和+Liberal Arts=Re-Discover JAPANな話
日本て「ヤバい!」「未来が無い!」っていう人が多いですよね。
一方で、必要以上の楽観視する人たちも。
いろんな意見があることは悪いことではないし議論できること自体素敵。
でも客観的に見て良い国だよなぁ…って思います。
折角世界的に見ても良い国だし、元々が素晴らしい国民性があるわけで。
今回はそんな話について思うこと。
【本日の目次】
①久々の京都で感じたこと・考えたこと
仕事関連でしたが久々に京都に行きました!
何が良いって風情があること。先斗町とかは勿論だけど、
ガイドブックとかに載っていない普通の路地でも素敵。いとをかし。
水と緑も多くて、ボクはとても幸せな気分に浸れる街です。
でも意外と地元の方と話すと、観光地にはない魅力とか
何気ない色使いとか、ちょっとした仕草とか、そういう魅力に気づかないのです。
京都に来て感じたこと
— マツ☆creative leadership for KIDS (@matukage1830) 2018年9月15日
京都にずっと住んでいる人は
京都の魅力をうまく語れない
東京にずっと住んでいる人は
東京の魅力をうまく語れない
日本にだけ住んできた人は
日本の魅力をうまく語れない
そして
教育にだけずっと関わってきた人は
教育の本質を理解していない
内外とのバランスは大切
1日で仙台→京都→東京とまわって、どこに行っても不思議なくらい
「身近なものの良い悪い(特に良い部分)を言葉にできない」
こういう現象というか特徴を感じたのですよ。
その時ふと思ったのがデンマークで出会った学生の方とか
ベンチャーで働く人達との会話。
ごく自然に主語が「自分たちの国」になっているのです。
・自分たちの国をどう世界に売り込んでいくか?
・自分たちの国の強みは何か?
・どんな言葉で自分の国を語ると伝わりやすいか?
・(移民を受け入れたら)国としてのアイデンティティをどう維持するか?
「すごいなぁ」という思いと
「まあ日本は島国だからそういう会話になりにくかったんだよな」
みたいな思いとが入り混じりました。
グローバルと言われて久しい時代に思うこと。それは
・そろそろ「日本」を主語にしても良いかも。世代地域性別問わず。
・直感主観は大切にしつつ、客観や理屈とのバランスで日本を語ってみる
・大きく語るのは「えらそう」とか言う奴山ほどいるだろうな。。。
・でもそう思うのは「消滅危機がない国だから」かも。悪くないかな?
・そう言えるうちに「大きく考えて、小さく実行」が良いなぁ
こんなことです。
②日本の魅力って? 〜学んでおくと常に役立つこと
日本⇆欧米の特徴的な違い
— マツ☆creative leadership for KIDS (@matukage1830) 2018年9月16日
①他者と調和⇆自己が中心
②パラレル思考⇆シリーズ思考
③複雑化⇆単純化
④臨機応変⇆予定遵守
この違いを良し悪し・優劣ではなく、個性として活かす方向にもっていくと面白そうだ。
なぜか京都で閃く。
「欧米なんて概念は無い!」と言う論調も最近ありますが…(笑)
一般的にわかりやすいので「欧米」と言う言葉で比較。
最近「同調圧力」などと言う言葉が流行っていますし、
日本は島国で単一民族だから柔軟性や多様性に乏しいみたいな人もいますが、
でも一方で多神教で、多様であることにメチャ柔軟だったりする。
ん?
ちょっとわかりづらいですか?
わかりやすい例を挙げるとですね、以下のような感じ。
例1:クリスマスの1週間後に普通に正月を祝える
例2:個人の苦手っていう理由以外なんでも食べちゃう
例3:知らない間にハロウィン受け入れて、かつオリジナルな祭になってる
例4:バレンタインデーだっていつの間にか日本オリジナル
例5:ライスバーガーとかカレーパンとか普通
例6:洋服でも和服でもいろんな服装で歩いても違和感がない
こういうことって宗教観とか文化風土という文脈だとすごい魅力。
でもこれを以外と言葉にして、魅力として語ることはあまり無いです。
中世ヨーロッパのSeven Liberal Arts
— マツ☆creative leadership for KIDS (@matukage1830) 2018年9月16日
①grammar
②rhetoric
③logic
④arithmetic
⑤astronomy
⑥geometry
⑦theory of music
これらは「自分の力で世界を認識し、自らの考えを他者に伝えて動かす技」とされていたそうな。
この文脈は日本だと江戸〜明治期の「塾」が1番近い。
江戸文化を学ぼう。
昔こんな記事を書いていました。
この中でもちょっと触れていますが「liberal arts」の重要さ。
そして江戸から始まった「塾」というものの本質。
当時の塾はざっくりいえば以下の2点だけやっていたのです。
①読み書き計算くらいはやっといた方が良いよな!
②〇〇のこともっと詳しく知りたいから、興味ある奴やろうぜ!
特に②は、現代で言うところの「オンラインサロン」に近い組織でした。
だから私塾は興味ややりたい分野で結構な数に別れていた、という訳です。
江戸の学びと西洋のliberal artsの共通点。それは
「自分の力で世界を知り、自らの考えを他者に伝えて動かす技術」
ボクはこれだと思っています。
そう思うと今の中学校・高校あたりの教育はイケてない部分も多い。
そして大学も文系理系を変に分けることなく、
そして一般教養も社会に価値を直接与えていけるようなものに位置付ける。
中世ヨーロッパ7つのliberal artsのような全ての根っこにある学びを
自分の興味や関心のままに
気の合う仲間たちと学び合う経験をする。
これができる環境を見つけていく、作っていくことができると良いですね。
10代のうちが望ましいですが、今の日本であればいくつからでも
「見つけることができた」という人はそれだけでもラッキーです。
③遊びも、学びも、働きも「狭くて強い共感」
この記事を書いている頃は、あちこちのニュースで
「安室奈美恵引退ライブ」についてメチャ書かれています。
ひょっとしたら彼女は「日本最後の国民的アイドル」かもしれません。
畑野智美さんのnoteをたまたま読む機会があり、
「あぁ、そうかも」と思うことが綴られていました。
この中にある以下の一節。
『SUNNY』という映画が公開されています。
90年代に女子高校生だった主人公とその友人の話です。
予告を見るだけで「90年代ってこうだったよね!」と、わかります。
ルーズソックス、細い眉、安室ちゃん、オザケン、ジュディマリ。
世代的には、震えるほど懐かしいです。20年後、同じような映画を作ろうとしても、無理でしょう。
誰もが共通して「ああ、2010年代って、こうだった」と思い出すようなものは、とても少ないです。Youtube、Abema TV、SNS、2.5次元、深夜アニメ、スマホのゲーム、その他色々。
興味の方向がバラバラです。
みんなで地上波を見ている時代は、もう何年も前に終わりました。
マスメディアの終焉、とか言いますよね。
多様であるということは共感がなくなっていくことでもあるかもしれません。
同一であることを求めつつも、受け入れてしまえば変化にも極めて柔軟。
今はその過渡期ですよね。
ボクたち日本人が日本の魅力を語るとき、この
「色んな興味・価値観・信念が複雑に絡み合って、絶妙なバランスで
複雑にして膨大多数なコミュニティがある」
という状態は世界に誇れる大きな武器になる気がします。
そうするとまず個人個人は「狭くても深くて強い」そんな場を
想い想いに見つけて繋がっていく。そこを言語化してみる。
そしてパラレル思考でコミュニティを行き来してみる。
また言語化する。
これを繰り返した後「日本は」という主語で語るとかなり面白くなる。
そんな気がしてなりません。
④「いいかげん=良い加減」ぼやけていることが魅力
で、最後のポイントは、日本は「明確な定義などなくても良い」ということ。
散々上記に挙げたことをやってみて、議論して、
でも最後はなんかぼやけている。明確なものが見えにくい。
ボクはそれで良い、それが良いのでは?と思っています。
いつでも「なんだかわからない」でも「なんとなくわかる」
この感じは日本独特な感じがします。
もし日本を観光大国にするならば
「いつ行っても新しく、いつ来ても懐かしい国、JAPAN」
みたいなキャッチフレーズ(笑)
そもそも日本の美意識ってそこにありますよね?
それは現代でも存分に利用して、差別化を図る。あると思います!
さて、いかがでしたでしょうか?
日本らしい「和」のマインドって何なんだろう?
そして西洋のliberal artsにも学びながら、原点回帰もしながら
もう一度、改めて日本を見つめてみる。
それはきっとボクたち個人の働き方や学び方のアップデートでもあり
その積み重ねは日本を再興する力にも変わると思っています。
個人と国のWIN−WIN!やらない手は無い(笑)
大きく考えて、小さく行動する。
少しずつでも実践できることが大切だと思います。
ではでは!