「質の良い遊び」こそ未来を生き抜く唯一の方法
ボクの家族は色々と食と娯楽には不思議な厳しいルールがあって
その中でも親のレコメンド以外はなかなかテレビを見せてもらえないという
ちょっと変わったルールがありました。
でも、たまに見せてもらえるテレビとか映画が面白かったのを覚えています。
その中でもけっこうハマって、書籍版でも時々読み直すものがあります。
それがこちら。
この物語、簡単にいうと人間の想像力(創造力)が乏しくなったために
物語の中のファンタージェンという世界が崩壊の危機を迎えてしまう…と、
そんなところから始まるのです。
物語の世界と現実世界を行ったり来たりしてファンタージェンを救うのが
主人公のバスチアンなのです。
で、今日はこの本の紹介ではなく「良い遊び」のことなんです。
バスチアンは想像力と遊びで世界を救うんですよね。
今、物が溢れていて、単純には物が売れない時代です。
おもちゃメーカーなどもあの手この手でおもちゃを売ろうとしていますが…
当然、考え込まれておもしろいものも多いのかもしれません。あまり知りませんが。
ただ「おもしろい」と「質の良い」は別物だな、と思います。
将来に活きてくる、価値のある、なおかつ飽きずにワクワクできる遊びには
いくつかの共通点があります。それは以下の3つですかね。
①考える余白がある
②自分たちでルールを決めたり変えられる
③消費せず生産する
最近の流行りでいえば「人狼」などもこれらの要素を持っています。
お金をかけて、新しく商品化しなくてもこれらを満たすと十分楽しめます。
ボクの家は不思議なルールがある、と書きましたが遊びも結構ぶっ飛んでいたかと。
テレビゲームの類いはまず禁止でした(涙)
で、その代わりにやっていた遊び・暇過ぎて作った遊びがなかなかでした。
【我が家の変わった遊び1:キノコ食べられるかな?】
これは確か6歳くらいに流行った(?)遊びでした。要はキノコ狩りを
ボクと兄だけでやるのです。キノコ図鑑一冊渡されて、山に連れていかれるのです。
何しろ田舎ですから家を出て5分も歩けば山です。そこからは完全なる自由行動。
図鑑と照らし合わせて「食べられそうかな?」というキノコを持って帰ってきて
食べられるかを試す、という遊びでした。
持って帰ったキノコは素焼きにして、少し口に入れて食べられそうかを全身で感じる。
面白いもので、本当にヤバいキノコだと口に入れて、何と無くわかるのです。
危なければ飲み込まずに吐き捨てる(笑)。よく死ななかったなぁと思いますね。
ちなみに兄はこのゲームで美味しいキノコを見つけましたが、たくさん食べた翌日
猛烈な吐き気に襲われて以来、2度とキノコを食べていません…
【我が家の変わった遊び2:アンモナイト探し】
アンモナイト。こんな奴ですね。
かつて日本の多くは海だった、みたいなことを聴いてからわずかに流行った遊び。
ひたすらあちこちを歩き回って、崖とか岩場を探しては岩を叩き割り
「アンモナイト出てこないかなぁー」と、夕暮れまで探す。
めっちゃ歩いて足腰はそれなりに鍛えられたかと。。。
あと「この辺が海だったら…」という妄想力も(笑)
【我が家の変わった遊び3:鬼太郎の妖怪ポスト探し】
ボクは7歳くらいからゲゲゲの鬼太郎と妖怪が大好きになりました。
将来の夢は「妖怪博士」、だから誕生日プレゼントは妖怪図鑑が欲しい、と
親に一生懸命話していました。こういうのは買ってくれるんですよね…
で、その本で学んだ「鬼太郎に相談したい場合は妖怪ポストに手紙を送ると、本当に
鬼太郎が来てくれる」というのを実践したくて一生懸命に探したんですよ。
当然ないですよね。。。
でも「この辺だったらポスト作りやすそう!いつか鬼太郎はきてくれる!」と
期待しまくっていたのものよく覚えています。
振り返ってみればこの時に想像力と、たくましい精神力は身に付きました。
まず精神的にすごくタフになった。
そして子供の気持ちもよくわかるようになり、心が折れることもまずありません。
大人になってからも「精神性なんちゃら」にならないのはこの頃の経験のおかげ?
仕事で困ったことがあっても創意工夫で楽しく乗り切る。
生活に困る事態があってもゲーム化しちゃう。
今流行りの「生きる力」が、このころまさに身についたんだと思っています。
ましてやこれから先は変化も激しく先が読めない時代。
よく書いていますが安定・安パイを求めるほうが失敗します。
だったら楽しく、なおかつ質の良い・心を鍛える遊びをやらせてみては?
ぜひ皆さんで上記①〜③を踏まえた「ワクワクする遊び」を考えてみてください。
それが作れた時点で、もう未来のヒーローかも??
ではでは!