努力が評価される時代は終わり。夢・好きなことを探す時代も終わり。次世代に大切なこと。
#レペゼン地球 のDJ社長のこれまでと、これからの野望を語ったYouTube観てて「確かに多いなぁ」て思ったこと。
— マツ☆creative leadership for KIDS (@matukage1830) 2018年10月28日
①結果ではなく「ボクこんなに頑張ったんだよ!」を評価されたい人
②チャリ乗っててバイクに抜かれると、更にモーレツに長時間チャリ漕いじゃう人。
結果への拘り
手段の柔軟さ
大事。
このツイートの下動画、めっちゃ再生されていますよね。
ボクは特にこの部分に共感しました。
努力は悪いことじゃなく、むしろ良いんだけど捉え方によっては危険でして…
努力とか
夢とか
ゆるーい挑戦
そんなものについて綴ります。
【本日の目次】
①偏差値教育の中で良いと思う点
偏差値教育って、まあ随分前から疑問視されているし
その価値や意義については賛否の論の中でも「否」の割合が圧倒的に増えてます。
ボクもその価値や意味については些か懐疑的でした。
が、最近「ああ、そんなに悪くない点もあるな」と思っています。
それは「何らかの成果がわかりやすくスコアリングされる点」これです。
頑張ったではなく、勉強の成果を「テスト」に表現し
それを「偏差値」というスコアリングによって評価する・されるという点。
何がまずいか?というと、その評価が「単純暗記の記憶再生」を競う点とか
それが評価のすべてでもあるかのような基準になっている点でしょうか。
きちんと成果がスコアリングされている点は素晴らしいと改めて思います。
最近思うのは、この考え方がズレることによって
頑張っていないよいうに見える、努力が足りないように見えると非難され、
本当に変えるべき課題が旧態依然の精神論に侵されちゃうんだろうな、と。
②頑張ることは他人が評価してはいけない
ちびっ子達の勉強とか学びも、何だったら運動会とか行事も「頑張ったかどうか?」が評価され感動の対象になることが多い。
— マツ☆creative leadership for KIDS (@matukage1830) 2018年10月28日
本人が夢中になってて、周りが感動する分には構わないが暗黙の強要が入ると変になる。
ブラック企業の文脈だよね。
学校もまだまだ。
頑張ることとか努力は絶対的に必要なんですよね。
これは間違いない。何かをなし得るときに、ラクに物事が進むことはほぼ無いです。
壁にも当たるし、悩むこともあるし、努力もするし…
悔しい思いもするし、諦めかけるし、また工夫改善に時間を費やすし。
でもこれらは「人に言われてそうなる」のではなく
「悔しかろうが逃げ出すたくなろうが、本人の意志でやる」ことに意味があります。
つまり「こんなに頑張ったんだ!」とか「もう人事は尽くした!」とかいう思考は
本人だけが持てばよくて、このプロセスの部分に他人が絡むと厄介です。
あくまでも他人は「結果」「成果」でしか評価できません。
もちろん相手のやっていることを「あの人頑張っているな…」と思うことは問題無し。
努力や工夫のプロセスは他人がとやかく言ってはいけないのです。
そしてこれはちびっ子達の成長や学びにおいても同じかな、と。
「よく頑張ったねぇ!エライねぇ」
「〇〇ちゃんはずっと頑張ってたもんね!」
こういうことって良かれと思って良いがちです。
ボクもこれが良い、これで良いと思っていた時期はありました。
が、やっぱりこれは良くない。
頑張ったことを褒めて欲しいなんて思っていない子もいるし、
頑張ったことが褒められることで目的がすり替わるのも本当に怖い。
頑張りを褒めるのは、自分が自分を褒めるときだけで十分です。
③関心と課題へのアンテナを高くする
何にでも関心を持てる大切さ。
— マツ☆creative leadership for KIDS (@matukage1830) 2018年10月28日
「やりたいことを見つけよう!」
「ポジション取ろう!」
これが段々と強い世論になってるけど、そうなるためにも何にでも関心を持てる人は強い気がする。
それは必ず自分の役に立つからね。
ポジション取る人も、沢山関心持ってから選んでるよね。
興味散漫でOK🙆♂️
自己肯定感や自己商人が大切な時代。
頑張りを褒めないならば何を褒めるか?
ていうか最近思っているのは「成果や資産に関して褒める」これです。
ちょっと難しいですね。
わかりやすくいうと、以下のようなことがあった時に褒めるのが効果的なのです。
・作文コンクールとかで入賞した時
・ちびっ子が興味をもって学んだことを訊いてみたら披露してくれた時
・最近の興味や悩みや疑問を言葉にして話してくれた時
・ ある物事について、前よりも明らかにうまくできている時
(時間が縮まった・できる回数が増えた、など)
前々から「働くことと学ぶことはほぼ同じ」とボクは言っています。
そう考えると、学ぶこと(大人でいう本質的な働くこと)というのは
必ず何かしら数値や成果になるからこそ、周囲に評価される方がいい。
あるいは努力どうこうではなく、悩み・不安・疑問という形で
課題を明確にして伝えられることも未来において価値が高い。
そうすると、これらについての兆しが見えたら(=何らかの成果があったら)
褒めることで、実社会との繋がりが密接で豊かになるのですね。
そしてこれらができるようになる・形に残すためには
できるだけたくさんのことに挑戦してみないといけません。
なぜか?
どれで何らかの成果がわからないからです。
あるいは何をやることで課題感が生まれるかがわからないからです。
だから関心と課題のアンテナを高くすることで
沢山の挑戦と失敗と、疑問を持つことと成果を出す機会を得ることになる。
④夢を持つよりも大切なこと
上に書いたようなことが好きを見つける、夢を持つ以上に大切なことでしょう。
関心のアンテナを高く貼る。
課題や不便についてアンテナを高く貼る。
だからこそちびっ子達にはそのような環境を与えることが
「夢を持て」
「好きなことに没頭しよう」
というよりも大切になります。
勿論、まんべんなくそつなく物事をこなさせる以上に、
あるいは先生の言うことを聞かせる以上に、
10000倍くらい重要なのは言うまでもありません。
夢や好きなことを見つける工夫から入ると苦しくなる人もいるはず。
それは美しい言葉で何となく過大視されていない課題があるからなんです。
もっとネガティヴでもいい。
「だりーな」「何でいちいちヤンなきゃいけないの?」から始まってOK。
「めんどくさい」は宝物✨
— マツ☆creative leadership for KIDS (@matukage1830) 2018年10月28日
最近仕事で改めて実感したこと。
仕事を面倒だと思うのって一瞬良くないこととか思っちゃうんだけど、ここに工夫改善とか、上手くいけば新しいサービスとかコンテンツの種があったり。
上手くハマるとめちゃテンション上がる。これからめんどくさいを大切にしよう🎶
さて、いかがでしたでしょうか?
ボクは大人になってからもずっと教育のこと考えていて
そろそろ上に書いたようなことが学びの主流になり
みんなで話し合いながら課題解決に向かうとか
めんどくさいこと、やりたくないことから新しい発見が生まれたり
何となく成果を褒められたり、不安を口にしてイノベーションが生まれたり
それを応援する・支援する大人やVCが現れても良い気がするんですよ。
そのプロトタイプを本業で作ってみよう!ってワクワクし始めています!!
ではでは!