未来の学校に必要な3つのこと
僕は思うんですけど、学校なんかの教育機関の選び方として教養とか人脈とか人間力とか創造性を育むとか、そういう謳い文句はぜんぶインチキで、ゼロとして価値算定すべきですね。英語が身につく、医師などの金になる資格が取れる、就職のパフォーマンス、進学実績、年収…。具体的なとこだけカウント。
— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) 2018年9月27日
承認欲求は捨てろ!
— KUMAP@メディア事業社長 (@kumapadsense) 2018年9月27日
人生捗るぞ
・承認欲求でイキる時間は人生の無駄
・変なプライドが生きにくくする
・承認欲求を捨てると敵は減り時間は増える
・捨てるとまでいかなくても適度に出せ
承認欲求を満たす自分の像が大きくなりすぎると、ブレーキも効かなくなるぞ
承認欲求捨てて快適に生きろ!
「お前は天才じゃない」「自意識過剰だ」「謙虚になれ」
— ぼくのりりっくのぼうよみ(竹田でした) (@sigaisen2) 2018年9月28日
理解できませんね
出る杭は打っておかないと不安で仕方ないですか?
才能があるって思っちゃダメ?
カッコいいって思っちゃいけない?
自信があることの何が悪いんだ
卑屈を押し付けるのは呪いだ
何言われようと好きに生きるのが僕の仕事です
【本日の目次】
- ①学ぶ価値=将来への投資ならば学校の価値は?
- ②「学校=閉じられた世界」という大問題
- ③必要なこと其の壱:カリキュラムを無くす
- ④必要なこと其の弐:お金かそれに変わるスコアリングを成績に反映
- ⑤必要なこと其の参:不足感・怒り・喜び・ワクワク…「エモさ」
①学ぶ価値=将来への投資ならば学校の価値は?
藤沢数希さんのツイートはかなりエッジが効いていますが
これ、至極ごもっともだと思いませんか?
確かに最近、大学も学部も増えすぎてという理由なのか
はたまた少子化によるパイの取り合いのせいなのか
とにかく学校の「宣伝文句」がどこもかしこも似ています。
そもそも大人たちが作る宣伝文句も似ているからなのかな…
まあ最近の学校だと、中学校も高校も、ほとんどどこもかしこも
・STEM(最近はSTEAM)教育
・ITを駆使した〇〇
・創造性を育む反転学習
・英語教育&プログラミング教育
・ディスカッションを取り入れたインタラクティブな授業
まあだいたいこんな言葉が並びます。
これらが大事ではない、と言っているわけではありません。
でも「とりあえず流行りに乗っておけ!」
みたいな業界の雰囲気はイヤ。
意味わからないけれども変わっちゃったよ!みたいな業界の方も多いのでは?
ちびっ子たちに実情を聞くと、よーくわかります。
そうすると藤沢数希さんがおっしゃる通り「謳い文句」
それ自体には意味ないんじゃねーの?ってなるわけです。
もう少しいうと、最近流行りの「大学行くべきか論争」とか、
その先の「企業か起業か?」みたいな問いかけにも繋がると思っています。
学ぶ価値は「将来への投資」という方は多いはず。
そうすると合格実績はもちろん、未来はそれに加えて
・在学中にどれくらい稼いだ実績がある学生がいるか?
・学生起業した人数
・学術論文の本数(世界ランキングにも影響しますしね)
・リカレント教育の整備と実績
こういう今まではあまり表に出なかった、そしてわかりやすく数値化できる
こういう指標を「学校で学ぶ価値」として出していく必要がありますね。
②「学校=閉じられた世界」という大問題
そもそも一般的な学校の最大も問題。
それは学校というコミュニティが先生も生徒も「閉じられている」ということ。
・遅々として進まない統一カリキュラムと教科書
・「みんなもやっているでしょ?」という謎の説得方法
・通知表で算数5を取っても「でも社会が3なのよね」という指摘
・公立の先生はそもそもお金稼いだことない人ばかり
・個性的であることは褒められても結局評価はされない
・進路指導や将来の話はかなり少ない(多分できない人が多数)
もちろん学校や地域による違いがるのはわかります。
が、実態はほとんど上記のようなことがあり
「あぁ!わかる!」っていう人も多いはず。
社会・お金・課題・対人などの点で外に開かれていない。
そしてそれ自体は問題として捉えられない。
なんだか「進撃の巨人」の巨大な壁があるみたいなイメージですよね。。
この問題を解決して、価値のあるコミュニティに変えていく、
すなわち「未来の学校」を作るために必要なことって3つあるかなって思います。
以下、それを書いていきますね。
③必要なこと其の壱:カリキュラムを無くす
業界の方は受け入れることが難しい、一番最初にして最大のポイント。
ボクがそんな風に思っているのが「カリキュラム」
これは結構重たい問題だと思います。
そもそもの学問、そして塾は「必要と思った事柄」を、
「必要と思っている人」が学ぶことから始まりました。
だから学ぶことの本質を考えたら
「同じものを」「同じ時期に」「みんなが同時に」というのは変なのです。
みんなが同じことを同じようにやろうとするから
同調圧力・変な比較が生まれて、いらない承認欲求も生まれる。
ボクはそう思っています。ならばそれは不要です。
小学校・中学校からいきなり大学の単位制のようにしておく。
最初は当然戸惑いますし、親バイアスも凄いことでしょう(笑)
でも徐々にちびっ子たちも気づいて、自分で取捨選択できれば良いのです。
先生たちも学ばせたいことを、魅力的な案内で生徒に見せる。
そして「この授業で何が学べるか?」「どんなメリットがあるか?」
これをきちんとちびっ子たちにわかるように提示する。
で、学んだ単元とか科目をスコア化して持っておく。
これを受験などに適応させていけば良いと思います。
④必要なこと其の弐:お金かそれに変わるスコアリングを成績に反映
これも大切なことで、でも難しいかな…って思うのがこの部分。
社会に出た大人の方々、結構な人数で
「社会で直接役立つこと」「お金とか社会の仕組み」
こういったことをきちんと10代で勉強させて欲しかったという人がいます。
確かに、冷静に考えて「学ぶこと=将来の投資」だとすれば
お金とか、社会とか、産業構造とかをもっとリアルに取り上げても良いはず。
それも理論から入るよりも体験的な学びから入って。
だってその方が人は学びますから。
赤ちゃんが言葉を学ぶとき、文法とか理論からは入りませんよね?
学生の頃は理論ばかりで実践がない、でも社会に出ると急に
成果結果を要求される。ならば、やはり早い段階で
「お金を稼ぐ仕組み」「投資の仕組み」「課題発見の方法」などは
実践やワークショップなどを通じて学びあった方が断然お得です。
…ただ、いかんせん日本の教育で「お金の話」はタブーなことが多い。
パッといってサッと変わる気配がない。
ちびっ子達に提供して、ちびっ子達がピンと来なければ辞めればいい。
それだけなんですけどね…
本当はお金じゃなくても良いんでしょうけれども、
今の社会はお金という「共通のスコアリング」がわかりやすいのでしょうね。
実際ボクも仕事で新しい義業とかコンテンツ展開に関わると
当たり前ですが「これは◯億円くらいのインパクトがあるミッションだ!」
とか言われることが多いですし、捉え方次第ですが悪いこととは思いません。
現実的にお金を扱うのが無理ならば、ポイントとかトークンのようなもの
(トークンがわからん!っていう人はググってみましょう!)
を代わりに使ってでも「社会・地域での貢献がわかりやすいスコアリング」
これは子供のうちにしっかりと与えておくことは大きな意味があります。
そういえば最初の頃、こんな記事も書きました。
⑤必要なこと其の参:不足感・怒り・喜び・ワクワク…「エモさ」
最後にこちら。
起業する人の「熱量の源」ってこれだと思うんですね。
あとイノベーションは「不自由さ」とか「強い飢えや必要性」から起こるのかな、と。
それ以外だと本人がモーレツに好きなものが社会に認められる、みたいな。
マルッとまとめて「エモい」という感性をどう学校という環境で受容し
数多くの機会を創ろうとするか?
これは画一的な中から生まれることはまずありません。
「ドライブがかかる」という状態をいかに作るか?
「其の壱」のカリキュラムを作らない、はここにも関係しています。
計算して偶然の出会いを作る。考える余白を作る。そして感情を大切にする。
さて、いかがでしたでしょうか?
最後の「エモさ」これは簡単には行きませんよね。
あえて簡単に仕組み化するならば大切なことは2つ。
①大人は全て「先生」になる可能性があることを認める
②オンライン・SNSで外に先生を求めていく
これです。これにより未来の学校は始まります。
カリッキュラムがないからこそ「?」で一杯になる。迷う。
そして純粋な興味や感情の振れ幅で向き合える。
身の回りの課題や面白いと思えることに向き合える。
自分の知らない世界に想いを馳せるだけでなく、見て聞いて話し合える。
そんなんハイブリッドな学習環境ができたら、
色んなものが一気に動き出すのは間違いない。
「一人一人の力は小さいから…」という言葉が単なる言い訳か
閉ざされた世界で教え込まれたまやかしであった、と気づくはずです。
そうなったら面白いですねぇ♪
ではでは!