マツのみらい商店

大人も子供も楽しく学びあえる場作り=21世紀の学びを日々研究。日本で唯一の北欧流ビジネスデザインアカデミアLeare Academyの1期生。真剣な課題を面白く、面白い課題を真剣に。 年中夢求で営業中です。

離婚に悩む全ての母親へ(子ども目線)

どーもマツです。

今回はボク自身の子供時代の経験から、特に有益かはわからない文章を綴ります。

 

ボクは9歳から父親がいません。今でこそ珍しく無くなっていますが、当時はまだまだ「母子家庭」というのは珍しかったと思います。結果的に「離婚」という形になりましたが、最初は「蒸発」でした。ボクの9歳の誕生日に、突然姿を消してしまったことを記憶しています。

あとで聞いたのですが、どうやら仕事がうまくいかなくなってしまい愛人を作って当時住んでいた埼玉県からは遠く離れた関西方面のどちらかに行ってしまった…そんなことがあったようでした。

まだ当時は物事を冷静に考えたりすることもできず、そもそも9歳の頭に「愛人」という言葉はきちんと入ってくる単語ではありませんでした。

でも、何かとんでも無いことが起こっていることだけはわかる。母の表情から。そんな感じでした。今思えば、母親もまだまだちびっ子だったボクにどんな言葉で、何を伝えれば良いかわからないこともとても多くあったのだと思います。

真面目な顔で「このまま一緒に死ぬことも考えちゃうよね…」と、子供としてはリアクションに困る、本当にまずいのかもしれない…と思う時もありました。

あれからもう随分と時は経ちましたが、ボクは元気で社会人をやっています。決して裕福ではありませんでしたが、大学にもきちんといかせてもらって素敵な思い出が作れました。

会社でも自分なりにストレスなく努力することができ、曲がりなりにも幹部の端くれとして会社で役割を担うことができています。

「ストレス性〇〇」みたいなものに悩まされたことも一度もありません。

 

今振り返って、人生のいくつかの重要な分岐点の一つが9歳の頃にあったのだと振り返っています。当時、離婚を決めた母がボクにしてくれたこと。

それがボクを、結果的に健やかにのびのびと育ててくれたのです。

今、ひょっとして離婚や家族関係でもし悩んでいる人がいたら、子供の目線で「あの時こんな風にしてくれたから助かったよ!」ということを伝えられればと思っています。

母親への感謝も込めて、もしかしたら母子家庭に悩むお母様に向けて、当時のボクが救われた母親のしてくれたことを書いておきますね。

 

①正直にきちんと話してくれた

「パパに好きな人ができて、その人は愛人になって遠くに住むことに決めたんだって」そんな風に言われたのを覚えています。

今思えば、こんな風に正直に言ってくれてボクは心が楽になったのを思い出します。意味はわからない、なんかヤバそう…。

でも、お母さんだけは信じても良いと思えました。直感的に。離婚とか複雑な問題はなかなか正直に言いづらいかもしれません。

だからこそ、思い切ってきちんと向き合って教えてくれるだけでよくわからないなりに心は落ち着くもの。大切なことは本当のことを言って欲しい、ということです。

 

②質問や確認はされなかった

色々な話を聞いたあと、最後に母親は「色々大変だけど頑張ってやっていこう」とだけ、涙目で語りかけてくれました。

受け答えには困り「うん」しか言えませんでしたが、もしもあの時「あなたはパパとママ、どっちと暮らしたいの?」とか「バラバラになっちゃうけどそれでもいい?」などと聞かれたら自分がどうなっていたかわかりません。

子供の気持ちも尊重したい。でもそのあまり、ここで「どう思う?」「どうする?」はあまりにも酷です。

話してはくれましたが、ここでの質問はある意味「決断を迫る=責任を求める」ともなります。子供には厳しい。

ガンバロウでも、いまは不安でも、ただただ親の思いが聞ければそれでいい。そんな風に思います。

子供なりに親の苦悩は、痛いほどわかります。

 

③環境はなるべく変えずにいてくれた

学校とか、友達とか、名前とか。

お金のかかる云々ではなく単純に引っ越しとか「子供の生活パターンそのもの」が変わることは極力避けてくれました。

よく言われることですが、人は良くも悪くも「環境と付き合う人で変わる」と言われます。

もちろん良いこともあるのですが、離婚など家庭内で変化があった時は周囲の環境は普通であるような努力や工夫をしてくれたことは、今思えば大きかったです。

友達とも普通に遊べましたしね。

 

④「ごめんね」と言われなかった

母は苦労もしていて、精神的にも落ち着かないことが多かったと思います。もちろん子供達にとって、親が離婚してしまう・親が喧嘩しているなどはいいことには感じられません。不安定にもなるのは当たり前です。

でも「ごめんね」と言われると、切なくて仕方ないと思います。

それは母親が「本当に悪いことをしたことを認めた」と感じることにも繋がります。

罪悪感は、親としてはあるのでしょうが、ボクは今振り返って「親がボクに謝らなかった」これはでかいことでした。

謝るくらいなら、まず親には心を安定させ落ち着いてほしい。罪の意識よりも次の幸せと心身の健康があれば良いのです。

子供にとって、親の元気な顔は何より大切ですから。

 

以上です。

いかがでしたでしょうか?

ボク、未来は様々な理由で母子家庭・父子家庭が増えるんじゃないかって思っています。ていうか増えています。だんだん珍しくはなくなっていますが、それでも悩むお母様は多いのかな、と最近思うことがありました。ので、こんなブログを書いてみました。

ボクは男ですので「女性の気持ち」はよくわからないのかも知れませんが、あの時子供ながらに感じた記憶から、子供目線で少しでもエールを送れれば、と書きました。完璧な母親などいない、と良く言われますが、だとすると何が大切か?

多分「目を見て、心を開いて、しっかりと話してほしい」ということだと子供の頃のボクと向き合って、思っております。

誰かの、何かの参考になれば幸いです。

あ、ちなみに母親はもちろん今も健在で、たわいも無い話題から深い話まで、今でもよく語り合っています。

 

最後に、子供の頃時折母と見ていた画集?を紹介して終わります。

工夫次第で、考え方次第で不便もまた楽しい。そんなことを感じながら眺めていました。

ではでは!