マツのみらい商店

大人も子供も楽しく学びあえる場作り=21世紀の学びを日々研究。日本で唯一の北欧流ビジネスデザインアカデミアLeare Academyの1期生。真剣な課題を面白く、面白い課題を真剣に。 年中夢求で営業中です。

「世間体」という不条理を力に変える

 

【本日の目次】

 

①常識という虚像

先日は作家&ブロガーのはあちゅうさんの事実婚の話題でSNS界隈が大いに盛り上がりました。

祝福ムード一色…と言いたいところですが、やはりというか、変な書き込みがちょこちょこあるなぁ…というのが残念なところです。

いちいちネガティブな書き込みをここに晒すのも無意味なのでしませんが、今回なぜこの件について触れたのか?

それは一連の書き込みで感じたことと、ボクの元教え子が大人になってから起こしたある出来事がボクの中でリンクしたからです。

ちょっと重ためな感じになるのですが、未来ちびっ子たちにはとっても大事なことであり、大人の方々にも良く考えて欲しいので。

 

はあちゅうさんの事実婚報告が拡がった時、お相手のしみけんさんの職業や肩書きについて不安視するような発言があったんですよね。

お相手も有名人ですから、AV男優ってことはかなりの人が知っているでしょう。でも、このご時世でまだ「職業」「肩書き」について懐疑的な発言をする。

それが、なんとういうか「時代が変わるってそんな簡単なことじゃないんだな…」って思ったんです。

「常識で考えたら…」

「普通の考えなら…」

普通とは何なのでしょう?常識という考えに人の価値観を縛る力があるのでしょうか?

まったく謎です。

 

②「世間体」がもたらしたもの

ボクにはたくさんの教え子がいます。

本当にちびっ子の頃からずっと一緒にいて今では立派な大人…という人もたくさんいます。

皆思い出多き子達なのですが、その中でも特に思い出に残る子達とは、大体問題児が多い(笑)

でも、その中で問題児ではないのですが結果的に本当に忘れられない、色々と教育について考え直してしまう事件とともに思い出す子が1人だけいるのです。

その子はとても優秀でした。勉強もよくできる。スポーツも万能。学校のクラスでもリーダー的存在で、いつも明るい。

でも、ボクは時折この子の目の奥に不思議な闇を見つける瞬間があったのです。

その正体が何かは、よくわかりませんでした。

その子が受験生になり、受験勉強が本格化する秋に深刻なスランプに陥ってしまうのです。

原因はわかりません。でも確実に目の色は褪せてきている。精神的な何かだ。

どうにかして闇を払ってあげないと…ボクは焦りました。

時間があればその子に寄り添い、話を聞いてみる。そして色々と考えまた問いかける。その繰り返し。

ある瞬間、ひょっとしたら…と気づいたことがありました。

それは、この子は「親の期待・学校の期待・世間の目を異常なまでに意識している」ということ。

そこでボクはこの子を呼び、2人だけでゆっくり話せる場所に連れて行って、ゆっくりと声をかけました。

「…あのさ?君が親を思う気持ちは素晴らしいと思う。期待に応えたいという気持ちもわかる。でもね?受験て誰のためのものだろう?なんのためにあるんだろう?君の成長と幸せに繋がらないなら、結局親は悲しいだろうし、俺も悲しい。」

このように語りかけると、その子は堰を切ったように号泣。しばし号泣。

それを黙ってじっと見守っていました。

その日以降本来の自分を取り戻し、少しずつ自分のペースを掴みなおしていきました。

結果、受験は誰もが羨むような名門校への逆転合格で幕を閉じます。

ところが、その数年後、意外な形で再会を果たしました。

ある日ニュースで「大学生が見知らぬ相手に酒を飲ませて暴行」といった類のニュースが流れました。

(やれやれ…また大学生がやらかしたのか…)

そのくらい軽い気持ちでニュース音声を聞き流していましたが、そのニュースで流れた「過ちを犯した相手」の名前が報道された時、ボクは驚きで固まってしました。

あの子の名前だったのです。

この子と接点がなくなってからも、風の噂で様子は聞いていました。

聞けば大学も非常に優秀な、世間一般でいえば誰もが羨むような大学に入ったようでした。

なのに一体なぜ?ボクは考えました。

いくつか話を聞きましたが、おそらくあの子は「周囲の期待に応えようとして壊れかけていたあの頃」に戻ってしまったのでしょう。

そして、周りにはそんなことで苦しむ様子を察して声をかけてあげられる人がいなかった。

それがお酒を飲んで酔っ払ったことを機会に、ストレスの歪みという形で一気におかしな形で放出されてしまったのでしょう。

今ではどこでどうしているのか、親御さんもどうなっているのかわかりません。

 

③ボクたちはいつから大人になるのか?

「〇〇という学校に行ったのだから、将来は△△であるべき」

「男は◯歳になったら××すべき」

「女性は◯歳までには結婚しないとまずい」

「◇◇という職業は世間的に安パイだから勝ち組」

いまだにこういった「前近代的固定概念」は山ほど存在し、多くの人がこの幻想にも近い謎の概念に脅迫されているのでしょう。

「こうあるべき」「こうでないとマズイ」「こうだったら勝ち(負け)」

一体誰が決めるのか?勿論不安や劣等感はあるのが普通です。

幾つになっても・どこまでいっても拭えないのかもしれません。

少なくともボクは常に不安です。まあ「前向きな不安」と思っていますけど(笑)

「本当にこれでいいのか?」「まだやれることがあるんじゃないか?」これはしょっちゅうです。

でもそれは誰かと比べる・だれかにOKをもらうため、となると精神的には明らかに不健全なのです。

直感が、心のざわつき方が違うのです。だから誰かのために自信喪失はしないようにしています。難しいのもわかりますが、極力。

 

ボクたちはいつから大人になるのでしょう?

上に書いたようなこと、大人になったからといって達観することでもありません。

幾つになっても、立派な肩書きに見えても、子供の感性で見るとしょうもない人は山ほどいます。

「子供の感性で見ると」という表現自体、齢を重ねていない方に失礼ですかね。

もし大人になることが寛容になることであるならば、

もし未来がダイバーシティだとかいうならば、

到底大人になれているとは言い難い社会があちこちに転がっています。

「肩書き」「常識」「世間体」は、あいも変わらずボク達もちびっ子達も蝕んでいるのです。

そしてそういったものと向き合い、戦うことができず潰されてしまう。

「そんなのは自己責任」というにはあまりにも厳しい。それが現代です。

 

④不条理を力に変えるシンプルな約束

今、たくさんのコミュニティがリアル・バーチャル関係なく複数同時に生まれています。

そして未来はそれぞれのコミュニティでエコシステムも整備されていく。

そうなれば「常識」「共通項」というもの自体が分散する可能性が高いです。

そうなった時、全てのコミュニテイに共通する大切な決まりは何か?

必要不要の議論は置いておいてあえて作るとすれば?

それは「幼稚園児でもわかる、ごくシンプルな決まり」このぐらいしか必要にならないでしょう。それは例えばたった4つの決まりごと。

 ◇誰かに何かをしてもらったら「ありがとう」

 ◇自分がしたことが間違っていたら「ごめんなさい」

 ◇わからないことがあったら「ねえねえ?質問。あのさ・・・」

 ◇相手が嫌がること・迷惑になることはしない

未来がどう進んでいっても、たくさんの「?」とか、不条理と感じることが出てくることは避けられないと思います。

そんな不条理をパワーに変えて、超えていくためには?

物事をシンプルに、誰でもわかるレベルで徹底することは一つの手段だと思います。

 

「生き方を選べる」これは素晴らしいことだと思います。

選べるからこそ、常識や世間体で心を閉じない。きちんと対話で向き合えるコミュニティが健全ですよね。

なるべく多くのコミュニティが、そうであって欲しいと願います。

 

ではでは。