マツのみらい商店

大人も子供も楽しく学びあえる場作り=21世紀の学びを日々研究。日本で唯一の北欧流ビジネスデザインアカデミアLeare Academyの1期生。真剣な課題を面白く、面白い課題を真剣に。 年中夢求で営業中です。

ちびっ子から大人までお金と心を育むおすすめ本4選

 

【本日の目次】

 

①幸せの最低条件

教育業界ではよく訊かれる問い。それは

「何のために子供達は勉強する(学ぶ、と言う言葉は意外と出ない)のか?」

「勉強を通じて子供達にどうなって欲しいのか?」

こんな感じの問いや疑問はかなり多いです。

 

で、この問いへの答えは色々あるかと思うのです。

ちなみに世のお母様達で多い答え(ボク調べ)で圧倒的に多いもの。

「うーん…普通に生活してくれれば良いですかね」

「難しいな…でも幸せになってくれれば親としては安心です」

こういう答えは本当に多い。いや、本当に。

でも「普通」とか「幸せ」ってなんですか?というと微妙な答えが多いです。

そして大体35歳以上が答える「普通・幸せの条件」は大体

テレビや雑誌で見た、誰もが理解できそうとされる大衆化された内容です。

これはマスメディアとか昭和社会の弊害と言われます。

まあ、これは今日の本編ではないのでまたの機会に。

幸せの定義とかは人によってまちまちですが、共通の最低条件はあります。

それは以下のようなものかと。

 ①最低限お金に困らない。やっぱりお金は大事。

 ②心健やかであること。心身の健康があって挑戦ができる。

で、これを育むためにもちびっ子のうちからできることって結構あります。

意外と日本では語られませんが。

子供の頃から金融教育とか性教育・対人スキルを磨く教育とかあっても良い。

そんな風に思っています。

そして早い段階で①②について親子ともに触れておくことは

これから先の生活においてすごく大事だと思います。

今日は未来において大切な「金融教育的学び」と「心の学び」について

オススメの本を紹介してみたいと思います。

 

②オススメⅠ:ミヒャエル・エンデ『モモ』

以前のこの本に関連する記事はこちら。 

mirai-syouten.hatenablog.com

 モモの著者ミヒャエルエンデはこの本の中で

「時間」という資産について子供にもわかりやすく描いています。

それは現代の人々が未来心豊かに生きるために必要な考え方のヒントをくれます。

 ちなみにエンデは当時から「地域通貨」という考え方を提唱しており

これは将来的にはテクノロジーと融合して「トークン」という名の、

わかりやすく言えば「新しい通貨の形」を実現するものになるかもしれないもの。

先見の明がめちゃくちゃあった、ということですよね。

 

あまりちびっ子達に生々しい話はしたくない。

でも人という資産や時間という資産、

本当に大切な「豊かに生きる考え」にふんわりと触れさせたい。

そんな人にはオススメです。

 

③オススメⅡ:ジェームスヘックマン『幼児教育の経済学』

日本では「勉強大事!」とかいう割に

「どんな勉強が、後々どう役に立つのか?」というデータは

意外なほど取られていません。かなりもやっとしているのです。

教育データ分析によるエビデンス、というのは海外の方が圧倒的に強い。

日本人に全て当てはまるわけではありませんし、

読んでいてもいまいちピンとこない部分も正直多いと思います。

が、「教育と豊かさ」「教育が経済にもたらす影響」という

日本だと結構アンタッチャブルにみられがちな部分について

「非認知スキルを磨く」「就学前教育が重要」という視点で

書いてくれているのは結構貴重だと思います。

ちなみにHowTo本ではないので、具体的に「〇〇しましょう!」

ではない点はご了承ください。

まあなんでも手っ取り早くて良いわけでは無いですしね(笑)

 

④オススメⅢ:『インベスターZ』

これはもはや王道なんですかね?(笑)

まず何よりも漫画なので読みやすい!

そして漫画なのですが、大人が読んでも「なるほど!」と唸る情報が多い。

そして「学校」が舞台なので、10代で読んでも違和感なく受け入れやすい。

ここは大きなポイントだと思います。

大人も子供も、楽しみながら、リアルで役に立つ知識を得ることができる。

これが面白いですね。

登場する投資知識も王道ですので、怪しい金儲けには走らなくて済みます(笑)

 

⑤オススメⅣ:『どう解く?』

特に2020年以降、ボクは今まで以上に

テクノロジーと身体性、文系と理系のalternativeな教育や学びが大切になる、

そんな風に思っています。(単一的でなくバランスよく選べる、みたいな…)

そして身体性や精神性を育む時、いろんな人の考えや意見を柔軟に受け入れる

そんなスキルというか視点はとても価値が高くなると思います。

この本は限りなく絵本のようで、まさに「ちびっ子向け」に見えますが

内容的にはかなり深いと思います。

大人でもなかなか読み応え…ではなく「考えごたえ」があります。

親子の団欒のひとときに是非!というものですね。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

秋も深まり、読書にはもってこいの季節になりました。

是非、皆さんで読んでみてくださいな。

 

ではでは!

努力が評価される時代は終わり。夢・好きなことを探す時代も終わり。次世代に大切なこと。

このツイートの下動画、めっちゃ再生されていますよね。

ボクは特にこの部分に共感しました。

努力は悪いことじゃなく、むしろ良いんだけど捉え方によっては危険でして…

努力とか

夢とか

ゆるーい挑戦

そんなものについて綴ります。

 

【本日の目次】

 

 

①偏差値教育の中で良いと思う点

偏差値教育って、まあ随分前から疑問視されているし

その価値や意義については賛否の論の中でも「否」の割合が圧倒的に増えてます。

ボクもその価値や意味については些か懐疑的でした。

が、最近「ああ、そんなに悪くない点もあるな」と思っています。

それは「何らかの成果がわかりやすくスコアリングされる点」これです。

頑張ったではなく、勉強の成果を「テスト」に表現し

それを「偏差値」というスコアリングによって評価する・されるという点。

何がまずいか?というと、その評価が「単純暗記の記憶再生」を競う点とか

それが評価のすべてでもあるかのような基準になっている点でしょうか。

きちんと成果がスコアリングされている点は素晴らしいと改めて思います。

最近思うのは、この考え方がズレることによって

頑張っていないよいうに見える、努力が足りないように見えると非難され、

本当に変えるべき課題が旧態依然の精神論に侵されちゃうんだろうな、と。

 

②頑張ることは他人が評価してはいけない

頑張ることとか努力は絶対的に必要なんですよね。

これは間違いない。何かをなし得るときに、ラクに物事が進むことはほぼ無いです。

壁にも当たるし、悩むこともあるし、努力もするし…

悔しい思いもするし、諦めかけるし、また工夫改善に時間を費やすし。

でもこれらは「人に言われてそうなる」のではなく

「悔しかろうが逃げ出すたくなろうが、本人の意志でやる」ことに意味があります。

つまり「こんなに頑張ったんだ!」とか「もう人事は尽くした!」とかいう思考は

本人だけが持てばよくて、このプロセスの部分に他人が絡むと厄介です。

あくまでも他人は「結果」「成果」でしか評価できません。

もちろん相手のやっていることを「あの人頑張っているな…」と思うことは問題無し。

news.careerconnection.jp

努力や工夫のプロセスは他人がとやかく言ってはいけないのです。

そしてこれはちびっ子達の成長や学びにおいても同じかな、と。

「よく頑張ったねぇ!エライねぇ」

「〇〇ちゃんはずっと頑張ってたもんね!」

こういうことって良かれと思って良いがちです。

ボクもこれが良い、これで良いと思っていた時期はありました。

が、やっぱりこれは良くない。

頑張ったことを褒めて欲しいなんて思っていない子もいるし、

頑張ったことが褒められることで目的がすり替わるのも本当に怖い。

頑張りを褒めるのは、自分が自分を褒めるときだけで十分です。

 

 

③関心と課題へのアンテナを高くする

自己肯定感や自己商人が大切な時代。

頑張りを褒めないならば何を褒めるか?

ていうか最近思っているのは「成果や資産に関して褒める」これです。

ちょっと難しいですね。

わかりやすくいうと、以下のようなことがあった時に褒めるのが効果的なのです。

 ・作文コンクールとかで入賞した時

 ・ちびっ子が興味をもって学んだことを訊いてみたら披露してくれた時

 ・最近の興味や悩みや疑問を言葉にして話してくれた時

 ・ ある物事について、前よりも明らかにうまくできている時

  (時間が縮まった・できる回数が増えた、など)

前々から「働くことと学ぶことはほぼ同じ」とボクは言っています。

そう考えると、学ぶこと(大人でいう本質的な働くこと)というのは

必ず何かしら数値や成果になるからこそ、周囲に評価される方がいい

あるいは努力どうこうではなく、悩み・不安・疑問という形で

課題を明確にして伝えられることも未来において価値が高い

そうすると、これらについての兆しが見えたら(=何らかの成果があったら)

褒めることで、実社会との繋がりが密接で豊かになるのですね。

そしてこれらができるようになる・形に残すためには

できるだけたくさんのことに挑戦してみないといけません。

なぜか?

どれで何らかの成果がわからないからです。

あるいは何をやることで課題感が生まれるかがわからないからです。

だから関心と課題のアンテナを高くすることで

沢山の挑戦と失敗と、疑問を持つことと成果を出す機会を得ることになる。

 

④夢を持つよりも大切なこと

上に書いたようなことが好きを見つける、夢を持つ以上に大切なことでしょう。

関心のアンテナを高く貼る。

課題や不便についてアンテナを高く貼る。

だからこそちびっ子達にはそのような環境を与えることが

「夢を持て」

「好きなことに没頭しよう」

というよりも大切になります。

勿論、まんべんなくそつなく物事をこなさせる以上に、

あるいは先生の言うことを聞かせる以上に、

10000倍くらい重要なのは言うまでもありません。

夢や好きなことを見つける工夫から入ると苦しくなる人もいるはず。

それは美しい言葉で何となく過大視されていない課題があるからなんです。

もっとネガティヴでもいい。

「だりーな」「何でいちいちヤンなきゃいけないの?」から始まってOK。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

ボクは大人になってからもずっと教育のこと考えていて

そろそろ上に書いたようなことが学びの主流になり

みんなで話し合いながら課題解決に向かうとか

めんどくさいこと、やりたくないことから新しい発見が生まれたり

何となく成果を褒められたり、不安を口にしてイノベーションが生まれたり

それを応援する・支援する大人やVCが現れても良い気がするんですよ。

 

そのプロトタイプを本業で作ってみよう!ってワクワクし始めています!!

ではでは!

人生で4つのイベントが猛烈な努力を生む 〜凡人以下が幸せを作るには?〜

 

確かプロブロガーにしてインフルエンサーはあちゅうさんのツイートで

「これからのマーケティングは4Pから4Sへ」みたいなのがありまして。

その4Sっていうのが

 Story(商品よりも物語)

 Share(営業よりも口コミ)

 Schedule(場所ではなく時間の占有)

 Speciality(マスではなく個への特別感)

だそうで。なるほどーって感じですよね。

マーケティングではありませんが、この4Sを眺めていたら

「凡人の努力」ではなく

ボクという、少年時代「凡人以下だった」人の努力について書きたくなりました。

「普通の人でも夢中になって好きなことをやれば大きな成長がある!」

これは最近よく言われますよね?

で、一定数は「いや、やっぱり努力できているのが凄い」とか

「すげー好きなことを見つけている時点で普通じゃない」とか

そういう意見を言いますよね。

ボク、何となく共感できるんですね。

ボクも中高生時代、好きなものとか無かったし。

かといって武勇伝もないし、これといって普通…というか、

明らかに普通以下の少年でしたから。

ボクなりに努力や工夫を続けてきて、

大学も入学・卒業を無事に果たし

今も会社で曲がりなりにも幹部の端くれとして

多分普通のサラリーマン年収平均はゆうに超えるくらい稼げている。

「凡人以下の猛烈な努力」はスーパーマン、とまではいきませんが

そこそこしっかりした人生を築くことはできるんだな、と思います。

 

今回はそんな普通以下・凡人以下だったボクが自身を振り返って

「凡人以下の人が努力できるきっかけをくれる4つのイベント」と

「凡人以下の人間がシワ背を作るためには?」ということについて綴ります。

 

 

【本日の目次】

 

①「凡人以下」だったボク

最近いろんな啓発本やビジネス本で「普通の人でも驚くような成長ができる!」

とかそういうフレーズ多いですよね?それは多分間違いじゃない。

ボクもすごく憧れますし、努力というか、手を動かし試行錯誤するのは

素晴らしいし、見習うべきことなんだと思います。

でも、ボクは少年時代「普通の人以下」だったと思います。

まずね、圧倒的に病弱でした。小学校6年生で体重20キロちょっとしか無い。

ガリガリに痩せていて、田舎で野生的な生活をしていたのに弱い(笑)

食べ物もきちんと食べられません。お茶碗一杯のご飯を食べられない。

無理して食べると吐いてしまうのです。

季節の変わり目はいつも得体の知れないデキモノが体にできて寝込んでしまう。

まず自分という人間が弱かった。

そして家族もいろいろありました…

9歳の誕生日に父親が蒸発してしまうのですね。

母親にある時散歩に連れていかれて、真面目に自殺の相談されたりとか(笑)

その影響なのか、赤面症・軽い対人恐怖症みたいになっちゃって。

学校の音楽の授業とか苦痛でした。先生の前で歌うと膝が震えるんです。

顔もみるみる真っ赤になってしまって…

運動も苦手。走るの遅いし、筋力がないから大抵はダメ。

勉強もこれといって好きも嫌いもない。苦手は多かったですけど。

なんかもう、ちびっ子の頃は将来への夢なんて考えたこともなかったような。

 

②人生イベントⅠ:窮地に立たされる

で、そんなそんなボクが人生で最初に少し努力しようと思ったのは

まさに9歳の誕生日。父親が蒸発してしまって母子家庭になってしばらくしてから。

母親の情緒不安定度合いとかヤバかったんです。(今は極めて良好)

ボクはその時すごく憧れたんです。普通であることに。

普通に中学生になって、普通にご飯が食べれて、

普通に大人になって、普通に夜更かしができる!

(当時のボクの脳みそではこれが限界)

多分人は大なり小なり大きなショックと共に変わるきっかけがあるのだと思います。

ボクはこの「父親がいなくなる」そして

「母親が情緒不安定になる」ことに直面して、一つめの分岐を迎えました。

結果的に小学生時代は何もできませんでしたが、

少なくとも9〜10歳くらいのボクは

「何とかして普通になろう!」と決意したのでした。

 

③人生イベントⅡ:人との出会い

ボクの人生を振り返って様々なイベントはあったと思いますが

やっぱり大きいのは人との出会いでした。

ボクの場合は予備校講師との出会い。冒頭に書籍を貼ってある

東進ハイスクールの英語講師、安河内哲也先生。

この方との出会いはそれまでのボクを一気に変えてくれました。

漠然と「普通の人生」を夢見ていたボクが17歳の時、

予備校の無料体験会みたいな奴でビデオ講座を見たんですね。

その時、映像の向こうにいたのが彼でした。

当時は受験熱もまだまだ高かったですから、彼は画面越しに言うのです。

(まあ画面越しなんでボクに言ってる訳ではないんですけど)

「大学受験は一発逆転できるチャンスだ!」

「努力した分だけ必ず伸びる!」

そんな下手なエールを送ってくれるのです。

当時のボクはそれを聞いて頑張ろう、と思いました。稲妻が走ったのです。

「俺でもやれるかもしれない!」と本気で思いました。

今、沢山の子供達を相手に仕事をしているのも、このころの経験が元になっています。

まあ「やろう!」と思っただけでそう簡単に行くハズもない。

何しろ初めて受けた全国模試の偏差値は35でしたからね(笑)

それこそ「死ぬ気になって」勉強して、やっと一歩前進て感じでした。

1日12時間以上の勉強は当たり前。

人が3回やってできると言うことをボクはできないので5回6回繰り返す。

それでも覚えられなければ腕にシャーペンを刺して、痛みで覚えてました(笑)

風呂もトイレも勉強。

寝るときも自分で録音した音声を聞きながら眠る。

(あまりお金がないので自分の録音で節約していた)

勉強のしすぎで過労で倒れても(元々体が弱かったからね)、やる。

成績が伸びなくても、不安でもやる。(悩んでいることが時間の無駄) 

今振り返れば本当に「人との出会い」で変われるものは多いなぁと思います。

どういう出会いであれ、人との出会いや付き合いでかあることは確実。

ならばとりあえず沢山の人に会うのは、間違いは絶対にありません。 

 

④人生イベントⅢ:大きな挫折感

受験生として死ぬほど努力をしたら、まさにビリギャルのように格好良く合格!

 …と、いきたかったのですが結果は現役時代全部不合格。。。

勉強めちゃんこ頑張って、偏差値も35→72まで上がったのに、です。

ボクはメンタル弱かったんですよね。

受験本番っていうか、その前からもうダメなオーラ出てました。

今でいう「アンチ」的な存在のせいね。

本当にめちゃくちゃ勉強頑張って、予備校でも目立ってたんですよ。

成績上がってたし。地元の女子高生にも声かけられたり。(人生初!)

でも目立つとアンチみたいなやつが出てくるのは昔もありまして。

自習室とかにいて、トイレに行って戻ってくると

机にペンで「打倒〇〇(←ボクの名前)!」と書かれていたり

謎の無言電話が家にかかってきたり(当時は携帯などまだ無かった)

今でこそ流せますが、当時はメンタル弱かった。

「この注目度合いで合格できなかったら周りから笑われる…」とか

真剣に悩んで泣いていましたね(笑)

で、全然自分をコントロールできずに全滅。

でもこの時いくつかのことを学びました。

・努力をすれば必ず何かしらの成長が、どこかの数値などで見て取れる。

・全ての努力が報われるわけではない。人の評価も結果があるから。

・でも努力しないと報われる確率は0のまま

・失敗して落ち込んでも、結局その後頑張れるかどうかで人生は変わる(かも)

・多分同じように頑張ってもダメで苦しんでいる人はいる。痛みを理解しないと…

 

当時は相当落ち込んで「やはり凡人以下は凡人以下で普通には慣れない…」

と一晩中ブランコに座って泣いていました。

が、やるしかない。

父親のいないそれなりの貧乏家庭なのに、母親に土下座して浪人したのです。

結果、1年後に都内の国立大学に通うことになったので、結果オーライかな?

でも1年後の結果以上に、挫折から学んだことは大きかったです。

 

⑤人生イベントⅣ:大恋愛→大失恋

中高生との会話でよくいうことがあります。

「20歳くらいまでに大きな挫折と大失恋は経験した方が良いよ!」って。

「多分ね、その方が人に優しくなれるし、人の痛みがわかる大人になる!」と。

本当、どの口が言ってんんだ、って当時は思っていました。

高校生時代も普通に憧れたボクは恋愛っぽい何かに挑戦はしていました。

が、まあそこは凡人以下。満足に「恋愛!」と呼べるものはなかったですね。

代わりに仲の良い先輩に女子が多かったのは救いでした。

(色白で痩せていたから女子力高めに見えたのかな??)

初めてちゃんとした「恋愛」したのは大学2年生の頃。

それも同じサークルの1つ年下の後輩(The!普通の大学生。これぞ憧れ!)

結果的に紆余曲折ありつつも、この子と6年間付き合ったのですよ。

長いですねぇ。(長いですよね?)

共に自宅通いの学生でしたから苦労もありましたが。

 

一緒に旅行も初めて行って

初めての「半」同棲生活も経験して(これもボクの中で普通への憧れでした)

初めて一緒に料理して

ボクの就活生時代の精神不安定も支えてもらって

彼女の就活精神不安定期を社会人になったボクが支えて

まあでも、結局いろんなことがすれ違って別れたんですけどね。

 

この時は大失恋で飯が食えない!泣いてばっか…というと全くそういうのは無い。

ただ寂しさがジンワリじんわり…って感じでした。

今思うと「普通の社会人」「普通に頑張れること」に

目が向き過ぎていたのかもしれません。でも、沢山の思い出とともに

「あぁ、やっぱりこういう経験をするとまた違った言葉が使えるな」と

妙に冷静に、前向きになっていましたね。

会社でも初めて管理職に抜擢されたのはその翌年のことでした。

(当時最年少で結構なポストをいただいたのです)

 

⑥自分なりの幸せと自問自答が人生を豊かにする

ここまで書いて見て自分で思ったこと。

「文字にするとスゲー普通やな(笑)」っていうこと。

まあでも、普通に憧れ続けた凡人以下の10代でしたから、

ある意味目標は叶ったのかな?とも思います。

 

今はいろんな意味で「個」がフォーカスされる時代です。

それは多分間違いない。

良いことでもあり、人によってはちょっと息苦しさもあるかもしれません。

何しろ「普通」という概念はもはや存在しませんからね。

 

ずっと「普通」に憧れ続けたボクは今、何を思っているか?

それは「もう少し普通でないことも愛してあげても良かったかも」ということ。

当時のボクには、まあ無理な話かもしれませんが。

今改めて振り返って思うこと。

・好きなことやりたいことはあるのは素敵。でもなくたって別に良い。

・「もうこれ以上無理」と思うくらいの努力は必ず人生を豊かにする

・①大きな環境変化、②人の出会い、③挫折、④失恋の4つは大切!

・上の4つのイベントで人は猛烈に猛烈に努力するチャンスを掴める!

・だからその時が来たらチャンスは掴み取るべし!

・落ち込んで、めっちゃ泣いた後でも良いから努力するチャンスは掴もう!

 

めっちゃ努力して、出世したり成功を収めて幸せになるのか?

多分答えはNOですね。まだ生きてる途中なんでわかりませんが。

生きている中で大切なのは次の二つ。

 ①常に「自分の幸せはこんな感じ」をイメージ&アップデート

 ②常に「自問自答」を繰り返す。上記①のために

 

多分凡人とか、秀才とか天才とかでなく①②が大切なんだな…

ということが最近とてもしっくりくるんですね。

普通か否かとかどーでも良い。

凡人どころかそれ以下のボクも強く思います。

4つのイベントはあくまでも「ただのキッカケ」なのでしょうね。

大人も子供も、常に自分に問いかけながら悩みながら成長する。

で、たまに「ここぞ!」とばかりに猛烈に頑張る。夢中になる。

その繰り返しで結果的に幸せな人生は創られていくのですよ!(多分ね)

 

ではでは!

いつの時代でも、幼稚園児でもできる!成功する「素敵な大人」4つの口癖

KUMAPさんという、Twitter界隈では超有名人の

実に興味深いツイートを読んだのですよ。

これは正直ビックリでした。

で、思わずリプを送ったのですよ。

まあ色々めんどくさい・重たいっていう人がいるんですって。

ふむ。

真理と常識は似て非なるものという文脈においた方が良いみたいです。

なるほどなぁ、と思いました。 

真理はあるけれども、時代によって切り口とか光の当たり方が違う。

だから否定されるものもあるし、見直されるものもある。

確かに。

まあでも、ですよ。今回は敢えて「真理」の側で書きます(笑)

ボクはボクなりにたくさんの人から学ばせていただき

やっぱりいつの時代も、どの年代も、どこの出身でも

幼稚園児でも教わるような基本的なことで

「ある口癖」が習慣化してる人って例外なく素敵な大人であり

一般的な「成功者だな」って思う人々なのです。

繰り返しますが「幼稚園児でも教わること」です。

それではサクッといきましょう!

 

【本日の目次】

 

 

①人が何かをしてくれたら「ありがとう」

これ、幼稚園で教わりません?

何か物を落とした時、友達が拾ってくれた。

それを「はい」と渡されて受け取る時。

先生が「〇〇くん、『ありがとう』は?」と促してくれる。

超絶シンプルですが効果抜群。

昭和も平成もなく、いつ誰が使っても気持ちが良いのがこのセリフ。

成功者・素敵な大人は皆とにかく御礼をいうことが多い。

感謝をさらっと言葉で伝える。

どんな小さなことも言葉にしてくれる。

この良し悪しは時代性ではないなぁ…そう思います。

 

②間違っていたら「ごめんなさい」

これも幼稚園でよく教わる言葉じゃありません?

喧嘩したり、おもちゃの取り合いとかした時に先生に促されて。

いうまでがめっちゃモジモジするわけですが

言い終わるとなんかむず痒いような、くすぐったいような想いと共に

大体のことが丸くおさまる!みたいな。

ちなみにボクは謝ることがうまくできない時がありました。

なんか「謝る」って自分がとんでもないことをしでかした!みたいに思えて。

「ごめん…」て言おうものなら先に泣けてきちゃう時がありました。

でも、謝っちゃうとスッキリするんですよね。

これは大人でも一緒。

政治屋さんのやりとりとか小競り合い、

ちゃんと謝ったら割と簡単に済むこともありそうじゃないですか?(笑)

 

 

③お別れの挨拶「さようなら」

これも普通なんですけど、不思議と素敵な大人たちは

こういう何気ない挨拶がめちゃんこ丁寧だと思います。

ただ何となく、ではなく目を見て・笑顔で・心を込めて。

勿論「おはよう」とか「こんにちわ」とかも言ってくれるのだけど

特にお別れの時の丁寧な感じは素敵な大人の共通点です。

 

ボクが昔京都に旅行に行った時、280年続く老舗の料亭に行ったんです。

ボクはご飯を食べ終えて、外までお見送りしていただいて

歩いてホテルまで戻ろうとしたんですね。

ボクらを見送ってくださった方はお店の中に入って行ったんですけど

入れ替わるように別のお客様と女将さんが外に出てきました。

そのかたはタクシーで帰るようで、お店の前にタクシーが停まりました。

で、車に乗ってそのお客様は帰っていくのです。それを見送る女将。

ボクは離れたところでボーッと見ていました。

あたりは夜でもう暗いから、女将はボクには気づいていないはず。

彼女は深々とお辞儀をした後、タクシーをずっと見ていたのですが

そのタクシーが角を曲がって見えなくなった後。

女将さんは見えなくなったタクシーの方向に向かって

もう1回深々とお辞儀をしてからお店に戻っていったんです。

いやー、すごい。

まさにプロ。そしてお別れの際の心遣いを滅茶苦茶感じ入ってしまいました。

挨拶されていないボクが(笑)

最後の挨拶って本当に「その人が出るなぁ」って思うのです。

 

 

④わからなかったら「ねえねえ教えて?」

「わからない」

「教えて欲しい」

こういう言葉って意外と大人になると使いにくくなるようでして…

でも素敵な大人の方々はちびっ子からも、

誰からも教わることに抵抗がありません。

誰からも、何からも学ぶことを厭わない。

そしていろんなものに好奇心を持っていて、

その好奇心も日々振り返ってアップデートしているんですよね。

「いやぁ、俺も歳をとったなぁ…」とか

「いい大人にまでなって、馬鹿らしい!」とか

そういう斜に構えた感じがないんですよね。

いつまでもキラキラしていて、むしろわからないことにワクワク!みたいな。

それを見ている周りもなんかキラキラしてきちゃうんですよね。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

思い立ってサクッと書きました。

この4つの口癖、誰でもできるといえばできること。

ボクは「真似る」「パクる」大好き人間ですので(笑)、

誰でもできてパワーアップするなら是非真似ていこう!って思っています。

 

ぜひ騙されたと思って、今日から4つの言葉を使って見てください!

ではでは!

もし自分が10代に戻ったら?大学生6つの圧倒的強みに学ぶ!

 

【本日の目次】

 

 

①もしも今自分が10代ならば何をする?

先日ボクが参加しているオンラインコミュニティで

「今、もし10代に戻れたら?」みたいな問いかけをしてみたのですよ。

いろんな回答をいただいたのですが、その中でも多かったのは

「世界の広がりや可能性を自分に教えてあげたい」

といった内容でした。学校という閉鎖的な空間の外を見せる。

そしていろんなことを「本気で学んでいる人・働いている人」を会わせる。

夢ややりたいことを無理に探さず、自分らしさを追求し続けて良いのだ、と。

そういえば昔、なんかのアンケートで

20〜50代に「10代の頃にやっておけば良かったことランキング」

みたいのを聞いていて、どの世代でも上位ランキングしていたのは

アルバイトと勉強であった、というの思い出したんですね。

少しずつ変わり始めているとはいえ

まだまだ日本の中高生の学びは危うい。

何が危ないかって?

それは生徒の皆さんは礼儀正しくしっかりと学んでいますが

教える側の仕組み(=教育の戦略)がまだ圧倒的にいけていないこと。

金太郎飴生産場のような教育はなんだかんだで根が深い。

どんなに賢くて真面目でも、教わる・学ぶベクトルがイケていないと

未来は大きく違った方向に進んでしまいます。

多分10代の学びは可能性がほぼ全てな気がします。

ボクが大学生の頃は「大学とは人生の夏休みである」

とかいう名(迷)言があったのですが、言われてみれば

夏休みって時間が無限にあるように感じるので

そこでいろんな場所にっていろんな体験をするのか、それとも

家の中でずっと「暑い暑い」言いながら寝転んでアイス食べているのか?

それによって夏休み明けの話題や付き合う友達も随分変わりましたよね?

(どっちがいいかは別として)

ボク自身、大学生時代を振り返りつつ

「もし自分が今大学生ならば?」という視点も含めて

今10代でやっておいた方が良いことを綴ってみます。

 

②大学生でいることの価値

 ボクはかつてこんな記事を書きました。

mirai-syouten.hatenablog.com

「学歴不要」と書きましたが、全く役に立たないか?というとそうでもありません。

もちろん大学にもよりますが、受験だって意識高い学校から、

恐るべきスピードで変化進化しています。

buzzmag.jp

最近強く思います。

単純に「AかBか」っていう議論が難しいと。

学歴も「要か不要か」では語れないのです(まあこの辺は別の機会に…)

大学生になるのも「良し悪し」ではなく、そこに入るのに必要な

経験や創造性を持っていることが大事。

大学生になっても、その大学生の「時間をどう経験や創造性や技術に変えるか?」

ここが大事なんだと思います。

で、こういったことを前提に「大学生の価値って何か?」

これを改めて書き出してみると以下のようなことかなぁ、と。

◇時間がめちゃ多い→何にでも自由に使える・どこでも行ける

◇人に会いやすい→「学生」というブランドを社会人・起業家は歓迎する

◇圧倒的に失敗しやすい→何しても殆ど経験にしかならない。やったもん勝ち。

◇一番強制力がない期間→自分の判断だけが純粋にあればいい

◇徹夜・不規則な生活も文句言われない

◇中学・高校までの自分は一度全部リセットできる

改めて思うこと。

それは大学生って本当に「人生のチャンスモード」だなって思います。

ボクは本当にありふれた高校生でしたが

「努力すれば人はそこそこまでは変わることができる」と

予備校の恩師から教わり、自分なりに努力して大学に入りました。

超不器用な凡人でも「努力の威力」はそれなりに体感していましたから

社会人になってからもそこそこ努力して、センスや才能がなくても

会社でも幹部の要職もいただき好きにやらせてもらっています。

 

でも。

 

やっぱり大学生時代に「もっとしておけば良かった」「あのとき知りたかった!」

というものはあります。当たり前ですが。

・とりあえず海外に、旅行じゃなくていっておけば良かったなぁ

・もっと沢山の人にあう努力や工夫すれば良かった(サークル大好き人間だった) 

・もっと違った業界世界にも目を向けられれば…(国立で単科大学は視野狭い)

・学生起業してみたかった(先輩で経験者いたのに!勿体無い!)

 

まあ後悔してもしょうがないし、今も好奇心旺盛に生きているんですけどね!

ただ、間違い無く言えること。

それは冒頭のツイートに書いた通りです。

「何でもいいから行動してみること」

色々やれることがある一方、「何者かにならねばという同調圧力」とか

「夢を持っていない人間はヤバいんじゃないかという世間の目」

最近はこういうものもあるのかなぁ、と。

別に生きている全ての人間が革新者である必要はありません。

誰かが言っていることを鵜呑みにする必要などないのです。

ボクは「大衆がやっていそうなことをやる」でも全然問題ないと思います

大切なのはやってみたその後。

みんなを同じことをしたその後、自分の心に聞いてみる。

「あ、なんか違うな」と思ったら直ぐにやめて方向転換。 

こういうことは大人になってからもできますが、大学生の方がしやすい。

ならばスピーディに、精一杯やって、沢山方向転換すればいい。

で、そういうやったり・言ったりしてみた全てが資産になる。

それが大学生の価値なんです。

 

③大人になったその後は

まあいつから大人なのかは今だにボクはわからないのですが。

これも「大人か?子供か?」みたいな話は意味ないんでしょうね。

まあそれは一旦置いといて、ボクは上の二つのように思うわけです。

・いつでも自分を振り返り、客観視する

・大人になっても自己探究とか「何でだろう?」を忘れない

多分誰しも社会に出るまでに、それなりに知識も情報も得られる時代ですから、

好奇心も自然と「落ち着く」のかもしれません。

ただこれは「どの領域で情報を取っているか?」によって

幅というか、質というか、そういうものに大きな差は出ますよね。

 

大学生に戻ることはできないけれど…

いや、戻れますね。本当に戻りたければ。

19歳・20歳には戻れないけれど、あの頃と同じように、

上手に時間を使って、人と会い、外の世界に興味を持って

自分の心に振り返って小さい方向転換や改善を繰り返す。

それを大人になってからも続けられると素敵ですよね。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

今多分、大人になった人々が「大学生みたいに思考・行動できたら?」

多分もっと日本のヤバさに向き合ったり、日本の良いところに向き合ったり…

そういうことができるんだと思うのです。

そうなると今、日本が進んでいる方向を

実は大きく良い方向へ変えられるのでは?

そんな風に思います。

勿論、現役の大学生の方々も「今のおっさん・おばさんて何考えてる?」

そういう想像をしていただくだけでも違うかも。

 

色々「ヤバい」って言われるこの時代とか空気感こそ

日本が得意とするフェーズになってきた気がするんですよね。

多分東京オリンピックが終わった後あたりから本当に面白い!

ではでは!

未来への学び③ 〜高校生が日本を救う日〜

 

 

【本日の目次】

 

 

①いつから大人になるのか?

ボクは小さい頃ドラえもんが大好きでした。

特に春休みとか夏休みの映画版ね。なぜ好きだったか?

のび太ジャイアンが「仲良くなるという非日常」が好きでした…

その中でも今でも耳に残る名曲。

www.kasi-time.com

冒頭ツイートにも書きましたが、

昔々は11〜16歳で「元服」という儀式があり

それ以降は立派な大人であったわけです。

もちろん今も「成人式」という一応の儀式はありますが

ちょっと最近では趣旨が違っちゃってるとか

そもそも「成人式を終えたから大人なのか?」とか

別の問題があるようにも思うんですよね。

ボクたちはいつから大人になるのでしょうか?

別に厨二病的な意味ではなく。

もはや年齢とか肩書きとかあまり意味をなしていませんよね。

ボクは思うのです。

自分が社会との繋がりを体感・認識できた時、大人になると。

そしてそれは高校生くらいから既に始まって、力に変えていけると。

 

 

②高校生が日本救い、世界認識を変える可能性

「プロ無職」を名乗るるってぃさんの動画で面白いのがありました。

youtu.be

すごいですよね。

アフリカで起業とか、eSports×地方創生のビジネスとか。

捉えているポイントは明らかに未来を捉えています。

そしてうまくいけば世界認識を変えたり

地方から日本再興を目指すことができたり。

このような顕著な例以外にも、実際に高校生が企業と組んだり

NPO自治体と組んで社会課題を解決したり

実際にビジネスになりとそうなことをやってのけている例は結構あります。

高校生でビジネス、というとアイドル・コスメ・モデルとかが

浮かぶ方は多いかと思います。が、想像より多く

「社会課題」「リアルなビジネス」に繋がっている、繋がりそう、は多いです。

大人に触れ

社会と課題に触れ

大人に触れ、ビジネスに触れる。

それに加えて10代ならではの自由で柔軟な発想。

うまくかみ合えば無敵ですよね。もちろん失敗なんてどうってことない。

むしろ成功も失敗もへったくれもなく全てが経験という資産になる。

ぶっちゃけ大人の目がむきにくい、もしくは大人の常識では越え難い

「リアルな地方創生とは?」にメスを入れる可能性がある。

そして日本再興の足がかりを掴むのは、

実はこういう高校生のアイディアである可能性が一番高いのでは?

そして日本は先進国の中でも課題先進国という位置付けです。

ここで仕組みが出来上がれば、また世界に注目を浴びる

教育とビジネスのパッケージを輸出できるかもしれません。

 

③教科書もカリキュラムも要らない、ではなく「ライブラリ化」する

昔こんな記事を書いたことがあります。 

mirai-syouten.hatenablog.com

まあ日本の教育には色々課題もあるのですが、

最近は良いところもあるなぁ、とも思っています。

それは「読み書き計算」の充実さとか、繋がる人によっては

圧倒的に情報や世界を見せてくれる人も結構あちこちにいるということ。

教科書やカリキュラムの作り方にかなり歪なところはありますが

その全てが不要か?といえばそうでもなさそう。

欲しい時に、必要なもので授業もカリキュラムも組める。

そんな仕組みであれば良いと思うんですよね。

で、高校も大学も「必要単位取得=卒業」という仕組みを辞めて

単位取得授業数や論文数をスコア化して、卒業してどれくらいのスコアがあるか?

これを一つの目安とかにした方がお互いにとって価値はあるでしょう。

別にイヤイヤ取らなくても良い。

でも取得単位・書いた論文の量はダイレクトに個人の価値になる。

企業もそういったものを目安に評価をすれば早く、そして信頼に足るはず。

基本は高校と大学の仕組みを限りなく一緒にした方が良いんですよね… 

 

④東京へは行こう。そしてもう一度Act Locallyへ

 目にボクが書いた記事二つ。

mirai-syouten.hatenablog.com

mirai-syouten.hatenablog.com

 

ボク、地方創生も大事だと思いますが

一方で東京の魅力も捨て難い。

 

東京はちょっと独特。

そして深圳(シンセン)とかシリコンバレー的な意味合いもあるのかも。

で、独特であるがゆえに地方と一括りで「日本」というのもやや疑問。

 

日本という「国」にしておくのはちょっとでか過ぎるんですよね…

そもそも世界の様々な国はもっと小さい。

高校生は本当に「社会と繋がる学び」を体感するには、

もっともっとカリキュラムを絞ったり、地域課題に合わせたりという工夫が必要。

 

日本の国民性を考えても、リアルに語り合い動けるコミュニティ人口は

実は10万〜100万くらい。

それを考えても国というレベルで構えるのは2000万〜4000万人くらいが適切?

とりあえず今のままが最適かは疑問です。

1億全部だと「日本をなんとかせねば!」と言ってもぼやけます。

だったらもっと小さい規模で「国」と捉えてglobalに考えて活動する。

小さい規模なのは悪い意味ではなく、むしろリアリティを共有できる利点があります。

 

サッカーでそれぞれの国の人がセリエAとかブラジルリーグに行って鍛えられ、

技術と経験を携えて自国に戻ってきて活躍し、国としてレベルが上がる

そんなシステムについて聞いたことがあります。

同じように、東京を一つの「機能」として使うのはありですよね。

 

 A.高校生時代に社会と地域に触れてみる(実際の社会活動を授業で取り入れる)

   ↓

 B.高校〜大学で課題解決に向けたワークショップとかビジネスを経験

   ↓

 C.東京・海外で知見を広げクリエイティビティを刺激

   ↓

 D.また地域に戻ってthink gloabally,act loacallyを実践

 

このフローはアリだと思うんですよね。

もう少し先(2030〜2045くらい)を考えた時

今からこの仕組みを少しづつ着手しておくことの意味は大きい。

ボクはそう思うわけです。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

日本を4〜5分割くらいしてみると、世界は一気に動く。

そんな気がしてます。10代の人が当たり前のように

「日本の今後の戦略はさ〜」って言えるようになったらシメたもの。

早く社会とのつなぎを広く大きくしていきたいものです。

 

ではでは!

未来への学び② 〜小中学生が社会につながる意味〜

【本日の目次】

 

 

①クラファンした政治家

冒頭のツイートにも書きましたが、

クラウドファンディングで政治資金を集めた政治家の方!

これ、面白いですよね。どんな政治活動があるかも大事ですが

結果的に「新しいチャレンジで、支持をわかりやすく数字で得た」

という形で一応の成功を収めた方だと思います。

一番好感を持てたのは「資金使徒が極めてクリアである」という点。

政治家の方って「クリーンな政治」を掲げる人は多い気がするんですね。

でもボクには理想論にしか見えない。

そもそもクリーンな政治って何なんでしょうね??

クリーンな政治とか言っている人程クリーンな気がしない。

本当にクリーンというなら、そもそもやることクリアにしろよ、と。

そう意味ではお金の使い道もやりたいことも全部クリアに書いて

それを若者中心のステークホルダーが認めたこと

これはとっても大きいことだな、と思っています。

変な駆け引きや裏で動いている人はいない(はず)。

新しい世代に、新しいやり方で出した結果。

こんな活動に、少なからず憧れた人もいたのでは?

 

 

②学びは憧れから始まる

ボクは以前、こんな記事も書きました。

mirai-syouten.hatenablog.com

「勉強すること」は日本国民の義務でもありますが、

それでも「イヤイヤ学ぶこと」に対した意味はありません。

そもそも何のために学ぶのか?

これは考えても仕方ないって人もいそうですが

「みんなもやっているからやりなさい」

「遊んでばかりいないで勉強しなさい」

これではあまりに味気ない。ボクは学生の頃思っていました。

「二次関数って生活で必要なくね?」

「家庭科で裁縫の練習とか意味あんの?」

「体育でやる柔道って…オレ柔道家目指してないし!」

今振り返ればボクが勉強に熱心でなかっただけなのかもしれません。

でも、高校生の時に予備校で出会った英語の先生のおかげで

ボクは「英語を学ぶこと」がとても好きになりました。

それ以上に「どんな人でも努力をすれば成長できる!」

ということを深く学んだなぁ、と思っています。

そしてこのマインドは働くようになってからとても大切な軸になっています。

ボクも「憧れから人生が変わっていった」と思っています。

 

③小・中学生は「社会との繋がり」を体感する学びが大切!

ボクはよく「子供達は大人を映す鏡」という表現を使います。

ちびっ子たちは無意識に、目の前の大人たちの影響をめちゃくちゃ受けます。

それは言葉にできない、理屈ではないレベルで。

しかも大人のような「見た目や肩書き」ではなく

もっと本質的な部分で影響を受けます。

科学的根拠はありませんが、経験上これは間違いありません。

だからこそ、どんなに勉強が嫌いとされる子でも

ADHDとか診断されるような子でも

出会う大人、触れ合う社会によっては

大人やデータの理屈を超えた輝きを放ってくれたります。

ボクはかつての教え子で「こいつはすごいできる奴や!」と思ったのは

ほとんど学校では「おかしい奴」みたいになっていました。

でも、そういう奴に「いや、それでいいんだよ」というと変わる。

「〇〇くんのそういう才能、将来△△なんかに活かせるんじゃん?」

ということで興味を持ったり、自分の才能に目覚め始めたりする。

 

だからボク、思うんですね。

就活ルールが変わったし、2020年以降も入試制度が変わるんだから

小中学校での学びだってもっとダイレクトに社会との繋がりを実感できるとか

お金って何だろう?お金とどう向き合えばいいんだろう?とか

コンドームとかピルってどう使うといいんだろう?とか

お父さんとかお母さんが働いているところってどうなっているの?とか

何でYouTubeばかり見てるとお母さんは不機嫌になるんだろう?とか

何でコンビニのレジには見慣れない外人が多いんだろう?とか

何で電車の中にはよく傘が忘れらていくんだろう?とか

何で目立つ大人はガンガン周りの人に怒られているんだろう?とか

 

そういう文脈から学びを始めても良いのかな、と。

そしてもっと社会との繋がりを学びから実感できるようにする。

ライブでも、遠隔でもいいからたくさんの大人や社会に触れる

人と話をする。意見をしてみる。対話の摩擦も感じてみる。

外国の人とも頑張って話し合ってみる。うまくいかにことを知る。

日本人でよかったかも、とか

日本人も頑張んないとヤバくない?とかを体感する。

 

これらの経験の後に、改めて「もっと知りたい」と思ったもの。

それを自分で探して自問自答して学ぶ。

それがすごい大事なんじゃないかな?と思うのです。

今でこそ少しずつ変わってきていますが、それでもまだまだ

中高生の学びから「THE正解探しゲーム」「空気読み大会」が始まる。

そしてどんどんつまらない方へ思考が流されてしまう。

折角、社会もいろいろ変わるのならば、

今こそ小・中学生の学びをもっと社会に寄せて行くチャンスです。

決して学業は疎かになりません。

むしろ今よりももっと大切なことを学ぶために選択と集中ができるはず。

もっと言えば、大きくなってからもたくさん学ぶキッカケも作れるはず。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

「人が学び始めるのに遅すぎることは無い!」などと言いますが

もしそう言えるのであれば

「人が社会を意識することに早すぎることは無い!」とも言える…かも。

少なくとも9歳を過ぎた脳には

社会との繋がりで得られるものは増えてくるし

それは必ず大人になる過程で生きてくると思います。

実は社会に羽ばたくに大切な時を

閉塞した時間と空間に閉じ込めないように…

世界はいつも開かれていることを体験させてあげる場づくり。

それが未来の小・中学生に大切な学びだと思います。

 

ではでは!