マツのみらい商店

大人も子供も楽しく学びあえる場作り=21世紀の学びを日々研究。日本で唯一の北欧流ビジネスデザインアカデミアLeare Academyの1期生。真剣な課題を面白く、面白い課題を真剣に。 年中夢求で営業中です。

自分らしさではなく自己中心の人生が最高なのかも

フランスの入試制度は面白いですよね。

「哲学」という科目は、試験時間が4時間だったりする。。。

ボクたちから見たらクレイジー以外のなにものでもないですよね、今は。

でも面白いし、正解の数や点数を競うのではなく

自分の純粋な考えを披露する。そのクールなこと!

例えば哲学ではこんな問題が出たことがあります。

「なぜ自分自身のことを知ろうと努めるのか?」

面白いですよね。皆さんはどのように考え答えますか?

 

【本日の目次】

 

 

①自分らしさ+自己中心的思考

「自分らしさって何だろう?」とか考えたことある人いますか?

結構多い気もします。世代によらず。

でもこれって探し続けてもあまり答えがないような…

で、結局自分らしさを意識しすぎて振り回されてしまう。

あるいは周りの目を機にすることになってしまう、みたいな。

誰でも一度は通る道なので良いのかな、とも思います。

 

最近のボクはこれについては一応の答えが出た気がします。それは。

「自分らしさとか、そんなに追求しなくても良いのでは?」ということ。

そしてその代わりに

「もっと自己中心的な生き方で良いよね!そのほうが楽!」

こんな生き方で良いのかな、そしてその方が結果的に周りに優しくなれるのかな、と。

 

 

②誰かの為と思うこと=他人への要求になりがちな効率化社会

「誰かのために生きる」ということは決して否定されることではありません。

が、最近思うのです。

資本主義社会というか、生産性や効率性を求める文脈でのコミュニティだと

結局それによるなんらかの成果や変化を他人や外部に求めてしまっているよなぁ、と。

上のツイートもそう。

働き方改革っていろんな意味合いがあるのだけれど、

やはり成果報告的なものが登場しないと批判も多くなるのが今の世界。

「労働時間・残業を◯%減らして、生産効率は△%上がりました!」

「週3日休日にして4日だけ働いても売り上げは◯%上がりました!」

こういうのは悪くないんだけど、目的化するものかといったら微妙。

従業員側だって「会社のために働いているのだから」とかいうよくわからん論理で

会社という自分以外のものに必要以上・価値以上の見返りを求めたりする。

同じセリフでも、考え方の根本というか切り口が違うんだと思うんですよね。

美しいはずの思想は、効率化社会・生産的な社会においては「?」になる。

そんなことも往往にしてあるのかな、と思ってしまう今日この頃です。

 

 

③超格差社会は「自己中心思考」と「弱さの余白」が鍵だ!

ちびっ子も、大人たちも、おそらく未来は「自己中心的に生きる」

これは一つの未来を生きるコツな気がしてなりません。

既に色々な人が似たようなことをお話ししている気もしますが。

例えば尾原和啓さんとか。

この本やモチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書 (NewsPicks Book)

とかはまさにある意味「自己中心的に生きた方がよいよ!

というメッセージが込められている本だと思います。

勘違いしてはいけないのは「自己中心的=他人に迷惑や我儘があっても良い」

こういうことではありませんよ、ということ。

自己中心的思考で生きた時、自分はどういう価値や考えを形にできるのか?

さらに自己中心的であるとき、自分の欠陥や欠落はどんなものなのか?

とりあえず周りを気にしようがしまいが自分にとって大切なことは何か?

その大切なことが周囲にもたらす影響とか可能性ってどんなものがあるのか?

 

そんなことを日常的に考えておくことがすごく大事なんだろうと思います。

そして未来訪れる超格差社会

これは今までの文脈でいうと「所得格差」をイメージする人が多い。

でもボクは実際は違うと思っています。所得格差以上に感覚格差が二極化する。

この「感覚格差」もまだふわっとした言葉ですが、ボクはこのイメージ。

 

最初のツイートにもありますが

無益でも自分らしさを優先した行動やセリフの方が幸福度は高まる。

自分にとってのかっこよさ・美しさを追求して言語化することが価値になる。

周りが賛成しなくても、自分だけに大切な真実が大きなリターンを生む。

 

これらのフレーズってイノベーティブである一方で

生産性・効率性を追求したコミュニティではピンとこないし受け入れられにくい。

でも、こういうことを「感覚的にでも」わかる人はとても強い。

そして「結果的に」お金もそうでしょうけれども、それ以外のものも手にするはず。

それも莫大な質量のものを。

 

有意義にして有益な人生を掴もうとすればこそ

有益か否かの尺度を捨てて考えてみる。

そして自己中心的に、自分軸の美學哲学を創り上げる。

 

「自分らしさの追求」ってなんか堅苦しい感じしますしね(笑)

自分の美学や偏愛や大切な真実をさらけ出し続けていれば

やっていることは同じでも、知らない間に社会に何らかのインパクトを与える。

これはあるのだと思います。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

まだまだ、まだまだ結局他人の目や見返りを気にする色は濃く残っていますが

これを捨ててしまうところから格差を乗り越えて楽しく未来を生きることが始まる。

そんな感じしませんか?

ちびっ子たちには「人に優しく、でも自己中心に生きるためには?」

これを結構きちんと教える仕組みを考えて見たいですね!

 

ではでは!

鮮烈に記憶に残る!漫画・本の飲み食い描写5選

これを書いている日、ボクは誕生日を迎えたんですよ。

で、誕生日にぼんやりと色々振り返ったり整理したり

母上と電話で取り止めもないトークを展開していたら

「なんか昔ってよく本とか漫画、眺めていたなぁ」って思い出したんです。

読むというより眺めていました。

なにを眺めていたのか?

それは何かを食べる描写。ここです。

今でも食べることは大好きで、時折エンゲル係数が跳ね上がるのですが

子供の頃からその兆候がありました。

とにかくいろんな本に登場する、食べる描写が好き。

今回は自分の思いで振り返りと共に「この本のココの食べる系描写最高!」

これをご紹介。きっとあなたも食べたくなる…ハズ。

 

【本日の目次】

 

 

 

ヘンゼルとグレーテル

ご存知「グリム童話」のお話の一つ。貧乏なきこりの家に暮らす

男の子ヘンゼルと、女の子グレーテル。実はこのブログを書くまで

物語のストーリーとか全然思い出せないでいました。

改めてストーリーを確認すると…なかなか怖い(笑)

そもそもが両親に捨てられるところから物語が始まるのですね。。。

で、人食い魔女に捕まって、食べられそうになるけれども

逆に人食い魔女を殺してお宝を奪い、家に戻ってまた家族で幸せに暮らす。

すごい展開ですね。。魔女も溜まったものではありませんね。

元々はヘンゼルとグレーテルがお菓子の家を食べてしまったのですから。

しかも自分たちを捨てた両親とまた幸せに暮らすって…

あ、でも物語のストーリーではなくて、今回はあくまでも

印象的な「食べ物の描写」なんです。

そう!ボクはこの本に出てくる「お菓子の家」にすっかり魅了されたのです。

 ・屋根の瓦はチョコ

 ・窓ガラスは砂糖でできたお菓子

 ・入り口の扉がクッキー

当時のボクは「こんな家あるんかいな!」と興奮して読んでいました。

で、それを見ていた母がボクにいうのです。

「じゃあクリスマスにみんなで作る?」

何と衝撃的な響き。。。作る?お菓子の家を??

クリスマスが待ち遠しくて毎日カレンダーを眺めていた時期がありました。

で、クリスマスにスーパーに行って、

イメージにできるだけ近いお菓子を大量に買ってもらって。。。

家で昼過ぎくらいから作りました。夕方までかかって!

当時の写真は流石に無いのですが、イメージはこんな感じ。

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もう少し庶民的だった気もしますが、一番近いイメージです。

まあ子供が作ったものですから(笑)

いやーでも感激しながら、勿体無い!と思いながら食べたなあ…

 

アタゴオル物語

ますむら・ひろしさんの作品集。主人公のネコがインパクト強くて…

名前は覚えていなかったのですが、とにかくこの顔だけは妙に覚えていました。

どうやら名前は「ナゾノ・ヒデヨシ」だそうで。

まあボク、この本は(も?)まっったくストーリーとか覚えていません(笑)

ていうか、特にこの本は小さい頃も物語として読んでいたのではなく

「食べ物のイメージ」で読んでいました。

まず、ヒデヨシの好物は酢ダコ

この時点でグッと来ませんか?ボクはこれでやられていました。

確か漫画の中でも、船の先頭に座ったヒデヨシが、ザラザラした舌で

酢だこを削り取るように食べるシーンがあったと記憶しています。

妙に酢だこが美味しいものなのでは?と想像させてくれるには十分でした。

(当時ボクは酢ダコを食べたことがなかった)

そして食べ物の名前でメチャクチャ記憶に残っているのは

銀クジラ」と「ベニマグロ」の二つでした。 

え?なにそれ?この世にあるん??

どこで食えんの????

そんなことを真剣に考えていました。

多分実在しないですよね?って今でも聞いてしまう。

あぁ・・・食べてみたい。特に銀クジラ。。。

 

ピノッキオ

この物語はあまりにも有名ですね。

この本はボクも「読み物」としてもちゃんと(笑)よく読んでいました。

この本もきちんと読むと華香な長編だったと記憶していて、

当時ちびっ子だったボクは時間をかけて読んだものです。

この本の中にも何度かピノッキオが食事をするシーンが出て来ます。

その中でも妙に記憶に残っているシーンがありました。

おじいちゃんだったかな?誰かの手伝いをせっせと行ったピノッキオに

ご褒美だったか休憩の時間にご飯が振る舞われるのですね。

(すみません、かなり記憶が曖昧です)

足しkそのワンシーンで出されるのが

ホットミルク・カリフラワーの酢漬け、そして

「星型の形をした砂糖菓子」

なるものが出されているのです。これも想像力が掻き立てられる!

 一体どんなお菓子なんだろう?お店で買えるのか?

でもお店で「星型の砂糖菓子ください」って言っても困るだろうな…

そんなことを悶々と考えました。

漫画とか童話って、色々想像させられる謎の食べ物が多い。

そんな気がするの、ボクだけでしょうか??

 

 

④ロビンソンクルーソー

これもピノッキオと同様、物語としてとてもよく読みました。

すごくワクワクしながら読んだのを思い出しました。

これも物語の中で色々なものを食べる描写が出て来ますよね。

生きるために色々食べ物も工夫する描写が面白かったなぁ、と。

 

その中でも「ラム酒」が確かよく出て来たなぁ、と。

当時は当然ちびっ子でしたからお酒の味などわかりません。

でも美味しそうに飲んでいたり、病気だか何かから身を守るために

タバコの葉をつけたラム酒を飲むシーンが出て来たり。

あと畑を作ってパン(らしきもの?)焼いて食べるシーンとか

ヤギを飼育するシーンとか。

ただただ「すげぇなぁ」と思って読んでいました。

今思えば、この本の影響で我が家はヤギを飼い始めたのです… 

この本の中で出てくるあらゆるものは食べて見たい、試したい!

そんな風に思っていました。

結局大人になって、お酒ってめちゃ不味いと感じることは残念でした…

 

ムーミンと魔法の帽子

ムーミンは我が家に昔から置いてある本でしたね。

モモ (岩波少年文庫(127))」とか「はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)

と共に本棚に並んでいました。

絵本ではなく、比較的小さい文字の、ハードカバーの本。

なので、この本はあまり読まなかった(笑)

でも、これも妙に記憶に残っているのが魔法の帽子。

確かくろいシルクハットだったような…

防止の中にいろんなものを入れると魔法がかかって

全然別のものになっちゃうんですよね。

確か卵の殻を入れたらフワフワの白い雲になったりとか。

 

で、ここでも「お!」と思った食べ物の描写。

このシルクハットに川の水を入れてみると…

とても美味しい木苺のジュースになっているのです。

当時ボクはそこまで甘いものは好きではなかったのですが、

(大人のおつまみ的なものが好物という変わり者)

このジュースの描写を見て、変にジュースが飲みたくなったものでした。

そして木苺のジュースって、そもそもあまり見かけませんよね。

いちごは見ても。いやぁ、魅かれました…。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

ご存知のものありましたか?

そして「おいおいちょっとストーリー違うぞ!」というツッコミはご勘弁を(笑)

幼少のかすかな記憶を辿って書いておりますので。

 

皆様にもきっと強烈な記憶に残る

「漫画・映画・本の飲み食い描写」はあるはず。。。

 

ではでは!

和+Liberal Arts=Re-Discover JAPANな話

日本て「ヤバい!」「未来が無い!」っていう人が多いですよね。

一方で、必要以上の楽観視する人たちも。

いろんな意見があることは悪いことではないし議論できること自体素敵。

でも客観的に見て良い国だよなぁ…って思います。

折角世界的に見ても良い国だし、元々が素晴らしい国民性があるわけで。

今回はそんな話について思うこと。

 

【本日の目次】

 

 

①久々の京都で感じたこと・考えたこと

仕事関連でしたが久々に京都に行きました!

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何が良いって風情があること。先斗町とかは勿論だけど、

ガイドブックとかに載っていない普通の路地でも素敵。いとをかし。

水と緑も多くて、ボクはとても幸せな気分に浸れる街です。

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でも意外と地元の方と話すと、観光地にはない魅力とか

何気ない色使いとか、ちょっとした仕草とか、そういう魅力に気づかないのです。

1日で仙台→京都→東京とまわって、どこに行っても不思議なくらい

「身近なものの良い悪い(特に良い部分)を言葉にできない」

こういう現象というか特徴を感じたのですよ。

 

その時ふと思ったのがデンマークで出会った学生の方とか

ベンチャーで働く人達との会話。

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ごく自然に主語が「自分たちの国」になっているのです。

 ・自分たちの国をどう世界に売り込んでいくか?

 ・自分たちの国の強みは何か?

 ・どんな言葉で自分の国を語ると伝わりやすいか?

 ・(移民を受け入れたら)国としてのアイデンティティをどう維持するか?

「すごいなぁ」という思いと

「まあ日本は島国だからそういう会話になりにくかったんだよな」

みたいな思いとが入り混じりました。

グローバルと言われて久しい時代に思うこと。それは

 ・そろそろ「日本」を主語にしても良いかも。世代地域性別問わず。

 ・直感主観は大切にしつつ、客観や理屈とのバランスで日本を語ってみる

 ・大きく語るのは「えらそう」とか言う奴山ほどいるだろうな。。。

 ・でもそう思うのは「消滅危機がない国だから」かも。悪くないかな?

 ・そう言えるうちに「大きく考えて、小さく実行」が良いなぁ

こんなことです。

 

②日本の魅力って? 〜学んでおくと常に役立つこと

「欧米なんて概念は無い!」と言う論調も最近ありますが…(笑)

一般的にわかりやすいので「欧米」と言う言葉で比較。

最近「同調圧力」などと言う言葉が流行っていますし、

日本は島国で単一民族だから柔軟性や多様性に乏しいみたいな人もいますが、

でも一方で多神教で、多様であることにメチャ柔軟だったりする。

ん?

ちょっとわかりづらいですか?

わかりやすい例を挙げるとですね、以下のような感じ。

 例1:クリスマスの1週間後に普通に正月を祝える

 例2:個人の苦手っていう理由以外なんでも食べちゃう

 例3:知らない間にハロウィン受け入れて、かつオリジナルな祭になってる

 例4:バレンタインデーだっていつの間にか日本オリジナル

 例5:ライスバーガーとかカレーパンとか普通

 例6:洋服でも和服でもいろんな服装で歩いても違和感がない

こういうことって宗教観とか文化風土という文脈だとすごい魅力。

でもこれを以外と言葉にして、魅力として語ることはあまり無いです。

 昔こんな記事を書いていました。

mirai-syouten.hatenablog.com

この中でもちょっと触れていますが「liberal arts」の重要さ。

そして江戸から始まった「塾」というものの本質。

当時の塾はざっくりいえば以下の2点だけやっていたのです。

 ①読み書き計算くらいはやっといた方が良いよな!

 ②〇〇のこともっと詳しく知りたいから、興味ある奴やろうぜ!

特に②は、現代で言うところの「オンラインサロン」に近い組織でした。 

だから私塾は興味ややりたい分野で結構な数に別れていた、という訳です。

江戸の学びと西洋のliberal artsの共通点。それは

「自分の力で世界を知り、自らの考えを他者に伝えて動かす技術」

ボクはこれだと思っています。

そう思うと今の中学校・高校あたりの教育はイケてない部分も多い。

そして大学も文系理系を変に分けることなく、

そして一般教養も社会に価値を直接与えていけるようなものに位置付ける。

中世ヨーロッパ7つのliberal artsのような全ての根っこにある学びを

自分の興味や関心のままに

気の合う仲間たちと学び合う経験をする。

これができる環境を見つけていく、作っていくことができると良いですね。

10代のうちが望ましいですが、今の日本であればいくつからでも

「見つけることができた」という人はそれだけでもラッキーです。

 

③遊びも、学びも、働きも「狭くて強い共感」

この記事を書いている頃は、あちこちのニュースで

安室奈美恵引退ライブ」についてメチャ書かれています。

ひょっとしたら彼女は「日本最後の国民的アイドル」かもしれません。

畑野智美さんのnoteをたまたま読む機会があり、

「あぁ、そうかも」と思うことが綴られていました。

note.mu

この中にある以下の一節。

『SUNNY』という映画が公開されています。
90年代に女子高校生だった主人公とその友人の話です。
予告を見るだけで「90年代ってこうだったよね!」と、わかります。
ルーズソックス、細い眉、安室ちゃん、オザケンジュディマリ
世代的には、震えるほど懐かしいです。

20年後、同じような映画を作ろうとしても、無理でしょう。
誰もが共通して「ああ、2010年代って、こうだった」と思い出すようなものは、とても少ないです。

Youtube、Abema TV、SNS、2.5次元、深夜アニメ、スマホのゲーム、その他色々。

興味の方向がバラバラです。
みんなで地上波を見ている時代は、もう何年も前に終わりました。

マスメディアの終焉、とか言いますよね。

多様であるということは共感がなくなっていくことでもあるかもしれません。

単一民族でありながら多神教

同一であることを求めつつも、受け入れてしまえば変化にも極めて柔軟。

今はその過渡期ですよね。

ボクたち日本人が日本の魅力を語るとき、この

「色んな興味・価値観・信念が複雑に絡み合って、絶妙なバランスで

複雑にして膨大多数なコミュニティがある」

という状態は世界に誇れる大きな武器になる気がします。

そうするとまず個人個人は「狭くても深くて強い」そんな場を

想い想いに見つけて繋がっていく。そこを言語化してみる。

そしてパラレル思考でコミュニティを行き来してみる。

また言語化する。

これを繰り返した後「日本は」という主語で語るとかなり面白くなる。

そんな気がしてなりません。

 

④「いいかげん=良い加減」ぼやけていることが魅力

で、最後のポイントは、日本は「明確な定義などなくても良い」ということ。

 散々上記に挙げたことをやってみて、議論して、

でも最後はなんかぼやけている。明確なものが見えにくい。

ボクはそれで良い、それが良いのでは?と思っています。

いつでも「なんだかわからない」でも「なんとなくわかる」

この感じは日本独特な感じがします。

もし日本を観光大国にするならば

「いつ行っても新しく、いつ来ても懐かしい国、JAPAN」

みたいなキャッチフレーズ(笑)

そもそも日本の美意識ってそこにありますよね?

それは現代でも存分に利用して、差別化を図る。あると思います!

 

さて、いかがでしたでしょうか?

日本らしい「和」のマインドって何なんだろう?

そして西洋のliberal artsにも学びながら、原点回帰もしながら

もう一度、改めて日本を見つめてみる。

それはきっとボクたち個人の働き方や学び方のアップデートでもあり

その積み重ねは日本を再興する力にも変わると思っています。

個人と国のWIN−WIN!やらない手は無い(笑)

 

大きく考えて、小さく行動する。

少しずつでも実践できることが大切だと思います。

ではでは!

トレンド予測とワクワク感で素敵な未来を創る方法

 

皆さん『global trendas』って知っていますか?

米国国家情報会議(通称NIC)がまとめている未来洞察のレポート。

けっこう悲観的な視点で書かれているので、ちゃんと読むと色んな意味でゲンナリするんですけどね(笑)

5年おきの未来洞察が書かれています。2025年・2030年、そして2035年

このレポートで考えたことと、「結局は何が大事なのよ?」について考えてみました。

 

【本日の目次】

 

 

①global trendsによると未来はどうなる?

ぞれぞれのレポートは公的機関がまとめてくれています。

NICレポート(GLOBAL TRENDS 2025):文部科学省

この時のレポート名は「A Transformed World」でした。変容する世界。

小難しいことが色々書いてありますが、簡単にあげると以下のようなこと。

 ・新興勢力が力つけるかも→特にインドとかロシア=BRICsの解体?

 ・気候変動は注意が必要。10月とか特に。

 ・資源問題、食糧危機、そして上記気候変動など国家横断的課題が目立つ

 ・多極多様なシステムや国家のあり方が問題課題をより複雑にしそう

 

2030年のglobal trendsは海上自衛隊学校のサイトにまとまっていました。

トピックス016 | 海上自衛隊幹部学校

2030年予測の名前は「Alternative Worlds」役は「多層化する世界」かな?

書いてあるのは以下の通り

 ・個人の力が増す=覇権国家が生まれにくい

 ・高齢化が進み経済力が衰える国と、若者によって伸びる国が分かれそう

 ・世界で見ると中間層はインドなどを中心に増える

 ・水や食料の問題は大きくなりそう

 ・結果、紛争などの危機も複雑化、多様化しそう

 ・新しいテクノロジーの進化はどう影響するか?

 

うん。

全体的にネガティブなことばっかり書いてありますね(笑)

読んでいても決してワクワクはしない。

で、2035年のtrendsについてはまだ公的機関でまとめはなさそうです。

が、冒頭にやや乱暴な超要約ツイートを貼りました。

2035年は「Paradox of progress」(進化の逆説)で、要は

「不安や不満を解消するはずの情報技術は幸せとともに新たな不安も作っている!」

これについて色々書いてあるなぁ、って思います。

さらに「変が激しすぎるからトレンドも予測不能だよ!」ともあります。。。

国家レベルでも、もはや未来予測や洞察は難しいってことです。

 

②未来予想に意味はない?未来の考え方

落合陽一さんの「魔法の世紀」という本。

こちら、ボクは実はまだ読んでいないのですが、落合さんがいろんな場所で

仰っていることで「tech&AIの進化で生活は16世紀に戻り魔術化する」

みたいな表現をされていることがあります。

要は「なぜその現象が起きたのか、その場ではわからずに後から答え合わせをする」

みたいなことがAIの進化によって起こるというわけですね。

昔は科学や技術が発達していなかったからわからないことがたくさんあった。

で、それを解明するために様々な学問・技術が進化したけれども

進化しすぎて(?)結局またわかりづらくなっちゃった。。。ということ。

 

じゃあ未来はどう捉えていくのが良いのか?ボクはが思うのは

「予想しても無駄だ」ということ。予想はよそう、と(笑)

まあオヤジギャグついで書くならば「よそう」は逆さまに読めば「うそよ(嘘よ)」です。

まあ当たらないし、当てようとしてもしょうがないです。

その代わり、いろんな予測からいくつかの共通点を見出したりして

「あれ?ひょっとしたらこういうことはどう転んでも起きそうじゃね?」みたいに

いくつかのシナリオやストーリーを想像しておくのはいいかもしれません。

例えばこうやってglobal trendsを並べて見て「ありそうじゃね?」というのは以下のもの。

 ・個人の力がつく、つけやすくなる→国家独立&フリーランス増加の傾向

 ・気候変動は十分な注意が必要

 ・食糧危機や水の問題は起こりそう→食べ物・健康に強くなっておくべき

 ・「あらゆる想定外はあるもの」って思っておいた方がいい。その方が気が楽。

ボクは何かを教える時、仕事でより良い成果を出そうとする時、大きな計画を立てる時

上に書いたようなことを意識しますし、仲間や部下にも伝えます。

「手巻き寿司みたいなやり方が一番良い」と。

どういうことか?それはおおよその具材(ルール・手法)はいくつか渡しておく。

あとは自由。組み合わせ方も、どこからいくかも。

手巻き寿司ってそんな感じしません?

海苔とご飯はとりあえず使う。あとは沢山のバラエティにとんだ具材たち。

これは勝手に使えばいい。そして自分だけのオリジナルの美味しさに出会う、みたいな。

未来予想もこれと同じで、最低限こんなキーワードだけ頭に放り込んだら、

あとは思い思いに動いて生活して「自分だけの美味しさ」を見つける。

これが案外真理なのだと思っています。

 

③Driveがかかる瞬間や場所を探す

 

モチベーションとドライブって意味合いが違う気がするんですよね。

モチベーションって「やる気」の中でも外的な要素が強いというか。

要は「報酬」「お駄賃」「賞賛されること」とかで動く、みたいな。

それに対してドライブはもっと事故中心的というか内的動機というか…

「周りはさておき、なんか自分はめっちゃワクワクする」みたいな。

改めてこういう本を読み直してもいいかもしれませんね。

ボクは長くてくどい本は苦手なんですが(笑)

ほぼ間違いなく言えること。それは以下の点です。

 ・オール4みたいな学びや仕事に価値などなくなる

 ・通知表でいえば1と5が混在しているくらいが人間らしい

 ・ワクワクドキドキ高揚感。これとどれだけで会えるか=自分の人生価値

 ・何かを努力する。失敗する。悔し涙が流れる。それは大いなる価値になる。

 ・「逃げてもいいんだよ!」で逃げても意味はない。自分と向き合う姿勢。

 ・誰かの目は「気にするもの」から「共感共有を作る機会や装置」に変わる

 ・哲学やビジョンの中での喧嘩や口論は美しい。それ以外はゴミ以下になる。

ボクがつい先日、たまたま仕事の会合で出会った5歳のちびっ子はまさにこれ。

200〜300人はいたであろう大人の目線や、お母さんのハラハラなどどこ吹く風。

じーっとマイクを見つめて、その音の大きさや響きにただただ感動していました。

 

周りの人たちはゲラゲラ笑ったり、若干不安そうな顔で役員の様子を伺っていましたが

ボクはそれもお構いなく、膝をついてマイクをいじるちびっ子を

頼もしく羨ましく眺めていました。彼にとってドライブがかかった瞬間です。

こういう機会をいかに作ってあげられるか?これが教育であり、大人の役目かな、と。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

「ドライビングフォース」という言葉はこれから大人もちびっこも大切な言葉になる。

ボクはそんな風に読んでいます。

誰の、どんな切り口でも、どんな情報やデータがあっても未来はわからないことだらけ。

データや情報がありすぎるからわからないことだらけなんでしょうね(笑)

 

わからない不安からなんとなく無難にまとまることすらできない時代。

ならば過去にすがらず、過去に敬意を払いつつ、未来を夢見ながら現在を精一杯。

これが結局最高のようです。

「心で感じるいい匂い」を信じて動くことが大切ですね。

 

ではでは!

「未来の学校」を考える 〜フリーランスを育む学びシステムは産まれるか?

【本日の目次】

 

①子供達にとって価値あるコミュニティ

最近思うんですね。

「大人にとって働く環境というのは何だかんだ多様になり、かつ整ってきた」と。

もちろん「整う」という表現には賛否ありそうですが

それにしても「働き方改革法案」然り、女性社会進出・(とりあえず)多用性然り。

地域による違いこそあれ随分と選択肢も増え、本人次第では選べる時代になっています。

ただ、まだこれから進化していくって感じですよね。

今たくさん出ている本を読んでいても気づくことは容易です。これとか。

 

そうなると次に気になるのは子供達のコミュニティ。

 ・子供達は自分の意思で環境を選択しづらい

 ・学校関係者やアカデミアの人は頭固い面倒な人が多い

 ・ブラック企業やヤバい学校ほど辞めにくい、辞めさせてくれない。

 ・要は大人たちが変わることによって子供も変化しやすいのは変わらない

このような傾向は結構当てはまるのでは?そうすると生活時間の大半を

「過ごさざるを得ない」学校という環境は、仮に親の意識が高かったとしても

それ以外の影響を物理的・時間的に多分に受けてしまうという点でかなり厄介。

そして「ヤバいな」と思ってもなかなか環境を変えづらい。

ある意味大人が会社を辞めて転職するよりもハードルが高いかも。

親たちは自分の決断は比較的しやすくても、子供のことを考えると

自分の決断では考えなかったことを考えてしまう…

これ、次の10年の大きな課題になる気がしています。大人や今の社会は少しずつですが

働き方・学び方も変わってきている。付き合うコミュニティも経済圏も多様化する。

そして多様な世界を行き来する。こうしたおおよその方向性はわかります。

では未来、その世界を行き来することが何と無くしかわからない、

コミュニティや社会の狭間を行き来せざるを得ない子供達の感受性はどうなるか?

多分ここは大きな課題になるかもしれません。

今はインターナショナルスクールなどに通わせることでこうした不安や課題に

立ち向かっている人はいますが、もっと幅広くいろんな場所でこれらの解決に向かい

上記に挙げたような「自分らしさを掴める環境」を、

学校というか、10歳までの成長の期間・そして多感な時期に用意してあげたいですね。

 

②「未来の学校」とはどのようなところだろう?

 学校の内部をそんなに知っているわけではないですけど

民間教育に関わり、たくさんのちびっ子たちと話してきた身としては

「子供達が何をイケていないと感じているか?」

「子供達と話していて『なぜそうなっているかが謎だ!』と共感するところ」

こういうのはよくわかります。例えばこんな感じ。

 ・何で同じ年齢学年で授業受けないといけないの?

 ・「先生の言うことは聞きなさい」これって何で?

 ・給食はやっぱり残さないで食べなきゃいけないの?

 ・わかっているから答えたくて喋ると叱られる・・・ 

 ・授業がつまらないから聞いていないと叱られる・・・

 ・「みんなが静かにしないと授業が始まらないよ!」って何で?

 ・算数って、家庭科って勉強しておくと何の意味があるの?

まあこう言うことはよく聞きます。「ああ、今だにあるのね…」っていうのもあります。

その中でもボクが特に思うのは二つで

 ①何にしても「子供が自分で選んで作っていく」この経験はさせるべき

 ②上記をできるためにも「学年を超えて学ぶコミュニティ」は大切

色々なことをひっくるめてシンプルに整理すると

「未来の学校」はこの二つがあれば、あとは地域や状況によって柔軟であるべき。

このシンプルな二つで、実はかなりのことが良い方に変わっていくと思います。

 

フリーランスを是として育む仕組みは今から考えておくべき

ちょっと前に読んだ本で、面白く興味深く読んだ本はこちら。

著者の尾原和啓さんのかつて所属した会社での経験や体験から

たくさんの「未来の働き方」が提示されています。会社での経験をもとに書かれていますが

その提言内容は、間違いなく未来は「単なる企業勤め」ではなく

フリーランス、さらにはいまだと想像もつかないような働き方にも触れています。

ツイートした通り、すでにアメリカではフリーランスの勢力分布が相当な状態です。

日本の今後、過去のアメリカと日本のトレンド推移などを考えると

あるいは「働き方改革」の第2次・第3次を考えると…

そして何より日本は学校教育と産業社会の構造が双子である点を考えると…

フリーランス的職業観」を心理的ハードルなく捉えて学べる場を作ったほうが良い。

その必要性をとても強く感じます。

 

今はちょうど狭間の世界。

「辞めていいんだよ!」「自由でいいんだよ!」こういうメッセージは一瞬有難い。

でも、次の瞬間「あれ?で、どうすればいいんだっけ?」

ここにはまだ簡単に翼は生えてこないと思います。

逃げ切り世代でもない、新しい経済圏への移行に痛みもあるのが20〜30代。

そんな気がします。だからこそ、その感情や経験を、次の教育へ生かしていく。

イメージは「自分らしさ」「フリーランス的発想の育成」「無学年・多学年」

こんなキーコンセプトで新しい「未来の学び場」を作っていく必要はありますね。

 

さて、如何でしたでしょうか?

ちょっと気が早い気もする、しかし圧倒的に必要になる「未来の学校」の在り方。

こんなところについても具体的に動いてみようかな…そんなことを思って書いてみました。

ここに書いてない、まだ発想や言葉にもなっていない「日本らしい教育」も含めて…

「より良い」とか「ベスト」とかいう言葉とはまた別の、

「あぁ!そういうのもアリだね!」そんな学びを考えるきっかけを作りたいですね。

 

ではでは!

21世紀のヒーロー像・道徳を考える

皆さん「ヒーロー」という言葉から連想する人物・キャラクターは誰ですか?

おそらく生まれた年代によってずいぶん違うんじゃないかな・・・と思うのです。

今回はヒーローと道徳のことについて考えてみました。ではいってみましょう!

【本日の目次】

 

 

①「ヒーロー」という言葉から想像するキャラは?

出てくるキャラは世代ごとに様々なのだと思います。

例えば「70年代 ヒーロー」とか「70年代 有名人」でググる

以下のような方々が登場します。(一部抜粋)

 70年代ヒーロー:仮面ライダーウルトラマン・超人バロム・魔女はホットなお年頃

 70年代有名人:天地真理山口百恵伊藤咲子・アグネスラム・川島なお美

『魔女はホットなお年頃』って全く知りませんでした。ちょっと調べてみました。

 うーむ・・・イラスト見てもわかりません。。。

ちなみに「70年代」を「90年代」に変えると出てくるのはこんな感じ(一部抜粋)

 90年代ヒーロー:有言実行シュシュトリアン・うたう!大竜宮城・ブルースワット

 90年代有名人:内田有紀木村拓哉小室ファミリー・その他多数・・・

調べてみてわかりましたが、70年代の有名人て、人数こそ多いですが

割とスパッと調べられます。90年代は切り口が多すぎてカオス(笑)

で、ふと思ったのです。

ヒーローに共通することってどんなことだろう?

冒頭のツイートにも書きましたが、興味深いのは時代ごとに

ヒーローを象徴する言葉が移り変わっていくこと。マスメディアがまだまだ当たり前、

そんな時代は、時代性も一定のベクトルに向いていますので、

ドラマ・CM、そしてヒーローや有名人のイメージは皆似てくるのだと思います。

すると今や「多様性」が大好きな日本人にとって「国民的ヒーロー」という言葉は、

もはや虚像なのかも知れません。

 

②ヒーローと倫理道徳の関係性

ヒーローの定義や受け取り方は時代それぞれですが、ヒーローが現れた時の

凡そ全年代の一般的な共通点。それは「憧れて真似てみる」ということだと思います。

憧れや真似ることは決して悪いことではないと思います。

憧れの人が身につけているものが欲しくなったり、

憧れている人と立ち居振る舞いを同じようにしたいという欲求も少なからずあります。

 

が、最近改めて「考えた方が良いなぁ」と思ったのは、憧れと道徳の関係性

例えばアンパンマンバイキンマンを「アンパンチ」でやっつけます。

ちびっ子達・あるいは大人も「憧れる→真似る」というのは良くあること。

で、このアンパンマンに憧れてちびっ子は学校などで「アンパーンチ!」とやる。

するとどうなるか?先生に怒られるわけです。「人をぶってはいけません!」と。

じゃあこれは「お友達だからぶってはいけない」のか?

ほとんどの先生は、どうも違ったことを言います。お友達も他の人もダメなよう。

悪さをした、意地悪なお友達であっても、アンパンマンというヒーローが

バイキンマンにしたことに憧れて真似るのは、どうもダメなようなんです。

 

おそらく今のおっさん・おばちゃん世代の方が、例えばいわゆる「勧善懲悪」のような

考え方は好きで、そういうドラマとかテレビを見てすっとしていたはずなのですが

それが現実世界の目の前で子供がやったり、同僚がやるとよろしく無いようです。

年代が違うと、ヒーロー像・道徳観がそれぞれ微妙にずれていく。

その感覚がボクの中で大きな興味になっています。

何故か?

色々な理由はありますが、教育指導要領などで「道徳」の授業に

大きな見直しが検討されていることがその理由の一つです。

改めて道徳観・倫理観を育むこと、CITIZEN SHIPの形成が大切と考えられています。

しかし、世代ごとなのか・地域や所属するコミュニティの違いなのか・・・

「あまりにも観点が違うのに大丈夫か?」と思うことが多いわけです。

 

 

ONE PIECESLAM DUNKの共通点 〜新しいヒーロー像〜

ちなみにボクは「SLAM DUNK」大好き人間です。バッシュにめちゃ憧れました。

この物語は桜木花道という不良高校生。ひょんなことからバスケに目覚めていくわけですが

おそらく70年代80年代のヒーロー像・主人公像とは大きく異なります。

この漫画が出た当初はバスケ漫画も珍しく「流行らないのでは?」と揶揄されたそうです。

結果的には世代を超えて大ヒットしたわけですが。

同じく大ヒットし続けている漫画で「ONE PIECE」があります。

これは誰でも知っているかもしれません。さて、この二つの漫画の共通点は?

主人公のルフィもまた、昔の主人公像からは遠く離れていると言えます。

桜木花道とルフィの共通点は何か?それは多分以下のような点だと思っています。

 ・基本的に弱いところがある

 ・自分なりにめちゃくちゃ努力して頑張っている(熱中している)

 ・なんか周りの人が応援したくなっちゃう

 ・ところどころに「人情味」を感じる=人を助けずにはいられない

で、現代にこのキャラクターと同じような人がいるみたいんなんです。

この方、自らを「職業:ヒーロー」と名乗る人だそうで。。。

note.mu

 

お会いしたことはないですが、各種メディアやSNSで登場する言葉がスゴイ。

人の気持ちを動かす。ミッションドリブン・モチベーションドリブンな人たち。

漫画の世界だけでなく、現実に行動し、今までとは異なる世界を築こうとしている人たちがいる。

おっさん・おばちゃんたちは「まあそれは漫画の話だから」と遮断することが多い。

これは年代や地域の差かどうかはわかりませんが、明らかにどこかで

倫理観・道徳観、そしてヒーロー像に大きな「層のズレ」ができてしまったのかな、と

そんな風に強く思うわけです。

 

④日本から「世界のヒーロー」は生まれるか?リーダー2.0の可能性

世界が不安定になればなるほど、日本の素晴らしさに注目は集まるはず。

それはまだもう少し先になりそうですが、それでもあと10数年の中で起こるはず。

そうすると、ボクは「日本発、世界に示す新たなヒーロー像」が作られる

またとないチャンスになる!とも思っています。

問題はその時に、日本人ならではの「新しい道徳観・価値」を客観視できるか?

今、何がイケてなくて、何がイケているのか?それを棚卸ししておくのも大事。

今は劣等感と優越感のバランスを考え直す良い機会かも。

ヒーロー像・リーダー像を過去の倫理観・道徳観で語らない。

今まで歩んできた道を振り返り、美化もせず・卑下もせず一度バランスよく並べる。

そして言葉と形に、全く新しい文脈と融合で作ってみる。

学校教育などで見直され作られつつある道徳の授業なるものも、

そういう文脈で作ってみると、きっと今までと全く違って、でも心地よいものできるはず。

テクノロジーも身体性・精神性も独特にして諸外国から幅広く価値を認められる。

日本はその可能性を持っている国なのだから、そこに乗っからない手はないですよね。

 

 さて、いかがでしたでしょうか?

②のヒーローと倫理道徳について、ぜひ世代を超えて考えてみてください。

意外と深い、面白い議論ができるかも?「どっちが良い悪い」ではない話し合いができると

きっと今とは全く違う「日本らしさ」が顔を出すと思います。

その煌めきを大切に、未来に繋げたいですね。

 

ではでは!

ドラえもんというBIを手放すと成長が加速する話

9月になるといつも思い出すこと。

それはドラえもんのこと。だってドラえもんの誕生日だから。

僕はちびっ子の頃からドラえもんが大好きでした。漫画も読んだしTVも見ました。

映画版も毎年欠かさず見ていたなぁ…

今回はそんなドラえもんと「成長」について考えてみました。

【本日の目次】

 

 

ドラえもんのび太にとってのBI

本当に「あんなことできたら良いなぁ」と思いながらドラえもんにハマっていた時がありました。

以前こんな記事も書きました。 

mirai-syouten.hatenablog.com

ここに書いた以上に、たくさん「現代ですでに使えるドラえもんの道具」はあります。

ドラえもんが生まれたのは2112年9月3日ということになっていますが、

(豆知識:ドラえもんのあらゆる数値は最後が「1293」だったりするらしい…)

もっと早く、ドラえもんに描かれた未来に近い世界が誕生する気もするのです。

で、最近ボクが思うこと。それは

ドラえもんって、今話題のBI(=ベーシックインカム)の比喩表現なのでは?」

こんなことを思っています。

 

②BI(ベーシックインカム)ってなに?

ベーシックインカムという言葉はあちこちで聞いたことがある人は多いと思います。

そもそも「ベーシックインカム」ってどんなものなのでしょう?

国民の最低限の生活を保障するため国民一人一人に現金を給付するという政策行動 ( Wikipediaより)

主なメリット(抜粋)

→貧困対策 少子化対策 地方の活性化 労働意欲の向上 余暇の充実 

 このように定義されています。以前ボクもBIについて少し触れています。 

mirai-syouten.hatenablog.com

「国民全員が無条件にお金を等しくもらえる政策」という解釈・定義がされています。

そしてその狙いは上記「メリット」にあるように、今色々目の前にある課題に対して

前向きに向き合って解決に向かいやすくするため、ということは間違いないと思います。

ドラえもんの歌にありますが

こんなこといいなできたらいいな あんな夢こんな夢いっぱいあるけど

みんなみんなみんな叶えてくれる 不思議なポッケで叶えてくれる

この「あんな夢こんな夢」を叶えるには、リアルにいえばお金がかかる。。。

で、それを叶えてくれるためのポケットを持っているのがドラえもんです。

まあそう思うと、別にお金じゃなくても良いわけですよ。

困ったことを助けてくれる。意欲を出してくれる。元気付けてくれる。

そういうことをカバーするという広い意味でベーシックインカムも考えるべきですよね。

 

ドラえもんというBIでのび太はどうなったか?

ちびっ子の頃のボクはただただドラえもんの「未来の道具」にワクワクしながら

漫画を読んでいるだけでした。単純に楽しかった。

で、いろんな感想を持つわけですが、自分が当時思った感想を振り返ると

「あぁ、のび太バカだなぁ。せっかく道具あるのに調子にのるからダメなんだよ!」

的なこともよく思っていました。ドラえもんの道具を使いすぎて

結局自分の首を絞めているのび太。そう言われるとかなりの話でそういう「オチ」ありましたよね?

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結局のび太ドラえもんの登場によってどうなったか?

人間的には変わらなかったんだと思うんですよね。うん。

むしろ色々助けてくれるから、余計ダメ人間になった部分も否めないし、

変に過信した部分も出ちゃった。そんな気がするのですよ。

 

ちなみにドラえもんはなぜ22世紀の未来から現代にやってきたのか?

それは未来の野比家が、のび太の残した莫大な借金に苦しめられているので

それをなんとかするためにセワシくん(野比家の末裔)がドラえもんを送り込んだ…

こんな設定だったりするのです。ので「Back to The future」ぽい動機ですよね。

 

④「未来への投資」で人ものび太も成長する 

落合陽一さんが書いた「デジタルネイチャー」という本があります。

この中でBI的思考や、本の中では文脈上対極にあるVC的思考について書かれている部分があり、

これについてボクはツイートで図式化してみたことがあります。

のび太はどの位置にいたのか?

間違いなく上半分ではないですね(笑)

しかし標準・従順でもない。漫画の設定でも「人や動物への優しさ」は読み取れます。

一番近いのは左下の「マイルドヤンキータイプ」だと思います。

これがドラえもんの登場によって変わったか?まあ変わっていませんよね。

冒頭に挙げたツイートの最後に

「事実、立ち上がったのび太は実に良い大人になった」と書きましたが

これはいつのことか?これは諸説ある「ドラえもんの最終回」を指しています。

matome.naver.jp

この中でも一番多くの人の心に残ったのは非公式の最終回ではないでしょうか?

ドラえもんの電池が切れてしまって、電池交換をすると記憶が無くなる。

それ以外はもうのび太が新しいバッテリーを開発する以外元に戻る術がない…

結果、のび太はそこから未来に必ずドラえもんをもう一度動かす!と決意するわけです。

そして研究者の道を歩む。のび太はそこから猛烈な成長を見せるのです。

 

ちなみに非公式最終回以外でも、全ての最終回の共有点は以下の2点です。

 ①ドラえもんのび太の前からいなくなってしまう

 ②のび太ドラえもんとの別れを機に努力・成長を始める

面白いなぁ、と改めて思うこと。それはのび太も「ドラえもん」というBIを

今この瞬間のためだけに使っていたときはダメダメから変わることはできなかった。

でも、何らかの理由で未来へ返す・未来で再開するなど

「未来に投資した方が良いのだ」と考えを切り替えてから成長が始まっている

この辺が実に現代への風刺を感じたりするのですね。狙って書かれてなかったとしても。

www.fnn.jp

こんなニュースも上がっていましたね。

内部留保が即悪い、ということでもないですが象徴的です。

 

今が大切!

守りの姿勢は堅実に勝てる!

何か問題が起こったら大変だ!

 

まあわからなくはありません。でもこれは結局ドラえもんがいた頃ののび太と一緒。

いよいよ別れの時が来て、このままじゃいけない!と決心する。

「もう一度ドラえもんを動かす」と超具体的なビジョンができて、未来を見る。

そういう時に本当の成長があるのだから、多分BI的思想も「未来を本気で夢見る」

ここから成長が始まるといいと思うのです。

まさにのび太のように「あんな夢こんな夢叶えてくれるドラえもんが欲しい」から

「そのドラえもんをボクが作ろう!」への変化が大事。

先のデジタルネイチャーの図で言えば、のび太は一気に反対側に渡ったわけです。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

未来を想像してもしょうがない、いまを生きるんだ!は、もちろん悪い事ではない。

でも、やはり時折「10年〜20年後の未来をどうして行きたいか?」とかは

考えていきたいもの。何も考えなさすぎで気づいたら手遅れ…も困りますよね。

 

のび太の成長を考えると、仮にBIが始まったとしたら貯めることに躍起にならず

「未来はどんな自分と、どんな環境がいいのかなぁ?」と考えてみる。

もちろんその時間のゆとりはできますからね。

ドラえもんを読み返してみると、以外と未来へのメッセージは形を変えて伝わってきますよ!

 

ではでは!