マツのみらい商店

大人も子供も楽しく学びあえる場作り=21世紀の学びを日々研究。日本で唯一の北欧流ビジネスデザインアカデミアLeare Academyの1期生。真剣な課題を面白く、面白い課題を真剣に。 年中夢求で営業中です。

ローカル+オンライン=メディアと教育の最適化

 

若干の記事のネタバレになってしまいますが、何人かの大学生の方々に聞いて見たんですよね。AKBのこと。ある意味期待していた通りの答えでした。

マツ「AKBの総選挙、今回って誰が1位だったの?」

学生「はぁ…えと、AKBは知ってるんですけど順位とかそういうのは知りません」

とりあえず五人に聞いて、五人ともこんなリアクション。完全なる個人の興味による調べですが。「興味ありません」とかいう冷たいリアクションではなく、本当に「知らない」ってリアクションなんですね。これはある意味一番キツい。やはり、もう誰もが知っている国民的スターは生まれない、と改めて感じる瞬間です。

これだけSNSが発達して、個別化・多様化が進む中で「誰もが知っている」「マスに影響を与える」そういうものにどれだけの価値があるのか?

塩谷舞さんがこのこととマスメディアについて書かれたnoteを読んだ感想をツイートしました。そしてその時考えたこと。

「教育って共有言語になり得るのか?」

「国レベルで共有すべきことってあるのか?」

「でも、教科書にも載っていないけど根っこで繋がっているような感覚はずっとずっと共有したいよね!」

こんなことを考えました。塩谷さんは「メディア」という切り口で書かれていらっしゃいましたが、ボクは「教育」という点で今思っていることを綴って見ます。

【本日の目次】

 

 

①マスよりもローカル・個

そもそも論になりますが、メディアも教育も、日本の文化的には「デカすぎるといけてない」のだと思うんですよね。実際、日本も昔々は藩に分かれていたり、「甲斐国」みたいに小さな単位で区切られていました。国境はないけど関所はある。中央集権ではなく、地方分権だったわけで、実はそれで困ったこともさほどありません。

少し話はそれますが、少子高齢化といっても日本はとても大きな国です。

ecodb.net

世界190ヶ国の内、人口1億人を超えているのは僅かに12です。ちなみに全世界で平均をとると、1ヶ国の平均国民人口は3880万人くらい。これは関東地方の人口よりも少ないのです。世界的には人口数千万・数百万の国の方が多い。

日本本来の歴史・そもそも国という考え方を見直したとしても、いわゆる共通言語は国レベルではなくせめて地方単位・願わくば数十万〜数百万人レベルが適切なのかな、と思っています。

 

②授業・教科書で共通言語は難しい

japanbrand.jp

調査数は少ないですが、面白い記事ですよね。ボクも少しだけ某教科書会社の知人の依頼により教科書校閲作業を趣味的に手伝ったことがあります。「本当にボクが校閲したものが出回っていいの??」と当時は思いましたが(笑)

その時にも関係者と話しましたが、例えば小学校国語の教科書って、全国すべての教科書で同じ文章文献を扱っているかというと、ほとんどそうではないのです。それこそこの記事に出てきますが、確かどの教科書にも共通して載せているのは「ごんぎつね」くらい。

採択する教科書・地域によって文字ベースで学ぶことは多様です。文章やコンテンツによって共有言語が作られるかは難しいところですが、感情・感動に与える影響は大きいことを考えると、これも多様であって良いのかな、と思います。

 

③「四季」という考えは共通共有できるか?

ここは明確に◯とか✖️に区切れない部分なのですが…

ちょっと前まで、ボクは「四季の移り変わりは日本の文化風土・日本らしさを創る重要な要素」と思っていました。四季折々の草花・魚・野菜など。いいですよねぇ… 

 ボク、こういう本が好きで、時々ただただイラストを眺めたりしています。日本らしさって四季・季節にあらわれるよねぁ…って。

ただ、これもやはりなかなか共通言語化されないことを、地域地域に住んでみると体感します。理屈ではなく。

例えば「春の花といったら?」と言って「桜!」となるのは意外と狭い範囲。関東地方はそれでよくでも東北で桜といえばゴールデンウィーク前だったり。桜前線=春を告げるもの、とはならないんですよね。

「いやー花粉の厳しい季節になりましたね」といっても沖縄は花粉飛ばないです。沖縄は日本でない時があったからね、と言われたらそれまでですけど。「四季」という共通言語を持つことはとても難しいな、というのがボクが思うこと。

でも、日本という狭い国の中でこんなに繊細に複雑に季節や空気が変わること自体は特徴的であり、日本らしさを創る土台になっている。これは十分言えることだと思っています。

 

ローカライズ・分散化したコミュニティ同士の交流が理想

オランダなどは地域・自治体によって最適な学びを独自に考えてカリキュラムを作ります。教科書も国のチェックとかは重要ではありません。そして地域ごとの考え・方針に共感したらそこの教育を受けさせる。日本もこんな考えでいいのかな、と思います。

リアル世界での地域特化であれば、限界まで地域に尖っちゃう。「マツばあちゃんのお家の夏野菜が収穫時期を迎えました!〇〇小学校の皆さんは農業体験授業として収穫に行きましょう!」みたいな。そういう地域の新聞は「3丁目の斎藤さんちの娘さんが誕生日です!」みたいな記事が普通にあるような。

今はこれらに加えてオンラインコミュニティも盛んになりつつありますから、デジタルの世界でもすごくコアな話題で盛り上がれたりする。

多分これからは「マスメディアや統一した教育をどう盛り返すか?」よりも「地域・趣味嗜好にあった小さなコミュニティでどう学びを展開するか?」ここに努力や工夫をして、どこに属するかを考えていく方が、本来の国民性でいっても馴染むのだと思います。

昔との違いはテクノロジーの力で、分散化コミュニティ・地方分権化された地域同士での交流がとっても簡単にできること。昔であれば「閉鎖的」で終わっていたことが、今はそうではありません。

お互いがやっていること・参考にし合いたいことは、簡単に時空を超えて意見交換ができます。これは大きいですよね。だから分散化されていても取り残されることはありません。もちろん意識・関心のアンテナを貼っておくことが大前提ですが。

 

⑤日本の「本当に素晴らしい国民性」はどう育まれるのか?

これはまだまだずっと探求したい問い。

つい先日、大阪で大きな地震がありました。その時のSNSでの発信・助け合い・気遣い・スピードのすごいこと!東日本大震災の時「ガソリンが供給されなくなる」と言われてガソリンスタンドに人が殺到しました。が、その時も整然と列を作って並んでいましたよね?あれ、海外の方から見ると不思議でしょうがなかったそうです。「普通だったら暴動や奪い合い、下手をすれば死傷者も出ても不思議ではない」と。

日本人っていざとなると本当に団結力がある。そして優しい。「利他の精神」とはよく言ったものです。でも、ボクはこの国民性というか感覚がどこで育っているのか、正直よくわかっていません。でも確かに日本にはあるんですよね。

この不思議な、そして尊い文化に興味を持って教育に取り込みたいと思っている諸外国は意外と多いみたいです。確かに意図的に・体系的に作れるならばめっちゃすごいことになりますよね。

理論理屈でうまく解析できないこの部分にこそ、育み続けていくべき何かのヒントがありそうですね。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

「教育」ってどうしても小難しく捉えられがちですが、やはりとても大切なことだといつも思っています。そもそも人は学ぶ生き物ですから、本来はもっと楽しめるものですよね。学校教育はどうしても好きになれないのですが…

ボクたち日本人の肌になじむ規模でコミュニティや学びのカリキュラムを創る。そしてコミュニティ同士の、分散化したもの同士の多角的な交流で学びを深める。

それが当たり前になった時、本当の「共通言語」が何なのかに気づくことができるかもしれませんね。

ではでは!

情熱と癒しの交差点

日本の良さって色々あると思うんですけど、特に未来と海外へのアピールに向けて、どんな点が良いと言えるのでしょうか?

先日、突然の自殺でニュースになったアンソニー・ボーディンさん。彼の今回の件について様々な記事が出ていますがその中でこんな記事を見つけました。

【海外の反応】 パンドラの憂鬱 海外「日本にいるだけで勝ち組だ」 世界的シェフが日本を世界一の美食国家に認定

この記事の中に、アンソニーボーディンさんの発言について触れている点があります。

常に何か新しいことを探しているような好奇心の強い人間は、奥深さ・風味・味、そして完全には理解できないであろう、独自の習慣に魅了されてしまうのだ。 (中略)それから惹きつけ、圧倒させ、動揺させ、感動を覚えさせる力がある。そして何より、美しいんだ。 (中略)もし残りの人生を東京で過ごすことになったとしたら、日本語を習得してもきっと分からないことだらけで、それでもハッピーに人生を終える事ができるだろうね。 

恐らく日本人の我々から見ると、あまりピンとこないものの中で「すごく光る魅力」があるのだと思います。それは何か?マツは恐らく「繊細なゆるさ」とか「癒し」っていう感覚が、未来に他国との差別化できるものだと思うんですよね。

多分ビジネスという点においてもこの感覚は生きてくる。実際、中国の起業家の間でも、少しずつ「日本に移住して起業したいよね」という声が上がりつつあるそうです。

中国の大都市は空気も悪く、ビジネス環境も過度に競争的で「そこまでしてお金を稼ぎたいのか?」と疑問に思うこともあるとか。そう思うと日本は「ゆるさ」もありますがそれは適度なもので、美しく伸びやかな環境で自分らしく幸せな起業ができる。そんな点が世界でも注目される時が来ると思います。

www.businessinsider.jp

こんな記事もありました。今、日本の起業家スピリッツは「マネー」ではなく「救い」「未来」「癒し」がキーワードになっていると感じます。そんな癒し系起業家たちが集まり金銭面だけではなく精神面も豊かになれる「ネオシリコンバレー」みたいなブランディングができる気がしています。

 

一方で日本が昔から大切にしている「戦後の日本復興の精神」も忘れられないものがあります。でも、先人の体験を紐解くと、あの頃も「金稼ぎたい!」ではなく「日本をなんとかしないと!!」の気持ちの方が強かったのです。お金お金言っていたのって、実はバブル経済の時くらいだったのか?って思うくらい。

最近の10代20代の方々は「昭和のおっさんマインドはイケてない」的な意見を多く持たれていると思います。でもそんな10代20代も、優れたフリーランス・起業家は「燃える闘魂」を持っています。熱量・没頭の度合いは飛び抜けているのです。

何しろ「やらされ感」がない。自分のビジョンに没頭しているのです。その点は戦後・昭和のマインドとも共通点が多いです。

中村天風さんの言葉は象徴的です。

新しき計画の成就は只不撓不屈の一心にあり。さらばひたむきに、只想え、気高く強く、一筋に 

 この言葉、今という時代をしなやかに生きている若者世代にも刺さるのではないでしょうか?癒しという日本独自の文化風土に加えて、この「没頭」の文脈にも日本の真の強さがあるように感じてならないのです。

ブラックとかそういうことではない、前向きさとひたむきさ。純粋に自分の内面から湧き出る想いで動くことの大切さ。自分の成功というよりもまず「利他」から入るあたりも日本人ならではの発想かもしれません。

 

最近「個人の時代を生き抜くためには?」みたいな議論で「掛け算思考で希少性の高い人材になれ!」みたいな事がよく言われます。確かに重要。で、それをグローバルに考えた時に「日本人の、他国に負けない希少性」というのは、

まさにこの「癒やし×情熱」という掛け算によって、どの国にもそうそう真似ができない素晴らしい力として世界に誇れるんじゃないかなって思っています。実際に極めて理想的に情熱と癒しを体現されて、世界で注目されていらっしゃるのはこの方でしょう。 

 日本では意外と知られていないですが、彼は毎年春にアメリカの大学で講演をされるそうです。毎年多くの学生が聞きにくる。それくらい、日本の「経営マインド」「和と輪」そして「燃える闘魂」に興味と価値があるのです。それは世界一の経済大国とされるアメリカであっても、です。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

私たちが世界に誇る、世界から注目される、そして子供も大人ももう一度考えて、絶好のポジションを「国として」取る場合。そのとき考えるべきはこの「情熱と癒しの交差点」にしっかりと身を置く準備をして置くことではないでしょうか?

ではでは!

成長・成功のために「褒める」より大切なこと

 

日本人てよく「伝え下手」っていわれますよね。特に良いことについて、は。相手に「好き」と伝えることとか、頑張ったことを労う言葉とか、相手の個性について讃えたりとか。

身近な人にも伝え下手を発揮することの方が多い気がします。直属の部下はもちろん、旦那さま・奥様・我が子にも。「ありがとう」「ごめんない」という簡単な言葉ですら難しい時がありますよね?

「親ゆえの子育ての難しさ」があるのはよくわかります。愛情があるからなおのこと。でも一方で、たくさんのデータや統計によると、やはり「褒められて育てられる」方が、大人も子供も、学生も社会人も長ーい目で見たら確かに育っているのです。

ある研究によると「褒める」と「叱る」によって成果の出方が違ってくるそうです。

 叱る→短期的に素早く成果を出すには効果的だが、疲弊してすぐにダメになりやすい

 褒める→中長期でないと成果が出にくいが長く持続し大きな成果になりやすい

 

ひょっとすると、大人は感覚的にこれをわかっているからついつい叱ってしまって、目先の変化や成果を求めるのかもしれませんね。でも、これでは大きな成長もなく、それこそ「失敗しないようにやり過ごす人」を作るだけになるかもしれません。

で、このあと訪れる未来は「深刻な人手不足」なんです。間違いなく。これは何年も前から、生まれてきた赤ちゃんの数でわかっていたのです。でも、こうした問題もあまり語り合わずに、どーでもよさそうなゴシップとかスキャンダルをニュースにしている日本…

ま、それは一旦おいておいたとして、私たちがいろんな意味で考えた方が良いことはいかの二つです。

①深刻な人手不足にきちんと備える=テクノロジーとの共生&個人のレベルアップ

②個人のレベルアップのためにも「得意を伸ばす」「苦手を補い合う」を考える

これ、とっても大事だと思います。そしてこれを実現するためにも「褒める」とか「叱る」ということについて改めて考えておくことは意味があります。そもそも「褒めた方が良い」なんて、多分誰もが聞いているのです。でもできない。なぜか??

wedge.ismedia.jp

ちょっと前の記事で参考になるものがあります。「褒めていないで甘やかしている」「極端な学校教育の平等主義・自主性尊重が課題」など書いてありますね。特に大切なことは、こんな文言です。

新学力観とは、「自ら学ぶ意欲や,思考力,判断力,表現力などを学力の基本とする考え方」であり、それまでの詰め込み型教育、偏差値競争の過熱への反省から、学校指導の新しい方針に据えられました。

 要は褒めても、叱っても、どちらでも良いのです。その全ては自ら学ぶ意欲を喚起するため。未来を生きる人たちに大切な力をどうつけていけるのか?を考え試行錯誤することが大切なのであって、手段は重要なことではありません。

「ダメなものをなんとか人並みにする」人手不足、変化の速さで考えてもそんな余裕はありません。精神的にも「得意をバンバン伸ばす」「失敗しても次また頑張る」「嫌い・苦手なら補い合う(AIくんも含めて)」の方が断然良いのです。

 

では褒める・叱るという方法ではなく、どんなことを部下や子供にしてあげると良いのか?マツはこんなイメージを持っています。

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そもそもの考え方。

 先生⇆生徒

 大人⇆子供

 教え手⇆学び手

こういう発想でいるとついつい「今褒めよう!」とか「叱った方が良いかも…」とか、「上から目線」的発想になります。そうではなくてフラットに学ぶ。一緒に考える。それは「一緒に文化祭を企画する」とか「キャンプでみんなでご飯を作る」に近いもの。

そんな機会や環境があれば良いのです。そうすれば自然と褒めたり(一緒に喜んだり)、叱ったり(一緒に振り返り次を変えていく)ができるようになります。

あ、一応注意しておきますね。一番成長を止めるものは何か?それは無関心です。どうであっても話し合い、気持ちを向けておくことは大切なんですよ!

ではでは!

自由と幸せを掴むために、最初にすること。

 

お二人のツイートを並べてみて、思ったこと。

余白があることは人生勝ち組になるためにも、お金を稼ぐにしても、沢山の選択肢を持つにしても大切なんだってことですね。

脳は退屈にするとどうなるか?という議論はいろんな主張があるのですが、よく言われるのは「脳は退屈にさせると創造性が働く」という考えですね。

news.mynavi.jp

 

「自分にとって面白いこと」を沢山増やすこと。そして自由を得るためにすること。その出発点ってどちらも「心に余白があること」から始まると思います。

昔の人はよく「若いうちはバリバリ働いて、しっかりお金を稼いで歳を取ってからゆっくりと人生を過ごそう」みたいな考えを持っていましたが、その考えはいろんな意味で時代に合わなくなってきていますね。

 ・そもそもバリバリ働いてもお金になるかわからない

 ・心からやりたくないことをやり続けると病む

 ・病むと結局お金がかかる→お金を稼ぐ意味が薄れる

 ・無駄で面白いものにこそお金が集まりやすい社会構造になっている

  (生きていく上でなくてはならないものはすでに満たされていることが多い)

 

脳と心に余白があると、ぼーっとできます。ぼーっとできると無駄を受け入れられるし、それがアイディアにも繋がりやすくなるんでしょうね。

余白・余裕があるといろんな人とも繋がりやすくなりますしね。

あ、でも最近の論調の中で、ボクが少しだけ「ちょっと言い過ぎかな」って思うのは「好きなことでお金を稼ごう!」「大好きなことに没頭すればお金を稼げる!」「自由に、楽に7桁稼ぎました!」「すぐ会社を辞めよう!」みたいな表現。

そして「好きなことはあるけど、もしお金を稼げなかったらどうしよう…」と不安になること。

お金が稼げることに越したことはありません。でも、本当に「今、世の中的にお金に結びつきにくいもの」もあるのです。未来はわかりませんが。「稼げない」=「やっても無駄」ではありません。

あと、サラリーマンも面白く、余白を作りながら勤めることが可能な方もいらっしゃるでしょう。サラリーマンであるか否か、ということはあまり本質的な話題ではないとボクは思っています。本当に大切なことって多分以下のようなこと。

 ◆好きなこと・直感的に楽しめることができている

 ◆楽じゃないけど楽しいことをできている

 ◆脳みそと心に適度な余白が与えられる環境がある

お金は沢山あったほうが良いですが、それ以上に大切なことは「自分がそれが大好きで、その思いをたくさんの誰かに届けようとすること」であり、その手段を考えることだと思います。お金を稼ぐ前に「自分の偏愛を自分なりに事業化する」こっちの方が大切なのです。要はたくさんの人に「大好きなんじゃー!」と伝えること(笑)

そうすると、お金にならなくても違う価値が生まれることもあります。人と繋がることもあります。ですから、それができる分には企業でなくても、起業しなくても何でもいいんですよね。

どれが自分にしっくりくるのか?どうやる方が面白く発信できるか?それを面白おかしく、かつ真剣に考えるためにも、やっぱり余白があるといいですね。

 

旅行業者のキャッチコピー風にいうと「何もしないを、してみよう」かな?

ではでは!

悩みと迷いは人生の華

 

ボクは子供の頃、「普通であること」に憧れていた時があります。父親がいなくなってから、別に両親を恨んだことなど一度もないですが、それでもやはり周りから投げかけられる視線の違いはちょびっとだけ辛かったのを思い出します。

「あぁ、ボクは普通に見られていないんだ…」

そんなことを学校の先生との定期面談のたびに思いました。先生は精一杯の気遣いのつもりだったと思いますが、当時はまあまあしんどかったです。

なので、とにかく普通に憧れました。

普通に勉強して、普通に大学に行く。

普通にサークルとかゼミに入って、普通に彼女作って恋愛する。

普通に就活頑張って、普通に会社勤めをする。

普通に新入社員として花見の場所取りとかして、そこそこ接待とか頑張る。

まあこんなことをできるだろうか?やりたい!やらねば!って真面目に考えていました。(お酒はすこぶる苦手なので出来れば避けたくて、そしてうまく避けてきました)

当時は超氷河期でしたが、大量に就活も行いなんとか内定ももらい一安心したことも覚えています。ただ、次の瞬間に「花見の場所取りとかできるかな…」と悩んだり、「もしも仕事で午前様とかになったら続けられるかな…」と悩んだり。

仕事は大変なことも多かったですが、結局楽しいことのほうが大きくて20代はメチャ仕事に浸かっていました。あれほど不安だった「午前様」なんて当たり前。車通勤だったので「いくらでもやってやるぜ!」みたいなテンションの時もありました。

お陰様でいくつかの新規事業とか、プロジェクトにも20代後半にして参加させてもらい、それなりに出世させていただきました。でもその度に「本当にこれでいいのかな?」「今やっていることがベストなんだろうか?」と迷っていた気がします。

色々なご縁で他業種・他社の方々とも公私でお会いして意見交換したり、海外視察に一緒に連れて行ってもらったり。

で、そこでまた悩んじゃったんです。「このまま会社にどっぷり時間を費やすだけで、本当に未来の教育や社会に貢献できるのか?」みたいに。

「おいおい何でかいこと言ってんだよ」「きちんと会社のいうこと聞いてりゃもっとはやく、今以上に出世しただろうに」とか言われそうですが。実際近いことをいう人もいるわけですが。

 

でも、思うんですよ。

悩んだり迷ったりすることが無くなったら、人生ってつまんないじゃないかって。

そもそも小さい頃の夢って「会社で上司に認められるぞ!」とかじゃないよね??

ボクは先にも書いた通り「とにかく普通でいたい」が夢でしたから、それそれで変でしたが、同時に「自分みたいに迷っている子供達には味方でいてあげたい」と、19歳くらいの頃から思い始めたのです。

そして、実際に教育という切り口で、そんな当時の自分のイメージを実現させている最中です。で、イメージを追うからこそ今また迷い、自分の在り方を変え始めたんです。

ちょっと弱気にもなっていましたが、冒頭のツイート。癒されました。

悩みと迷いは人生の華。その瞬間はシンドイけど、考えてみれば幸せですね。

皆さんにも前向きな悩みと迷いが訪れますように。

ではでは!

学歴以上に大切な「国際的な学力観」を育む4つのC

巷では将来に向けた学力・学歴・資格検定などについて「どんなものがあると将来困らないのか?」ということについての興味関心が相変わらすあるな、と思うことが多いです。ぶっちゃけ「学歴は不要」という人も多く、ボクも大筋賛成です。

では資格・検定などは大切か?これはモノにもよりますが、資格がある=安泰、はまずないと思います。「実戦経験がある」「自分なりの実績を持っている」こういったものの方が、下手な資格よりもはるかに役に立つことが多いです。

まあ、とはいえ学力・学歴がないと不安という方も多いでしょう。そして資格や、将来に向けてつけておくべき力ってなんだろう?という漠然とした不安もあると思います。

今回は「これが正解!」という訳ではありませんが、ちびっ子から大人まで、21世紀を逞しく面白く生き抜くために必要な「国際的な学力観」のベースになる4つのCについて書いてみます。

この4つのCを意識した学びがあれば、体得すれば、学歴によらずに色々な分野で活躍できる基盤になると思います。それに学歴や資格があればなお良いって感じですかね。では、いってみましょう!

 

【本日の目次】

 

①Critical Thinking

日本語にすると「批判的思考」ってやつですね。日本語が難しい。。。(笑)

「批判的」というと、日本人の多くは「〇〇でいいのか!」「△△が良くない!」みたいなイメージを「批判的」と捉えがちですが、そうではありません。ここでいう批判的の意味は、ある物事の考え方や答え方を別の角度から見てみること。わかりやすいセリフの使用例でいうと以下の様な感じ。

A.「その答えって本当にそれだけしかないのかな?」

B.「〇〇っていう意見があるけど、正反対の意見がある人ってどんな人だろう?」

C.「もしAという考えと全く違うBがあるとすれば、それはどんな意見なんだろう?」

こういう感じです。

これをもし子供たちと会話していく中で実践するならばBとかCとかをうまくつ使うと良いですよね。子供の〇〇という意見に対して

「お母さんは△△と思うんだけど、こういうことについてはどう思うの?」

こんな質問をしてみると、批判的思考力は高まります。「本当かな?」みたいな問いを、疑い深いという意味ではなく「もっと色々考えられそうだね!」となると面白みと深みが出てきます。

 

②Collaboration

日本語にすると協働とか協調ですね。課題解決・新しい発想を作りたいときに意識すると良いですよね。ちなみにこの記事もある種のコラボレーション。 

mirai-syouten.hatenablog.com

このコラボレーション的な発想はすでにビジネスの世界・新しい発明や研究の世界ではよく取り入れられています。「協創事業」というのは、この発想がベースですよね。

ちびっ子から大人まで意識すると良いのは以下の様なことでしょうか?

A.お稽古事・習い事はなるべくいろんな学年、年齢の人とできるものにする

B.年齢・性別・肩書きがいろんな人と一緒にできる行事に参加する

C.およそ合わなさそうなもの同士を並べてアイディアを出してみる。そういうものを実際に体験してみる。

AとかCは身近にもありますよね。特にCは実はあちこちにあったりします。アンパンとかトルコライスみたいなB級グルメ(?)そのひとつ。食べてみて、由来に触れるだけでも刺激を受けます。

 

③Creativity

創造性という意味ですね。こちらは最近よく聞かれる様になったと思います。

こちらは様々やり方はありますが今ツイート流してます。

絵とかイラストとか、声に出す・体を動かす、ゆとりの中でやってみる。理屈よりも実際に環境を整えてみることが大切な要素ですね。

 

④Communication

この言葉は意味としては会話、という意味で使われていますが、分解していくともう少し面白い意味があります。この言葉を分解すると…

 Com(一緒に)

 uni(ひとつの)

 cate(する)

 ion(〜こと=名詞化)

こんな感じ。つまりただの会話ではなく「1つのテーマについてみんなで一緒にする」こんな意味合いがあるのです。だから、本当の意味でのコミュニケーションは「何について話すのか?」「誰と話すことに意味があるのか?」こういうことを意識するだけでグッと意味合いが増します。

単なるおしゃべりをするのではなく、親子の会話でもお話しするテーマをなんでも良いので決めて、それについて話すだけでも違うのです。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

上にあげた内容は、国際的な学力観として実際に研究が進められているテーマでもあります。変に安泰安定を求めて訳のわからない習い事や資格試験に手をつけるくらいなら、こういうスキルを磨いて実践してみるだけでも随分変わります。ちびっ子から大人まで、意識さえすれば以外と手軽にできるものも多いのもいいですね。

大切なことは「体験を大切にし、きちんと自分の考えを表現できる」これにつきます。小さなことからでもお試しあれ。

ではでは!

Dinnerブログ 〜イノベーティブフュージョン〜

どーもマツです。

今回はゆるめの夕食紹介。ボクはカフェでくつろぐのも、美味しいご飯屋さんを尋ねるのも、とにかく食べるという行為自体大好きです。たまーにでも良いので、感動体験ができるような食事をしたくなります。

今日はここ1−2年興味を持っている「イノベーティブフュージョン」という新しい料理ジャンルのお店に行ったレビューを写真と共に。

f:id:matu1830:20180612232406j:plainグラスが逆さまに写ってしまっていますが…

このグラスでピンときた方は相当の食通かも。こちらのお店は東京は広尾にある「81」というお店。お店のホームページだけ見ても、なんのお店かわからないかもです。

eightyone.tokyo

でもこの店、とにかく雰囲気が良い!店長さんも気さくで、お料理も五感で味あわせてくれるのです。クリエイティブな創作料理がたくさん出ます。

f:id:matu1830:20180612233140j:plain

この天ぷら自体は普通ですが、乗っている銀のお皿がぐにゃぐにゃに曲げられたり…

f:id:matu1830:20180612233319j:plain蛤でとった透明な出汁を貼った、洋風茶碗蒸し?とでもいうのでしょうか…

イノベーティブフュージョンって、言葉のイメージ通り「全く違う国や文化的要素を掛け合わせて作った、新感覚な料理」って感じなんです。

和食とか洋食とか、前菜とか主食とか、あまりそういう概念にこだわりすぎず、斬新で驚きや閃きを感じさせてくれるところにとても興味を持ちました。

ボクは食と教育の関わりは、感性というレベルでとても深い関わりがあると思っていて、多少高いと思っても体感・体験のインプットのためにも行きたくなります。

まあほとんど、要は感動したい・楽しみたいってことなんですが(笑)

f:id:matu1830:20180612233906j:plainこちらは馬肉を求肥という甘い餅菓子で包んだもの。「お菓子×お肉」という斬新さ!店長曰く「昔はもっと尖ってました。焼いたスイカを『芸術だ!』て出したり(笑)」

いやーすごいですよね。。。

f:id:matu1830:20180612234219j:plainおさかな料理。細かい説明忘れちゃったんですけど、とにかくスープが美味しかった…単純に美味しい・新しいだけではなくイノベーティブフュージョンの考え方である「今までになかった新しい掛け算の組み合わせ」というコンセプトが教育的にも非常に重要な項目だよなって思うのですよ。

グローバル・国際的な学力観に「コラボレーション」という考え方は非常に重要な項目であると位置付けられています。イノベーティブフュージョンは、まさに食という分野でのコラボレーションが産んだ発明。面白いですねぇ…

f:id:matu1830:20180612234714j:plain

f:id:matu1830:20180612234755j:plainこちらはデザート。なんだかわかります?これ、「陶器に入った苺ショートケーキ」なんです。パッと見なんだかわかりませんが、食べてみると確かに!!

 

それなりに高かったですが、雰囲気・スタッフの方々の暖かさ・体験・感動、そして料理の美味しさ。一度は行ってみる価値はあるかと思います。多分、これから教育というか「学ぶ」ということは食にしても、人との対話にしても、感性に直接働きかけてくる体験は値段に関係なく人気が出ると思います。

そして「これからはコラボレーションが大事なんだ!」と言葉で理屈を教えるのも大切な一方で、言葉を使わなくとも体験から感じてもらう学びはもっとわかりやすく、深い納得を得られるものになります。

そもそも学ぶことは楽しくあるべきもの。子供たちと行く雰囲気ではありませんが、ちょっと変わった切り口で感性を磨く、感動体験のインプットをしてみては?

ではでは!