流行語に見る、人間の価値を最大化する思考
春はあけぼのがエモい,夏は夜がエモくて,秋は夕暮れエモいし,冬は早朝がエモいし,瓜に描いた子どもの顔とかエモすぎる.
— 落合陽一 (@ochyai) 2018年11月28日
【本日の目次】
①「今の若者は・・・」とかいう無駄な議論
平安時代の「あはれ」「をかし」も、当時は「語彙力なさすぎ」とか心配されたのかしら?
— マツ☆creative leadership for KIDS (@matukage1830) 2018年11月29日
これはこれで言外の感性を感じ取る日本人的価値があって良いものだと思うんだけどね。
2018流行語「エモい」は感性も語彙力も低下させる|BUSINESS INSIDER https://t.co/Df0TV28pT5 @BIJapanより
冒頭の落合陽一さんのツイッター、単純に面白いなぁと思ってたんですが
ちょうどその直後くらいに若者の言葉について憂う記事が出ていたんですよね。
上の記事もそうだし、こんな記事も。
まあ、いつの時代もこういう議論は尽きないのですな。
昔々で言えば「ら抜き言葉」とか問題になりました。
「正しい文法では無い!」とか「誤解を招く!」とか。
でも、この手の議論は研究としては面白いですが
正しいか否かとか相手を批判するためにやることには意味がない。
ボクはそう思っています。
そもそも平安時代だって「をかし」と「あはれ」は
あちこちでいろんなシーンで使われたわけで。
受験生が覚える意味でも相当量ある。
いや、むしろ意味を覚えるとかいうものではない(笑)
昔も、今と同じようなノリで作った言葉で
時代の中で生き残り、今や当たり前になった言葉も多い。
例えば女房言葉。今では当たり前の言葉も、今風に言えば
女子たちが
「ねぇねぇ、これって可愛くない!?」
「ホントだ!ヤバいいーぢゃん❤️」
とか言いながら作った言葉だったりします。
「いつだって文化をつくるのはよそ者・ばか者・若者」
とかいう言葉を聞いたことがありますが、これは昔からそう。
いつの時代も若者生態系を憂う方々がいらっしゃいますが
それは杞憂であって、新しい文化をつくる種のようなものでもあります。
②不確かさと曖昧さに価値が宿る時代
アインシュタインの「光と同じ速度で走って光を見たら、光はどう見えるか?」って、正解は無いけど面白い問いだなぁ✨
— マツ☆creative leadership for KIDS (@matukage1830) 2018年11月27日
価値を生み出す原動力は
「答えの確かさ」から
「質問の不確かさ」へと移行している
こういうことに未来を感じる。
google先生じゃ答えてくれないことに本当の価値がある時代。
超AI時代がもう間も無くやって来る、というか
もう既に恐ろしいほどのスピードでその波が来ていることを感じる。
そんな人は多いのかもしれません。
AIが入り込んでいて、単なる流行では終わらない雰囲気が漂っていますよね。
多分この波はもはや引くことはないと思います。
そして毎度毎度議論される「このままでは人間がAIに取って代わられる!」
という話題。結構ネガティブになる人が多い印象ですが
これについてあまり憂いても意味のないことだ、と最近思います。
でもそれはあくまでも「人間との協業」を実現するため。
【人間とtech&AIの魅力】
— マツ☆creative leadership for KIDS (@matukage1830) 2018年11月28日
tech&AI
答えを出すことが得意で
問いを生み出し思考するのは苦手
人間
問いを生み出し思考するのが得意で
答えを出すことは苦手
この関係をきちんと理解すると、未来はグッと明るくなる。
tech&AIと人間が協力し合う、もっとダイバーシティな社会が見えるんだよなぁ。
「答えを出す」ということは、人間というか日本人には
結構プレッシャーに感じることかもしれません。
「間違っていたらどうしよう・・・」とか「正解じゃないと叱られる・・・」とか
こんな不安が頭をよぎることは多いのではないか?と思います。
こういうのは人間は苦手だからAIとかテクノロジーに任せちゃう。
で、AIとかが苦手なものを人間がやっていくとスッキリするわけです。
人間ができてAIだといまいち「?」なものって何でしょう?
それは言葉でうまく表現できないものを感じる力だったり
それは何かに対してワクワクゾクゾクすることだったり
それは答えが簡単に見つからないような問いを創ることだったり
それは何かを猛烈に好きなることだったり
それは空気感をつくることだったり
多分曖昧で、不確実なものにだんだんと価値が宿ってくる。
ボクはそんな気がしてなりません。
③ちびっ子もおっさんも昔から変わらない「なんか良いかも」思考を持て
じゃあその未来に価値が生まれる曖昧だったり不確実なものって?
それこそ答えはありません。
でも、昔からずーっと続いている
「結局人間ていつの時代も変わらんのね(笑)」
みたいなものに目を向けて見ると、そこにヒントがある気がします。
もちろん論理とか、一定の解とか、そういうのも大事です。
でもこれから先、未来を歩いて行くには
結局インターネットなんてものがなかった時代も
スマートフォンなんてなかった時代も
昔々からみんながぼんやりと思っていた
そんな思考や閃きが大事になります。
うまく言葉にできないけど「なんか良いかも」「なんか好き」
こういうものをじっくりと自分を向き合って探して行く。
ここで大事なことって以下のようなこと。
・うまく言葉で言い表せない
・自分が何でそれが良いのかもよく分からない
・人に見せたり言ってもあまり理解されない
・っていうかむしろ変な目で見られることが多い
・感情が高ぶる時もあるけど、意外とフンワリと常にある
こういうものをキャッチできると強い。
人間的ですし、退化した感じもありません。むしろ進化かも。
そしてそんなものに出会えたならば、うまく表現できないけど
「どうやって表現することが良いのだろう?」と思考すること。
この時間がとても重要で、未来人間としての価値がぐっと上がってくるポイント。
こういう問いを持ち続ける人に価値が集まり、豊かに人生を送るはずです。
さて、いかがでしたでしょうか?
女性が真の意味で社会進出し、文化や歴史を作って行くのは
こういう言葉や文化も昔から女性が作っていたと思うと納得できます。
もっともっと女性とか若者に学ぶことはあるのでしょうねぇ・・・
ぼんやりと、ゆっくりと、でも確実に。
人間はより「人間らしい」「自分らしい」ということを極めて行く。
それが豊かさと幸せの一番の近道ですからね。
ではでは!