マツのみらい商店

大人も子供も楽しく学びあえる場作り=21世紀の学びを日々研究。日本で唯一の北欧流ビジネスデザインアカデミアLeare Academyの1期生。真剣な課題を面白く、面白い課題を真剣に。 年中夢求で営業中です。

成長・成功のために「褒める」より大切なこと

 

日本人てよく「伝え下手」っていわれますよね。特に良いことについて、は。相手に「好き」と伝えることとか、頑張ったことを労う言葉とか、相手の個性について讃えたりとか。

身近な人にも伝え下手を発揮することの方が多い気がします。直属の部下はもちろん、旦那さま・奥様・我が子にも。「ありがとう」「ごめんない」という簡単な言葉ですら難しい時がありますよね?

「親ゆえの子育ての難しさ」があるのはよくわかります。愛情があるからなおのこと。でも一方で、たくさんのデータや統計によると、やはり「褒められて育てられる」方が、大人も子供も、学生も社会人も長ーい目で見たら確かに育っているのです。

ある研究によると「褒める」と「叱る」によって成果の出方が違ってくるそうです。

 叱る→短期的に素早く成果を出すには効果的だが、疲弊してすぐにダメになりやすい

 褒める→中長期でないと成果が出にくいが長く持続し大きな成果になりやすい

 

ひょっとすると、大人は感覚的にこれをわかっているからついつい叱ってしまって、目先の変化や成果を求めるのかもしれませんね。でも、これでは大きな成長もなく、それこそ「失敗しないようにやり過ごす人」を作るだけになるかもしれません。

で、このあと訪れる未来は「深刻な人手不足」なんです。間違いなく。これは何年も前から、生まれてきた赤ちゃんの数でわかっていたのです。でも、こうした問題もあまり語り合わずに、どーでもよさそうなゴシップとかスキャンダルをニュースにしている日本…

ま、それは一旦おいておいたとして、私たちがいろんな意味で考えた方が良いことはいかの二つです。

①深刻な人手不足にきちんと備える=テクノロジーとの共生&個人のレベルアップ

②個人のレベルアップのためにも「得意を伸ばす」「苦手を補い合う」を考える

これ、とっても大事だと思います。そしてこれを実現するためにも「褒める」とか「叱る」ということについて改めて考えておくことは意味があります。そもそも「褒めた方が良い」なんて、多分誰もが聞いているのです。でもできない。なぜか??

wedge.ismedia.jp

ちょっと前の記事で参考になるものがあります。「褒めていないで甘やかしている」「極端な学校教育の平等主義・自主性尊重が課題」など書いてありますね。特に大切なことは、こんな文言です。

新学力観とは、「自ら学ぶ意欲や,思考力,判断力,表現力などを学力の基本とする考え方」であり、それまでの詰め込み型教育、偏差値競争の過熱への反省から、学校指導の新しい方針に据えられました。

 要は褒めても、叱っても、どちらでも良いのです。その全ては自ら学ぶ意欲を喚起するため。未来を生きる人たちに大切な力をどうつけていけるのか?を考え試行錯誤することが大切なのであって、手段は重要なことではありません。

「ダメなものをなんとか人並みにする」人手不足、変化の速さで考えてもそんな余裕はありません。精神的にも「得意をバンバン伸ばす」「失敗しても次また頑張る」「嫌い・苦手なら補い合う(AIくんも含めて)」の方が断然良いのです。

 

では褒める・叱るという方法ではなく、どんなことを部下や子供にしてあげると良いのか?マツはこんなイメージを持っています。

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そもそもの考え方。

 先生⇆生徒

 大人⇆子供

 教え手⇆学び手

こういう発想でいるとついつい「今褒めよう!」とか「叱った方が良いかも…」とか、「上から目線」的発想になります。そうではなくてフラットに学ぶ。一緒に考える。それは「一緒に文化祭を企画する」とか「キャンプでみんなでご飯を作る」に近いもの。

そんな機会や環境があれば良いのです。そうすれば自然と褒めたり(一緒に喜んだり)、叱ったり(一緒に振り返り次を変えていく)ができるようになります。

あ、一応注意しておきますね。一番成長を止めるものは何か?それは無関心です。どうであっても話し合い、気持ちを向けておくことは大切なんですよ!

ではでは!