアLeare Academyの1期生。真剣な課題を面白く、面白い課題を真剣に。 年中夢求で営業中です。

教育で自由に感動を作り出すことはできるか問題

 

【本日の目次】

 

 

①憧れとロマンはどこからやってくるのか?

京都大学特別教授の本庶佑さんがノーベル医学生理学賞を受賞しましたね。

京都大学強いなぁ…と思うワケです。

山中教授とかもそうですよね。

でもボクは「ノーベル賞」と聞くと、いつもこの人を思い出します。

どの先生もそうなんでしょうけど、この人の「熱量」が好きなんです。

あ、ちなみに何をやった方かは詳しく知りません(笑)

でも、とにかく印象に残っています。

確か何かのドキュメンタリー番組で彼が喋ったことだか、

テロップに出た名言だかが妙に記憶に残っているのです。

憧れて近づく  ロマンを持って第1歩

 カッコいいなぁ…と。決してノーベル賞を狙ったわけではない。

単純に、圧倒的に好きなだけ。熱量が違う。

「結果的に」道が開いていった…みたいな。

憧れとかロマンって、どのタイミングでどこからやってくるのでしょう?

もちろん人によって様々ですが、ボクはこう考えています。

感動の後、対象への「未知感」に触れた時かなぁとおもうのです。

人に対する憧れって、圧倒的に「自分にないもの」を持っている人ですよね?

ものや事象に対するロマンって、追求し解明したいという欲求に満ちていませんか?

そしてそれらは、必ず驚きや感動の後にやってくるんだと思うのです。 

 

②感動はどこからやってくるのか?

じゃあ感動ってどこからやってくるのでしょう?

この感動にも様々な種類がある気がしますが、

特に憧れやロマンに繋がるような強い衝撃と共に訪れる感動とか。

上の二つのツイート、驚きとか想定外ってあると思うんですよね。

ボクはアリババのCEOが「先生やりたい」なんて言うのは

ちょっと想定外でした。日本では先生って、少なくとも皆がいい目で見ない。

ボクは教育関係の業界で働いていますし、

ちびっ子達とたくさん触れ合う機会があります。

もちろん学校の先生方とお話をすることも多くありますが、

誰もが先生をよく思うか?答えはNOです。まあブラックとも言われますからね。

 

で、ZOZOの新聞広告。これ、社長はマジで知らされなかったらしいですね。

おそらく前澤社長も想定外であり、少なからず感動があったのでは?

「まあ多分これくらいかな?」と思っているものの上をいく。

期待を超えて、さらに上をいく。

そんな時に「感動」や「驚き」は生まれてくる、といいますよね。

 

③教育は「感動と憧れ」を設計できるのか?

でも、単純に想定外にいいことをやれば良いのか?

予想される期待をさらに超えていけば良いのか?

予定調和を壊し続けることでしか生まれないものが感動なのか?

ちょっと違和感もあるんですよね。ただのパワーゲームみたいになりそうで。

 

サイボウズという会社に「人事部感動課」という部署があるの、ご存知ですか?

www.1101.com

サイボウズの社長である青野さんの講演を聞きにいったことがありますが、

まず彼自身がとても会社とかチームのことを考えているんですよね。

だからこそこのような風変わりな部署ができたのかも。

 

で、この感動かの福西さんの話を読んでみると、感動の秘訣が書いてあります。

めっちゃ「人」にハマっているんですよね。

そしてその人の趣味嗜好にも興味を持ち、自分も趣味にハマってみる。

徹底しています。それこそ「感動させよう」という情熱が違う。

まあだんだん社内でもハードル上がっているので大変そうですけど(笑)

 

ボク、なるべくちびっ子達にも早いうちに感動や驚き、

そして憧れやロマンを持つキッカケだけはあげたいなぁ…って思うのです。

最近の教育現場や学校は、ちょっと違う風になっている感も否めません。

 「これだけ恵まれた時代、夢を持たなければいけない!」

 「君たちは何となく大人になるのではなく、『何者か』になろう!」

うん。こんな言葉には全くワクワクがないですよね。

 そうじゃなくて、もっと子供達にわかりやすく価値のあるものを

うまく見せる環境は作れないものかなぁ…って思うんです。

 

人はいつ憧れやロマンに出会うかわかりませんし、

それが大人になってからで遅いとも限りませんけどね。

でも、やっぱり若いうちであることに越したことはないし

ちびっ子のうちに憧れやロマンを持てると幸せですよね。

 

この問いに明確な答えはないのですけれども。

今、だんだんとボクの中で答えに近づきつつあること。

それは以下のようなことかなぁ、と。

 ・先生も「この子を喜ばせてあげよう!」に情熱があること

 ・先生自身が高いコミットメントを持つ趣味とか学びがあること

 ・生徒自身や生徒の趣味にどっぷりハマってみること

 ・先生自身が五感を研ぎ澄ましておくこと

 ・先生は先生であることにどっぷりとハマること

  (外野とか邪念に気を散らされないようにする)

 

純粋に教えるのが大好きな先生って、ちびっ子達にもその熱は伝わって

で「あぁ、ボクも先生になりたい!」ってありますよね。

あと、先生とめっちゃ楽しく話し合ったトピックで道が開けるとか。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

まだまだ探求したい問いなのですが、

何となく結論が出つつもあるので書いてみました。

ちびっ子達にハマってみる、自分の大好きにハマっている。

そんな人が先生をやれたら、教育を通じて「感動」が生まれる。

そしてそれはロマンや憧れに変わっていく。

もっと世界は明るくなる!

いいですねぇ。まずはちびっ子達と話をして

「教えてあげるよ?」ではなく「教えてよ!」から大人が始めてみては?

 

ではでは!

未来の学校に必要な3つのこと

 

【本日の目次】

 

 

①学ぶ価値=将来への投資ならば学校の価値は?

藤沢数希さんのツイートはかなりエッジが効いていますが

これ、至極ごもっともだと思いませんか?

確かに最近、大学も学部も増えすぎてという理由なのか

はたまた少子化によるパイの取り合いのせいなのか

とにかく学校の「宣伝文句」がどこもかしこも似ています。

そもそも大人たちが作る宣伝文句も似ているからなのかな…

www.itmedia.co.jp

まあ最近の学校だと、中学校も高校も、ほとんどどこもかしこも

 ・STEM(最近はSTEAM)教育

 ・ITを駆使した〇〇

 ・創造性を育む反転学習

 ・英語教育&プログラミング教育

 ・ディスカッションを取り入れたインタラクティブな授業

まあだいたいこんな言葉が並びます。

これらが大事ではない、と言っているわけではありません。

でも「とりあえず流行りに乗っておけ!」

みたいな業界の雰囲気はイヤ。

意味わからないけれども変わっちゃったよ!みたいな業界の方も多いのでは?

ちびっ子たちに実情を聞くと、よーくわかります。

そうすると藤沢数希さんがおっしゃる通り「謳い文句」

それ自体には意味ないんじゃねーの?ってなるわけです。

もう少しいうと、最近流行りの「大学行くべきか論争」とか、

その先の「企業か起業か?」みたいな問いかけにも繋がると思っています。

学ぶ価値は「将来への投資」という方は多いはず。

そうすると合格実績はもちろん、未来はそれに加えて

 ・在学中にどれくらい稼いだ実績がある学生がいるか?

 ・学生起業した人数

 ・学術論文の本数(世界ランキングにも影響しますしね)

 ・リカレント教育の整備と実績

こういう今まではあまり表に出なかった、そしてわかりやすく数値化できる

こういう指標を「学校で学ぶ価値」として出していく必要がありますね。

 

②「学校=閉じられた世界」という大問題

そもそも一般的な学校の最大も問題。

それは学校というコミュニティが先生も生徒も「閉じられている」ということ。

 ・遅々として進まない統一カリキュラムと教科書

 ・「みんなもやっているでしょ?」という謎の説得方法

 ・通知表で算数5を取っても「でも社会が3なのよね」という指摘

 ・公立の先生はそもそもお金稼いだことない人ばかり

 ・個性的であることは褒められても結局評価はされない

 ・進路指導や将来の話はかなり少ない(多分できない人が多数)

もちろん学校や地域による違いがるのはわかります。

が、実態はほとんど上記のようなことがあり

「あぁ!わかる!」っていう人も多いはず。

社会・お金・課題・対人などの点で外に開かれていない。

そしてそれ自体は問題として捉えられない。

なんだか「進撃の巨人」の巨大な壁があるみたいなイメージですよね。。

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この問題を解決して、価値のあるコミュニティに変えていく、

すなわち「未来の学校」を作るために必要なことって3つあるかなって思います。

以下、それを書いていきますね。

 

③必要なこと其の壱:カリキュラムを無くす

業界の方は受け入れることが難しい、一番最初にして最大のポイント。

ボクがそんな風に思っているのが「カリキュラム」

これは結構重たい問題だと思います。

そもそもの学問、そして塾は「必要と思った事柄」を、

「必要と思っている人」が学ぶことから始まりました。

だから学ぶことの本質を考えたら

「同じものを」「同じ時期に」「みんなが同時に」というのは変なのです。

みんなが同じことを同じようにやろうとするから

同調圧力・変な比較が生まれて、いらない承認欲求も生まれる。

ボクはそう思っています。ならばそれは不要です。

 

小学校・中学校からいきなり大学の単位制のようにしておく。

最初は当然戸惑いますし、親バイアスも凄いことでしょう(笑)

でも徐々にちびっ子たちも気づいて、自分で取捨選択できれば良いのです。

先生たちも学ばせたいことを、魅力的な案内で生徒に見せる。

そして「この授業で何が学べるか?」「どんなメリットがあるか?」

これをきちんとちびっ子たちにわかるように提示する。

で、学んだ単元とか科目をスコア化して持っておく。

これを受験などに適応させていけば良いと思います。

 

④必要なこと其の弐:お金かそれに変わるスコアリングを成績に反映

これも大切なことで、でも難しいかな…って思うのがこの部分。

社会に出た大人の方々、結構な人数で

「社会で直接役立つこと」「お金とか社会の仕組み」

こういったことをきちんと10代で勉強させて欲しかったという人がいます。

確かに、冷静に考えて「学ぶこと=将来の投資」だとすれば

お金とか、社会とか、産業構造とかをもっとリアルに取り上げても良いはず。

それも理論から入るよりも体験的な学びから入って

だってその方が人は学びますから。

赤ちゃんが言葉を学ぶとき、文法とか理論からは入りませんよね?

学生の頃は理論ばかりで実践がない、でも社会に出ると急に

成果結果を要求される。ならば、やはり早い段階で

「お金を稼ぐ仕組み」「投資の仕組み」「課題発見の方法」などは

実践やワークショップなどを通じて学びあった方が断然お得です。

 

…ただ、いかんせん日本の教育で「お金の話」はタブーなことが多い。

パッといってサッと変わる気配がない。

ちびっ子達に提供して、ちびっ子達がピンと来なければ辞めればいい。

それだけなんですけどね…

本当はお金じゃなくても良いんでしょうけれども、

今の社会はお金という「共通のスコアリング」がわかりやすいのでしょうね。

実際ボクも仕事で新しい義業とかコンテンツ展開に関わると

当たり前ですが「これは◯億円くらいのインパクトがあるミッションだ!」

とか言われることが多いですし、捉え方次第ですが悪いこととは思いません。

 

現実的にお金を扱うのが無理ならば、ポイントとかトークンのようなもの

トークンがわからん!っていう人はググってみましょう!)

を代わりに使ってでも「社会・地域での貢献がわかりやすいスコアリング」

これは子供のうちにしっかりと与えておくことは大きな意味があります。

そういえば最初の頃、こんな記事も書きました。

mirai-syouten.hatenablog.com

 

⑤必要なこと其の参:不足感・怒り・喜び・ワクワク…「エモさ」

最後にこちら。

起業する人の「熱量の源」ってこれだと思うんですね。

あとイノベーションは「不自由さ」とか「強い飢えや必要性」から起こるのかな、と。

それ以外だと本人がモーレツに好きなものが社会に認められる、みたいな。

マルッとまとめて「エモい」という感性をどう学校という環境で受容し

数多くの機会を創ろうとするか?

これは画一的な中から生まれることはまずありません。

「ドライブがかかる」という状態をいかに作るか?

「其の壱」のカリキュラムを作らない、はここにも関係しています。

計算して偶然の出会いを作る。考える余白を作る。そして感情を大切にする。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

最後の「エモさ」これは簡単には行きませんよね。

あえて簡単に仕組み化するならば大切なことは2つ。

 ①大人は全て「先生」になる可能性があることを認める

 ②オンライン・SNSで外に先生を求めていく

これです。これにより未来の学校は始まります。

カリッキュラムがないからこそ「?」で一杯になる。迷う。

そして純粋な興味や感情の振れ幅で向き合える。

身の回りの課題や面白いと思えることに向き合える。

自分の知らない世界に想いを馳せるだけでなく、見て聞いて話し合える。

そんなんハイブリッドな学習環境ができたら、

色んなものが一気に動き出すのは間違いない。

「一人一人の力は小さいから…」という言葉が単なる言い訳か

閉ざされた世界で教え込まれたまやかしであった、と気づくはずです。

そうなったら面白いですねぇ♪

 

ではでは!

生きる力 〜選挙は若者・飢餓感・必要性で変えよう

 

そういえば来年、いよいよ消費税がまた増税されますね。

ちきりんさんのツイートはいつも学ぶことが多いです。

そして改めて感じる政治・選挙の構造的な課題と財政問題

今回はこの辺りと教育について少し考えていきましょう!

 

【本日の目次】

 

 

 

①選挙の「1票の格差」って世代論で考えないと…

日本の借金っておいくらくらいでしょう?

よく社会の問題とかでも出てくることが多い数字です。

今や1088兆円。ほんの2−3年前は「このままでは1000兆円を超えてしまう!」

こんな風に危機(?)が叫ばれていました。

そしてついに1000兆円を超えてしまったわけです。

日本国民一人当たりがいきなり借金を背負っている、みたいに言われることもあります。

www.jiji.com

まあ一方でこんな記事もあったりするのですよね…

gendai.ismedia.jp

 

日本の赤字とか国債については色々は切り口で議論されています。

「何が正しいのか?」という答え探し、犯人探しをするのも良いですが

ここでそれはしません。だってぶっちゃけ大した意味がないから。今は。

でも、確実に言えることは

「財政政策と国民の信頼関係性構築は歪んでいる」ってことと

「日本国債の特異性から見ても今は決して平時ではない」ってことですよね。

消費税・社会保障・その他政治的公約。

これらを各党各人が市民に訴え、そして選挙があるわけですが

ここに構造的歪みがあるのは多くの人が指摘をしています。

それは選挙における「1票の格差」の問題。

これがとてもわかりやすいですね。

www.kousotu.com

ここにもあるように「1票の格差」とは選挙区による偏りが生む問題。

でもこれはもはや課題の本質ではありませんよね?

今、本当の問題はシルバーマジョリティーとでも言いましょうか

高齢者と若者の選挙における数的影響力の差。

選挙も勝つためにやるわけですから多数ゾーンを狙いますよね。

成人年齢の引き下げもわかります。

若者の政治離れを憂う人もいるでしょう。

でも、それは課題の本質ではない気がしています。

今目の前にある、あるいは向こう10年で起こりえる想定リスクは

世代を越えて、もっとフラットに語り合い意見交換をしていく。

そしてそれらは、いずれは「青年の主張」みたいなイベントではなく

リアルな政治の場にもきちんとバランスよく影響力を持てるようにせねばなりません。

ボクはそれを痛切に感じます。

なぜって?仕事柄たくさんの中高生、10代と接することがあるからです。

既に無理ゲー感満載。

若者の「どうせ無理」を作っているのは上の世代である気がしてなりません。

これを無くすためにも1票の格差是正は世代の偏りをなくすことが急務ですよね。

 

②世界第2位のイノベーション大国イスラエル

イスラエルの人口はわずか800万人。日本の約1/15くらいの規模です。

が、1万を超えるスタートアップを継続的に生み出すなど

イノベーション大国としての規模はアメリカについで世界2位。

サイバー大国・IT先進国としても有名です。

なぜか?諸説ありますが、彼らの言葉でいえばNecessity=必要性があるから。

地続きで内戦も多い。国の人口は少なく、つまり国力もさほどにない。

その状態でぼやっとしていると、あっという間に隣国に攻め入られて国家存続の危機になる。

だからこそ必死で考え、他国を先んじて力を持たなければならなかった。

そういうことが大きな原因の一つであるとよく言われます。

ボクが好きなデンマークのイノベーティブな国として有名です。

brave-answer.jp

ここもおそらくNecessityから発達したのだろうと思います。

人口は500万程度、母国語のデンマーク語は消滅危機言語に認定されています。

周りは地続きではなく海ですが、かつてバイキングに攻め入られた歴史があります。

イスラエルも、デンマークも「流動性」「必要性」「危機感・飢餓感」が

イノベーションや各種政策に大きな影響を与えているのだと思います。

 

③日本にはNecessityが無い…その理由は?

では日本「流動性」「必要性」「危機感・飢餓感」があるか?

ボクは個人的にはNOだと思っています。

流動性については歴史を紐解いても、他国と比べても

「持つ必要がなかった」のかもしれません。

周りは海で囲まれ、他国に攻め入られることも頻繁ではなく、むしろ稀。

色々な問題があるように語られていますが、それは本当に解決必要なのか?

医療問題・教育問題・社会保障

色々な議論はされます。ボクも勉強会に顔を出してみたり

専門家の話を聞きに行ったことがあります。

その時興味深かったのは、例えば医療の問題など

他国の医療制度の仕組みを聞くと「え!それを日本でやられるのはイヤ!」

とか言う人はメチャクチャ多かったのです。

海外留学といか、長めの海外滞在をした方々は良く

「いやぁ、やっぱり日本はいいなぁ。なんだかんだ言って幸せ」

とか言う人いますよね?やっぱり日本のクオリティは高い、と。

ボクは気遣いという文化は日本に特有で世界に誇れる文化風土であると思っています。

その文化風土によって作られたものに浸かっていると、

他国のサービスや在り方に少しばかり不足感や不安感が出る人はまだ多いのだと思います。

結局日本は住みやすいし、冷静に考えたら楽なんです。

 

④依存したい日本人「最後に政府がなんとかしてくれる」?

じゃあこのままでいいのか?

それがダメなことは皆なんとなーく感じてたりするのでは?

現状日本はとても良い国ですが、他国と比べて「随分捉え方が違うな」と

ボクが良く感じるのは二つあります。

 ◇みんなが「自分の国をどうしようか?」と思っているか否か?

 ◇自分・地域・国について「未来思考」できているか?

日本人て「地域が」「国が」という文脈になると

「おいおい、お前ごときが何えらそーなこと言ってんだよwww」

みたいな空気に絶対なりますよね。「身の程知れよ」みたいな。

確かに一人の人がいきなり大きなことはできません。

でもそれはどの国も一緒のはず。この点、デンマークは面白い思考があります。

Think Globally, Act Locally

思考は世界基準で、行動はローカルに。いいですよね。

「この自分の行動がどう周りを変え、それがどう世界に届くか?」

そんな風に考えていくのだそうです。翻って日本は?

いざとなると「自分の行動がどう影響するか?」とはならずに

「親が・先生が・自治体が・国がなんとかしてくれるはず」という思考が

上の世代ほど大きい気がします。だからクレームも平気で言っちゃう。

財政政策の問題も、医療制度も、税金問題も…

「最後は誰かがなんとかしてくれる」から抜け出さないと、

そのためにも若者世代の意見を真剣に聞き入れないと

「大きな変化のうねり」を感じることはないのでしょう。

 

⑤生きる力を育む

教育という視点で見た時、このような現状でできることってなんでしょう?

ここは結構いろんな「答えらしきこと」を話されている方は

素晴らしい大人の方がの中にもいらっしゃいます。

このお方などその代表格。他にもいろんな業界の方が、

いろんな切り切り口で若者へのメッセージを送っています。

ボクはトータル、「生きる力」をしっかりと持っておくことだと思います。

全体的に多いな、と思い誤解も産みやすいメッセージ。

「好きなことをやればいいよ!」

「イヤなら逃げてもいいんだよ!」

この二つかな、って思っています。

「好きなことをやればいい」は共感します。

が、「好きなことがわからない」という人が多いのもまた事実。

「本気で探したことがないんだよ」というものの、

言われた相手はどうすることもできず立ち往生…はよくある光景。

 

「イヤなら逃げてもいい」もわからなくはないけど…

何も考えずに逃げすぎちゃうとか、「どこに逃げればいいの?」ってなる。

これもよく見る光景です。

 

「生きる力を育む」ということは

まさに答えがないことへの挑戦。今までの社会のように

「この〇〇をやれば大丈夫!」

「押さえておくべき5つにポイント!」

とかがあるわけではありません。胡散臭いことこの上ない(笑)

のですが、あえて「多分こういうことは大切だな」と思う

大きな時代と世界の潮流から考える、具体的にやったほうが良いこと、

これをつらつらと書いてみます。

 ・自分で決めたことならばちょっとくらい辛くても辛抱してやる

 ・本当に大好きならば理解者0名でも没頭する

 ・キャンプ・登山・野宿とかは、やるならガチ目にやる

 ・デジタル当たり前の世界では「デジタルで何かを作れる」を当たり前に

 ・だからプログラミングとかは触っておく

 ・結局いつの時代も困りごとは「お金」「健康」「対人関係」

 ・だから買い物はちびっ子からさせる

 ・お小遣いのあげ方、バイトでの稼ぎ方、投資とかは一工夫

 ・無理矢理でもいろんな人に会う、会わせる

 ・だから若いうちに外国の友達を、海外で作ってくる

 ・英会話教室行くよりも海外の友達とか恋人作ってみる

この辺かなぁ、って思います。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

「どうせ政治は変わらない」は、しばらくはあるかなぁ…

でも、今からできることを、しておくことは山ほどあります。

何よりも自分自身の「生きる力」を高めておく。

それが来たるべき時に大きな役に立つのは間違いありません。

大人もちびっ子も、たくましく前向きに自分と向き合っていく。

そして世界と向き合っていくための「生きる力」を共に育めたら良いですね。

 

ではでは!

自分らしさではなく自己中心の人生が最高なのかも

フランスの入試制度は面白いですよね。

「哲学」という科目は、試験時間が4時間だったりする。。。

ボクたちから見たらクレイジー以外のなにものでもないですよね、今は。

でも面白いし、正解の数や点数を競うのではなく

自分の純粋な考えを披露する。そのクールなこと!

例えば哲学ではこんな問題が出たことがあります。

「なぜ自分自身のことを知ろうと努めるのか?」

面白いですよね。皆さんはどのように考え答えますか?

 

【本日の目次】

 

 

①自分らしさ+自己中心的思考

「自分らしさって何だろう?」とか考えたことある人いますか?

結構多い気もします。世代によらず。

でもこれって探し続けてもあまり答えがないような…

で、結局自分らしさを意識しすぎて振り回されてしまう。

あるいは周りの目を機にすることになってしまう、みたいな。

誰でも一度は通る道なので良いのかな、とも思います。

 

最近のボクはこれについては一応の答えが出た気がします。それは。

「自分らしさとか、そんなに追求しなくても良いのでは?」ということ。

そしてその代わりに

「もっと自己中心的な生き方で良いよね!そのほうが楽!」

こんな生き方で良いのかな、そしてその方が結果的に周りに優しくなれるのかな、と。

 

 

②誰かの為と思うこと=他人への要求になりがちな効率化社会

「誰かのために生きる」ということは決して否定されることではありません。

が、最近思うのです。

資本主義社会というか、生産性や効率性を求める文脈でのコミュニティだと

結局それによるなんらかの成果や変化を他人や外部に求めてしまっているよなぁ、と。

上のツイートもそう。

働き方改革っていろんな意味合いがあるのだけれど、

やはり成果報告的なものが登場しないと批判も多くなるのが今の世界。

「労働時間・残業を◯%減らして、生産効率は△%上がりました!」

「週3日休日にして4日だけ働いても売り上げは◯%上がりました!」

こういうのは悪くないんだけど、目的化するものかといったら微妙。

従業員側だって「会社のために働いているのだから」とかいうよくわからん論理で

会社という自分以外のものに必要以上・価値以上の見返りを求めたりする。

同じセリフでも、考え方の根本というか切り口が違うんだと思うんですよね。

美しいはずの思想は、効率化社会・生産的な社会においては「?」になる。

そんなことも往往にしてあるのかな、と思ってしまう今日この頃です。

 

 

③超格差社会は「自己中心思考」と「弱さの余白」が鍵だ!

ちびっ子も、大人たちも、おそらく未来は「自己中心的に生きる」

これは一つの未来を生きるコツな気がしてなりません。

既に色々な人が似たようなことをお話ししている気もしますが。

例えば尾原和啓さんとか。

この本やモチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書 (NewsPicks Book)

とかはまさにある意味「自己中心的に生きた方がよいよ!

というメッセージが込められている本だと思います。

勘違いしてはいけないのは「自己中心的=他人に迷惑や我儘があっても良い」

こういうことではありませんよ、ということ。

自己中心的思考で生きた時、自分はどういう価値や考えを形にできるのか?

さらに自己中心的であるとき、自分の欠陥や欠落はどんなものなのか?

とりあえず周りを気にしようがしまいが自分にとって大切なことは何か?

その大切なことが周囲にもたらす影響とか可能性ってどんなものがあるのか?

 

そんなことを日常的に考えておくことがすごく大事なんだろうと思います。

そして未来訪れる超格差社会

これは今までの文脈でいうと「所得格差」をイメージする人が多い。

でもボクは実際は違うと思っています。所得格差以上に感覚格差が二極化する。

この「感覚格差」もまだふわっとした言葉ですが、ボクはこのイメージ。

 

最初のツイートにもありますが

無益でも自分らしさを優先した行動やセリフの方が幸福度は高まる。

自分にとってのかっこよさ・美しさを追求して言語化することが価値になる。

周りが賛成しなくても、自分だけに大切な真実が大きなリターンを生む。

 

これらのフレーズってイノベーティブである一方で

生産性・効率性を追求したコミュニティではピンとこないし受け入れられにくい。

でも、こういうことを「感覚的にでも」わかる人はとても強い。

そして「結果的に」お金もそうでしょうけれども、それ以外のものも手にするはず。

それも莫大な質量のものを。

 

有意義にして有益な人生を掴もうとすればこそ

有益か否かの尺度を捨てて考えてみる。

そして自己中心的に、自分軸の美學哲学を創り上げる。

 

「自分らしさの追求」ってなんか堅苦しい感じしますしね(笑)

自分の美学や偏愛や大切な真実をさらけ出し続けていれば

やっていることは同じでも、知らない間に社会に何らかのインパクトを与える。

これはあるのだと思います。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

まだまだ、まだまだ結局他人の目や見返りを気にする色は濃く残っていますが

これを捨ててしまうところから格差を乗り越えて楽しく未来を生きることが始まる。

そんな感じしませんか?

ちびっ子たちには「人に優しく、でも自己中心に生きるためには?」

これを結構きちんと教える仕組みを考えて見たいですね!

 

ではでは!

鮮烈に記憶に残る!漫画・本の飲み食い描写5選

これを書いている日、ボクは誕生日を迎えたんですよ。

で、誕生日にぼんやりと色々振り返ったり整理したり

母上と電話で取り止めもないトークを展開していたら

「なんか昔ってよく本とか漫画、眺めていたなぁ」って思い出したんです。

読むというより眺めていました。

なにを眺めていたのか?

それは何かを食べる描写。ここです。

今でも食べることは大好きで、時折エンゲル係数が跳ね上がるのですが

子供の頃からその兆候がありました。

とにかくいろんな本に登場する、食べる描写が好き。

今回は自分の思いで振り返りと共に「この本のココの食べる系描写最高!」

これをご紹介。きっとあなたも食べたくなる…ハズ。

 

【本日の目次】

 

 

 

ヘンゼルとグレーテル

ご存知「グリム童話」のお話の一つ。貧乏なきこりの家に暮らす

男の子ヘンゼルと、女の子グレーテル。実はこのブログを書くまで

物語のストーリーとか全然思い出せないでいました。

改めてストーリーを確認すると…なかなか怖い(笑)

そもそもが両親に捨てられるところから物語が始まるのですね。。。

で、人食い魔女に捕まって、食べられそうになるけれども

逆に人食い魔女を殺してお宝を奪い、家に戻ってまた家族で幸せに暮らす。

すごい展開ですね。。魔女も溜まったものではありませんね。

元々はヘンゼルとグレーテルがお菓子の家を食べてしまったのですから。

しかも自分たちを捨てた両親とまた幸せに暮らすって…

あ、でも物語のストーリーではなくて、今回はあくまでも

印象的な「食べ物の描写」なんです。

そう!ボクはこの本に出てくる「お菓子の家」にすっかり魅了されたのです。

 ・屋根の瓦はチョコ

 ・窓ガラスは砂糖でできたお菓子

 ・入り口の扉がクッキー

当時のボクは「こんな家あるんかいな!」と興奮して読んでいました。

で、それを見ていた母がボクにいうのです。

「じゃあクリスマスにみんなで作る?」

何と衝撃的な響き。。。作る?お菓子の家を??

クリスマスが待ち遠しくて毎日カレンダーを眺めていた時期がありました。

で、クリスマスにスーパーに行って、

イメージにできるだけ近いお菓子を大量に買ってもらって。。。

家で昼過ぎくらいから作りました。夕方までかかって!

当時の写真は流石に無いのですが、イメージはこんな感じ。

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もう少し庶民的だった気もしますが、一番近いイメージです。

まあ子供が作ったものですから(笑)

いやーでも感激しながら、勿体無い!と思いながら食べたなあ…

 

アタゴオル物語

ますむら・ひろしさんの作品集。主人公のネコがインパクト強くて…

名前は覚えていなかったのですが、とにかくこの顔だけは妙に覚えていました。

どうやら名前は「ナゾノ・ヒデヨシ」だそうで。

まあボク、この本は(も?)まっったくストーリーとか覚えていません(笑)

ていうか、特にこの本は小さい頃も物語として読んでいたのではなく

「食べ物のイメージ」で読んでいました。

まず、ヒデヨシの好物は酢ダコ

この時点でグッと来ませんか?ボクはこれでやられていました。

確か漫画の中でも、船の先頭に座ったヒデヨシが、ザラザラした舌で

酢だこを削り取るように食べるシーンがあったと記憶しています。

妙に酢だこが美味しいものなのでは?と想像させてくれるには十分でした。

(当時ボクは酢ダコを食べたことがなかった)

そして食べ物の名前でメチャクチャ記憶に残っているのは

銀クジラ」と「ベニマグロ」の二つでした。 

え?なにそれ?この世にあるん??

どこで食えんの????

そんなことを真剣に考えていました。

多分実在しないですよね?って今でも聞いてしまう。

あぁ・・・食べてみたい。特に銀クジラ。。。

 

ピノッキオ

この物語はあまりにも有名ですね。

この本はボクも「読み物」としてもちゃんと(笑)よく読んでいました。

この本もきちんと読むと華香な長編だったと記憶していて、

当時ちびっ子だったボクは時間をかけて読んだものです。

この本の中にも何度かピノッキオが食事をするシーンが出て来ます。

その中でも妙に記憶に残っているシーンがありました。

おじいちゃんだったかな?誰かの手伝いをせっせと行ったピノッキオに

ご褒美だったか休憩の時間にご飯が振る舞われるのですね。

(すみません、かなり記憶が曖昧です)

足しkそのワンシーンで出されるのが

ホットミルク・カリフラワーの酢漬け、そして

「星型の形をした砂糖菓子」

なるものが出されているのです。これも想像力が掻き立てられる!

 一体どんなお菓子なんだろう?お店で買えるのか?

でもお店で「星型の砂糖菓子ください」って言っても困るだろうな…

そんなことを悶々と考えました。

漫画とか童話って、色々想像させられる謎の食べ物が多い。

そんな気がするの、ボクだけでしょうか??

 

 

④ロビンソンクルーソー

これもピノッキオと同様、物語としてとてもよく読みました。

すごくワクワクしながら読んだのを思い出しました。

これも物語の中で色々なものを食べる描写が出て来ますよね。

生きるために色々食べ物も工夫する描写が面白かったなぁ、と。

 

その中でも「ラム酒」が確かよく出て来たなぁ、と。

当時は当然ちびっ子でしたからお酒の味などわかりません。

でも美味しそうに飲んでいたり、病気だか何かから身を守るために

タバコの葉をつけたラム酒を飲むシーンが出て来たり。

あと畑を作ってパン(らしきもの?)焼いて食べるシーンとか

ヤギを飼育するシーンとか。

ただただ「すげぇなぁ」と思って読んでいました。

今思えば、この本の影響で我が家はヤギを飼い始めたのです… 

この本の中で出てくるあらゆるものは食べて見たい、試したい!

そんな風に思っていました。

結局大人になって、お酒ってめちゃ不味いと感じることは残念でした…

 

ムーミンと魔法の帽子

ムーミンは我が家に昔から置いてある本でしたね。

モモ (岩波少年文庫(127))」とか「はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)

と共に本棚に並んでいました。

絵本ではなく、比較的小さい文字の、ハードカバーの本。

なので、この本はあまり読まなかった(笑)

でも、これも妙に記憶に残っているのが魔法の帽子。

確かくろいシルクハットだったような…

防止の中にいろんなものを入れると魔法がかかって

全然別のものになっちゃうんですよね。

確か卵の殻を入れたらフワフワの白い雲になったりとか。

 

で、ここでも「お!」と思った食べ物の描写。

このシルクハットに川の水を入れてみると…

とても美味しい木苺のジュースになっているのです。

当時ボクはそこまで甘いものは好きではなかったのですが、

(大人のおつまみ的なものが好物という変わり者)

このジュースの描写を見て、変にジュースが飲みたくなったものでした。

そして木苺のジュースって、そもそもあまり見かけませんよね。

いちごは見ても。いやぁ、魅かれました…。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

ご存知のものありましたか?

そして「おいおいちょっとストーリー違うぞ!」というツッコミはご勘弁を(笑)

幼少のかすかな記憶を辿って書いておりますので。

 

皆様にもきっと強烈な記憶に残る

「漫画・映画・本の飲み食い描写」はあるはず。。。

 

ではでは!

和+Liberal Arts=Re-Discover JAPANな話

日本て「ヤバい!」「未来が無い!」っていう人が多いですよね。

一方で、必要以上の楽観視する人たちも。

いろんな意見があることは悪いことではないし議論できること自体素敵。

でも客観的に見て良い国だよなぁ…って思います。

折角世界的に見ても良い国だし、元々が素晴らしい国民性があるわけで。

今回はそんな話について思うこと。

 

【本日の目次】

 

 

①久々の京都で感じたこと・考えたこと

仕事関連でしたが久々に京都に行きました!

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何が良いって風情があること。先斗町とかは勿論だけど、

ガイドブックとかに載っていない普通の路地でも素敵。いとをかし。

水と緑も多くて、ボクはとても幸せな気分に浸れる街です。

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でも意外と地元の方と話すと、観光地にはない魅力とか

何気ない色使いとか、ちょっとした仕草とか、そういう魅力に気づかないのです。

1日で仙台→京都→東京とまわって、どこに行っても不思議なくらい

「身近なものの良い悪い(特に良い部分)を言葉にできない」

こういう現象というか特徴を感じたのですよ。

 

その時ふと思ったのがデンマークで出会った学生の方とか

ベンチャーで働く人達との会話。

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ごく自然に主語が「自分たちの国」になっているのです。

 ・自分たちの国をどう世界に売り込んでいくか?

 ・自分たちの国の強みは何か?

 ・どんな言葉で自分の国を語ると伝わりやすいか?

 ・(移民を受け入れたら)国としてのアイデンティティをどう維持するか?

「すごいなぁ」という思いと

「まあ日本は島国だからそういう会話になりにくかったんだよな」

みたいな思いとが入り混じりました。

グローバルと言われて久しい時代に思うこと。それは

 ・そろそろ「日本」を主語にしても良いかも。世代地域性別問わず。

 ・直感主観は大切にしつつ、客観や理屈とのバランスで日本を語ってみる

 ・大きく語るのは「えらそう」とか言う奴山ほどいるだろうな。。。

 ・でもそう思うのは「消滅危機がない国だから」かも。悪くないかな?

 ・そう言えるうちに「大きく考えて、小さく実行」が良いなぁ

こんなことです。

 

②日本の魅力って? 〜学んでおくと常に役立つこと

「欧米なんて概念は無い!」と言う論調も最近ありますが…(笑)

一般的にわかりやすいので「欧米」と言う言葉で比較。

最近「同調圧力」などと言う言葉が流行っていますし、

日本は島国で単一民族だから柔軟性や多様性に乏しいみたいな人もいますが、

でも一方で多神教で、多様であることにメチャ柔軟だったりする。

ん?

ちょっとわかりづらいですか?

わかりやすい例を挙げるとですね、以下のような感じ。

 例1:クリスマスの1週間後に普通に正月を祝える

 例2:個人の苦手っていう理由以外なんでも食べちゃう

 例3:知らない間にハロウィン受け入れて、かつオリジナルな祭になってる

 例4:バレンタインデーだっていつの間にか日本オリジナル

 例5:ライスバーガーとかカレーパンとか普通

 例6:洋服でも和服でもいろんな服装で歩いても違和感がない

こういうことって宗教観とか文化風土という文脈だとすごい魅力。

でもこれを以外と言葉にして、魅力として語ることはあまり無いです。

 昔こんな記事を書いていました。

mirai-syouten.hatenablog.com

この中でもちょっと触れていますが「liberal arts」の重要さ。

そして江戸から始まった「塾」というものの本質。

当時の塾はざっくりいえば以下の2点だけやっていたのです。

 ①読み書き計算くらいはやっといた方が良いよな!

 ②〇〇のこともっと詳しく知りたいから、興味ある奴やろうぜ!

特に②は、現代で言うところの「オンラインサロン」に近い組織でした。 

だから私塾は興味ややりたい分野で結構な数に別れていた、という訳です。

江戸の学びと西洋のliberal artsの共通点。それは

「自分の力で世界を知り、自らの考えを他者に伝えて動かす技術」

ボクはこれだと思っています。

そう思うと今の中学校・高校あたりの教育はイケてない部分も多い。

そして大学も文系理系を変に分けることなく、

そして一般教養も社会に価値を直接与えていけるようなものに位置付ける。

中世ヨーロッパ7つのliberal artsのような全ての根っこにある学びを

自分の興味や関心のままに

気の合う仲間たちと学び合う経験をする。

これができる環境を見つけていく、作っていくことができると良いですね。

10代のうちが望ましいですが、今の日本であればいくつからでも

「見つけることができた」という人はそれだけでもラッキーです。

 

③遊びも、学びも、働きも「狭くて強い共感」

この記事を書いている頃は、あちこちのニュースで

安室奈美恵引退ライブ」についてメチャ書かれています。

ひょっとしたら彼女は「日本最後の国民的アイドル」かもしれません。

畑野智美さんのnoteをたまたま読む機会があり、

「あぁ、そうかも」と思うことが綴られていました。

note.mu

この中にある以下の一節。

『SUNNY』という映画が公開されています。
90年代に女子高校生だった主人公とその友人の話です。
予告を見るだけで「90年代ってこうだったよね!」と、わかります。
ルーズソックス、細い眉、安室ちゃん、オザケンジュディマリ
世代的には、震えるほど懐かしいです。

20年後、同じような映画を作ろうとしても、無理でしょう。
誰もが共通して「ああ、2010年代って、こうだった」と思い出すようなものは、とても少ないです。

Youtube、Abema TV、SNS、2.5次元、深夜アニメ、スマホのゲーム、その他色々。

興味の方向がバラバラです。
みんなで地上波を見ている時代は、もう何年も前に終わりました。

マスメディアの終焉、とか言いますよね。

多様であるということは共感がなくなっていくことでもあるかもしれません。

単一民族でありながら多神教

同一であることを求めつつも、受け入れてしまえば変化にも極めて柔軟。

今はその過渡期ですよね。

ボクたち日本人が日本の魅力を語るとき、この

「色んな興味・価値観・信念が複雑に絡み合って、絶妙なバランスで

複雑にして膨大多数なコミュニティがある」

という状態は世界に誇れる大きな武器になる気がします。

そうするとまず個人個人は「狭くても深くて強い」そんな場を

想い想いに見つけて繋がっていく。そこを言語化してみる。

そしてパラレル思考でコミュニティを行き来してみる。

また言語化する。

これを繰り返した後「日本は」という主語で語るとかなり面白くなる。

そんな気がしてなりません。

 

④「いいかげん=良い加減」ぼやけていることが魅力

で、最後のポイントは、日本は「明確な定義などなくても良い」ということ。

 散々上記に挙げたことをやってみて、議論して、

でも最後はなんかぼやけている。明確なものが見えにくい。

ボクはそれで良い、それが良いのでは?と思っています。

いつでも「なんだかわからない」でも「なんとなくわかる」

この感じは日本独特な感じがします。

もし日本を観光大国にするならば

「いつ行っても新しく、いつ来ても懐かしい国、JAPAN」

みたいなキャッチフレーズ(笑)

そもそも日本の美意識ってそこにありますよね?

それは現代でも存分に利用して、差別化を図る。あると思います!

 

さて、いかがでしたでしょうか?

日本らしい「和」のマインドって何なんだろう?

そして西洋のliberal artsにも学びながら、原点回帰もしながら

もう一度、改めて日本を見つめてみる。

それはきっとボクたち個人の働き方や学び方のアップデートでもあり

その積み重ねは日本を再興する力にも変わると思っています。

個人と国のWIN−WIN!やらない手は無い(笑)

 

大きく考えて、小さく行動する。

少しずつでも実践できることが大切だと思います。

ではでは!

トレンド予測とワクワク感で素敵な未来を創る方法

 

皆さん『global trendas』って知っていますか?

米国国家情報会議(通称NIC)がまとめている未来洞察のレポート。

けっこう悲観的な視点で書かれているので、ちゃんと読むと色んな意味でゲンナリするんですけどね(笑)

5年おきの未来洞察が書かれています。2025年・2030年、そして2035年

このレポートで考えたことと、「結局は何が大事なのよ?」について考えてみました。

 

【本日の目次】

 

 

①global trendsによると未来はどうなる?

ぞれぞれのレポートは公的機関がまとめてくれています。

NICレポート(GLOBAL TRENDS 2025):文部科学省

この時のレポート名は「A Transformed World」でした。変容する世界。

小難しいことが色々書いてありますが、簡単にあげると以下のようなこと。

 ・新興勢力が力つけるかも→特にインドとかロシア=BRICsの解体?

 ・気候変動は注意が必要。10月とか特に。

 ・資源問題、食糧危機、そして上記気候変動など国家横断的課題が目立つ

 ・多極多様なシステムや国家のあり方が問題課題をより複雑にしそう

 

2030年のglobal trendsは海上自衛隊学校のサイトにまとまっていました。

トピックス016 | 海上自衛隊幹部学校

2030年予測の名前は「Alternative Worlds」役は「多層化する世界」かな?

書いてあるのは以下の通り

 ・個人の力が増す=覇権国家が生まれにくい

 ・高齢化が進み経済力が衰える国と、若者によって伸びる国が分かれそう

 ・世界で見ると中間層はインドなどを中心に増える

 ・水や食料の問題は大きくなりそう

 ・結果、紛争などの危機も複雑化、多様化しそう

 ・新しいテクノロジーの進化はどう影響するか?

 

うん。

全体的にネガティブなことばっかり書いてありますね(笑)

読んでいても決してワクワクはしない。

で、2035年のtrendsについてはまだ公的機関でまとめはなさそうです。

が、冒頭にやや乱暴な超要約ツイートを貼りました。

2035年は「Paradox of progress」(進化の逆説)で、要は

「不安や不満を解消するはずの情報技術は幸せとともに新たな不安も作っている!」

これについて色々書いてあるなぁ、って思います。

さらに「変が激しすぎるからトレンドも予測不能だよ!」ともあります。。。

国家レベルでも、もはや未来予測や洞察は難しいってことです。

 

②未来予想に意味はない?未来の考え方

落合陽一さんの「魔法の世紀」という本。

こちら、ボクは実はまだ読んでいないのですが、落合さんがいろんな場所で

仰っていることで「tech&AIの進化で生活は16世紀に戻り魔術化する」

みたいな表現をされていることがあります。

要は「なぜその現象が起きたのか、その場ではわからずに後から答え合わせをする」

みたいなことがAIの進化によって起こるというわけですね。

昔は科学や技術が発達していなかったからわからないことがたくさんあった。

で、それを解明するために様々な学問・技術が進化したけれども

進化しすぎて(?)結局またわかりづらくなっちゃった。。。ということ。

 

じゃあ未来はどう捉えていくのが良いのか?ボクはが思うのは

「予想しても無駄だ」ということ。予想はよそう、と(笑)

まあオヤジギャグついで書くならば「よそう」は逆さまに読めば「うそよ(嘘よ)」です。

まあ当たらないし、当てようとしてもしょうがないです。

その代わり、いろんな予測からいくつかの共通点を見出したりして

「あれ?ひょっとしたらこういうことはどう転んでも起きそうじゃね?」みたいに

いくつかのシナリオやストーリーを想像しておくのはいいかもしれません。

例えばこうやってglobal trendsを並べて見て「ありそうじゃね?」というのは以下のもの。

 ・個人の力がつく、つけやすくなる→国家独立&フリーランス増加の傾向

 ・気候変動は十分な注意が必要

 ・食糧危機や水の問題は起こりそう→食べ物・健康に強くなっておくべき

 ・「あらゆる想定外はあるもの」って思っておいた方がいい。その方が気が楽。

ボクは何かを教える時、仕事でより良い成果を出そうとする時、大きな計画を立てる時

上に書いたようなことを意識しますし、仲間や部下にも伝えます。

「手巻き寿司みたいなやり方が一番良い」と。

どういうことか?それはおおよその具材(ルール・手法)はいくつか渡しておく。

あとは自由。組み合わせ方も、どこからいくかも。

手巻き寿司ってそんな感じしません?

海苔とご飯はとりあえず使う。あとは沢山のバラエティにとんだ具材たち。

これは勝手に使えばいい。そして自分だけのオリジナルの美味しさに出会う、みたいな。

未来予想もこれと同じで、最低限こんなキーワードだけ頭に放り込んだら、

あとは思い思いに動いて生活して「自分だけの美味しさ」を見つける。

これが案外真理なのだと思っています。

 

③Driveがかかる瞬間や場所を探す

 

モチベーションとドライブって意味合いが違う気がするんですよね。

モチベーションって「やる気」の中でも外的な要素が強いというか。

要は「報酬」「お駄賃」「賞賛されること」とかで動く、みたいな。

それに対してドライブはもっと事故中心的というか内的動機というか…

「周りはさておき、なんか自分はめっちゃワクワクする」みたいな。

改めてこういう本を読み直してもいいかもしれませんね。

ボクは長くてくどい本は苦手なんですが(笑)

ほぼ間違いなく言えること。それは以下の点です。

 ・オール4みたいな学びや仕事に価値などなくなる

 ・通知表でいえば1と5が混在しているくらいが人間らしい

 ・ワクワクドキドキ高揚感。これとどれだけで会えるか=自分の人生価値

 ・何かを努力する。失敗する。悔し涙が流れる。それは大いなる価値になる。

 ・「逃げてもいいんだよ!」で逃げても意味はない。自分と向き合う姿勢。

 ・誰かの目は「気にするもの」から「共感共有を作る機会や装置」に変わる

 ・哲学やビジョンの中での喧嘩や口論は美しい。それ以外はゴミ以下になる。

ボクがつい先日、たまたま仕事の会合で出会った5歳のちびっ子はまさにこれ。

200〜300人はいたであろう大人の目線や、お母さんのハラハラなどどこ吹く風。

じーっとマイクを見つめて、その音の大きさや響きにただただ感動していました。

 

周りの人たちはゲラゲラ笑ったり、若干不安そうな顔で役員の様子を伺っていましたが

ボクはそれもお構いなく、膝をついてマイクをいじるちびっ子を

頼もしく羨ましく眺めていました。彼にとってドライブがかかった瞬間です。

こういう機会をいかに作ってあげられるか?これが教育であり、大人の役目かな、と。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

「ドライビングフォース」という言葉はこれから大人もちびっこも大切な言葉になる。

ボクはそんな風に読んでいます。

誰の、どんな切り口でも、どんな情報やデータがあっても未来はわからないことだらけ。

データや情報がありすぎるからわからないことだらけなんでしょうね(笑)

 

わからない不安からなんとなく無難にまとまることすらできない時代。

ならば過去にすがらず、過去に敬意を払いつつ、未来を夢見ながら現在を精一杯。

これが結局最高のようです。

「心で感じるいい匂い」を信じて動くことが大切ですね。

 

ではでは!