学び続ける時代にやった方が良い科目3選
昔、100人のひとを助けられる存在になることが、ヒーローだと思っていた
— こうみく🇨🇳中国トレンドマーケター (@koumikudayo) 2018年12月24日
でも、本当は100人に助けてもらえる存在になることがヒーローなんだ。そうすれば、どうしても助けたい大切な人がいたとき、自分1人ではなく101人分のチカラを持って、助けてあげることが出来るようになるから#ナイトビリティ
【本日の目次】
- ①変化の激しい時代に叫ばれる「シンギュラリティ」
- ②圧倒的に足りない読解力・対話力・自分の言語化
- ③やった方が良い!其の一:アート&デザイン
- ④やった方が良い!其の二:国語
- ⑤学んだ方が良い!其の三:道徳的な何か
①変化の激しい時代に叫ばれる「シンギュラリティ」
バズワード(世の中でめちゃくちゃ流行った言葉)として有名な
「AI」「シンギュラリティ」という言葉たち。
今、世の中的には相変わらず「AIが人間の仕事を奪う!」的なことを煽る
そんなメディアが多いと思うのですよ。まあ不安を煽った方が物が売れる…
みたいなことを考える人は相変わらずいますからね。
変化が激しい時代であることは確かですが、シンギュラリティなるものが
近未来やって来るのか?結論、一般的に想像されているものは来ませんね。
あれはただの煽りです。本当に。そしてそれを鮮やかに(?)論じているのが
新井紀子さんのAI vs. 教科書が読めない子どもたちなんですね。
本の帯にもがっつり書いてあります。
◆シンギュラリティが到来する?到来しません!
◆AIが人類を滅ぼす?滅ぼしません!
◆AIが神になる?なりません!
みたいな。まあ確かに神は言い過ぎにもほどがありますね…(笑)
AIというものが、そもそもどういうものなのか?
これをわかりやすく前半で語ってくれているのです。
端的に言えば「AIとは原理的には計算機に過ぎないのですよ」といった主張。
これはまあ正しいのかもしれませんね。
②圧倒的に足りない読解力・対話力・自分の言語化
日本人にとって、ポスト平成は「超えられなかった昭和の壁をどう超えていくか?」ということへの挑戦になる。米国でも欧州でもないJapanese identityを形にする。
— マツ/学びのクリエイティブディレクター (@matukage1830) 2018年12月25日
その為にtech&AIと協創する時代。
本質的な文脈で「日本らしさ」「日本の良さ」を、誰かのためではなく自分達のために築いていく時代。
この本は前半と後半で趣がガラッと変わります。超要約すると
「AIが仕事を奪うっていうか、そもそも人間力が落ちているから仕事できなくね?」
「日本の教育がAIで代替できるような均質化教育してきたのがヤバい」
と、こんな感じです。やや強引な書かれ方をしているところもありますが
ガッツリ教育に関わっていると、この考え方に共感できる方は多いと思います。
ボクももちろんその内の一人。
日本は特に戦後以降、「重厚長大」「大量生産・大量消費」に合うような
そんな人材育成を目指し、そのための教育をあらゆるところで施そうとしました。
マス・メディアもそういった影響から生まれたものの一つでしょう。
「みんな同じで・シンプルで・早く・たくさん」
こんなものを目指したわけで、今本当に考えるべきは
こうしたコンセプトならばtech&AIの方が得意であり、
得意なやつに得意なものを任せた方が何かと良いわけです。そうすると
「人間が今までのままならAIが変わった方が早いし適役だよね」ってことなんです。
特に日本人は「代替されやすい特性」を持ってしまっているんですよね。
ここが問題。
さらには代替されにくいはずの、つまり計算では解決しにくい分野が弱くなっている。
それが「読解力・対話力・自分の言語化」だったりするのです。
さて、それらはどうやって身につけて行けば・学んで行けば良いのでしょう?
③やった方が良い!其の一:アート&デザイン
ボクが敬愛する落合陽一さん。
2018年はたくさんの本を出していらっいましたが、その中でも
一番「俗っぽい」と感じた本(ここではいい意味で使っています)が
0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる 学ぶ人と育てる人のための教科書
なのです。こちらには多くの方にわかりやすく「未来に必要なものは何か?」が
書かれていたりします。敬愛と言っても盲信しているわけではありませんが、
ボクなりにこれまで教育体験とこの本を読んだ感想から
「こういう力を蓄えておくと、考えておくと便利だよなぁ」と思うもの、
それを3つ上げていきます。その一つめはArt&Designです。
科目で言うならば美術ですかね。
あ、ちなみにボクは美術とかまともな成績とったことがありません(笑)
ここでは「学校の成績を上げるため」と言う意味での必要ではありません。
なので別に「うわぁ、苦手だ…」と落ち込む必要もありません。
別に絵が上手・美術館に行くのが好き、と言うことでもないかと思います。
・ボクが2015年にデンマークに行って感じたこと
・一緒にビジネスデザインスクールでチリ人の話を聞いて感じたこと
・グローバルで評価を得ている企業やプロダクト
全部「デザインが素敵」とか「アートな文脈にある」と思うのです。
実際、デンマークはどこを切り取ってもデザイン性に溢れていました…
日本人は本来アートとかデザインの感性が豊かな民族だと思うのです。
「余白」とか「間」とか。
こう行った「計算では出しにくいもの」「時間と手間暇をかけるもの」には
意識的に時間を使うと良いです。
綺麗なものを見る・美味しいものを食べる・あれこれ手を動かして見る。
そして感じたことをじっくりと味わって見る。そうやって身体性を高めていく。
アートやデザインで知る「遊び」「余白」にはすごいインパクトがあると思います。
④やった方が良い!其の二:国語
落合さんの本というと「理系」「テクノロジー」というイメージが強いかと思います。
もちろん理系的です。そして理系的な科目をやった方が良い、と思われがちですが
ボクはもう少し国語的素養を、今英語で流行りの四技能に合わせて学ぶこと、
これがとても大事な気がします。(実際、落合さんも大切と仰っています)
例えば現状の入試制度において、国語でヒアリングの問題が出るとか
グループディスカッションが重要視されることはないのですが、
外国に行くと特にディスカッションは極めて重要です。あと論文やエッセイ。
落合さんの冒頭の書籍にも書かれていますが、日本の教育における成績評価制度で
なんともイケていないのは「5段階・100点満点的評価」であること。
つまり「6段階より上はなく、120点も存在しない」ということは
その子の潜在能力は自動的に・絶対的に遮断されてしまう仕組みになっている。
ここが大きな課題です。これが諸外国だと書いた論文・レポートの数で
成績評価されたりスコアリングされるので、100点以上も当然存在します。
そこは「優れた才能を拾いやすい制度や仕組み」があるのです。
ゆえに本も読むし、対話もするし、自己表現にも長けてくる。
考えてみれば当たり前ですよね?民族性というか、仕組みがそうなんだから。
でもグローバルであればこそ、こう行った力が必要なのは間違いありません。
だからこそ自分の国の言葉を学ぶ。自分の国の宗教や民族に興味を持つ。
そして自分なりに考えたことを、とりあえず言葉にしてみる。
食い違った意見の「なぜ?」を探求して、また問いを立てる。
こういう作業が大切であり、そのためにも国語を学ぶことが大切なのです。
⑤学んだ方が良い!其の三:道徳的な何か
冒頭のこうみくさんのツイートはとても未来を示唆しているなぁと感じます。
そしてこれこそ、今まであまり脚光を浴びてこなかった
(というか、教育の世界で本格的に研究されてこなかった)
そんな分野なのだと思います。協力してもらうスキル。
「ありがとう」を言えること、「ごめんね」が言えること。
そして相手を気遣うこと。以前ボクはこんな記事も書いています。
この中にもある「社交性」ってすごい大事ですよね。
でも現状は科目指導で学ぶ場・学ばせる場が無い。
で、今のところ比較的近いニュアンスなのは「道徳」なのかなぁ…と。
実はボク自身、まだ「科目」に寄せていくとここはしっくりこないんですけどね。
一番近いのは道徳。で、本当に学ぶべきは人との向き合い方とか
「どうやってみんなで協力していくか?」「どうやって感情に寄り添うか?」
こういうことをなるべくちびっこのうちから学ぶことに、
後々大きな意味を持ってくると思います。
さてさて、いかがでしたでしょうか?
今までの日本型教育
— マツ/学びのクリエイティブディレクター (@matukage1830) 2018年12月25日
「皆同じ・シンプル・早く・沢山」
これをいつまでも続けたらやばくなるのは火を見るより明らか。ならばどうするか?わかりやすいのはこの逆を意識すればヤバくならないってこと。
つまり
これからの日本型教育
「各々異なる・複雑・長期・少し」
これを少しずつでも目指すべし。
学ぶことは星の数ほどありますが、その全てを考えた時
未来に有利なのは上記の通り
「各々違っていて・複雑で・時間がかかる・ほんの少しのマニアックなもの」
これを自分なりに納得して選ぶ。そしてそれを学び続ける。
これができた人は、まず未来が不安になることもなく楽しく夢中でいられます。
そのためにも上に書いた3科目、とりあえず大切にして見てください。
同じ「3科目をとりあえず」でも数学・英語・国語を皆と同じようにやるより
100倍効果があるはずです(笑)
ではでは!