マツのみらい商店

大人も子供も楽しく学びあえる場作り=21世紀の学びを日々研究。日本で唯一の北欧流ビジネスデザインアカデミアLeare Academyの1期生。真剣な課題を面白く、面白い課題を真剣に。 年中夢求で営業中です。

未来への学び① 〜幼少期・始まりの教育〜

 

落合陽一さんのツイート「レーゾンデートル」ってどんな意味なんでしょう?

日本語で一番しっくりくるのは「存在価値」でしょうか?

ボクがボクであるということは?「自分らしさ」って何だろう?

簡単そうで難しいテーマです。

これを見ていて「教育で年齢とか成長段階別に意識することあるよなぁ」

って思いました。現時点では、やはり年齢ごとの「大切にしたい学び」とか

「周囲の人の関わり方」が凄く成長や思考に影響するのです。

これらについて自分の指導経験も振り返りながら、

年齢成長段階別の「より良い指導支援」「環境づくりのポイント」について

書いてみます。How Toではなく、考えの機会として書きますね。

 

【本日の目次】

 

①「褒める」ことの罠

最近ボクの中で流行っているYouTuberの番組で「しばなんチャンネル」

っていうのがあります。ご夫婦でYouTuberであり、生まれたてのお子様も

ちょくちょく登場するわけです。子育て日記的なコーナーがあって

めちゃくちゃ微笑ましい…

「ハイハイしていた赤ちゃんが歩いた!」とか

「ご飯を全部食べた!」的なものとか。

子を持つ親の方は共感するポイントで

「いろいろなことができるようになる我が子」を見守る愛おしさ…

これって格別ですよね。

でも、この時「よくできたねぇ!」「エライねぇ!」という言葉を使います。

これがなかなか曲者なんです。

あ、決して子育てを否定したりdisったりしているわけではありません。

「褒める」っていうことは良くも悪くも滅茶苦茶パワーがあるんです。

だからそのパワーの使い方を誤ったら怖いなぁ、と思うのです。

過去にボクはこんな記事も書いています。 

mirai-syouten.hatenablog.com

 ボクの指導経験上、ちびっ子たちは褒めてあげると本当に努力します。

夢中になり、のめり込むのです。そして学んだことを得意げに披露してくれます。

なぜか?

それは「褒められたいから」です。

認めて欲しい。肯定して欲しい。それ自体は決して悪くありません。

でも怖いのは「褒めて欲しいから空気を読んじゃう」になること。

これは自分の興味関心ではなく、明らかに周囲を気にしてしまいます。

親の意見であればなおのこと。

「お母さんはこれをやれば褒めてくれる」とか。

確かに成長はしますが、この時に「褒められることが目的化されてしまう」

これに使ってしまうと、3歳くらいまでの成長にして、既に

「何のために仕事してるかわからない」

「何でこんなに周りが気になるんだろう?」

という人を創り上げてしまうリスクを孕んでしまうことになりかねません。

 

 

②「本当の自分らしさ」を創る二つの支援方法

特に0歳〜3歳で大事なことって何でしょうか?それは以下のようなことです。

 STEP1:絶対的な肯定(褒めるではなく)

 STEP2:本人の純粋な興味や関心のままでやらせる(与えてみるのはOK)

 STEP3:できたことを褒めもせず・注意もしない

 STEP4:(特にお母さんは)常にニコニコしてあげる=心理的安全の確保

 STEP5:これらが前提で異なる価値や意見に出会ったら対話の時間をとる

この時「何を与えるのか?」「本人に合っているのか?」

こういう悩みは尽きませんよね?

この中にある「multiple intelligence」っていう理論や指標は参考になります。

これに類するもので興味があれば与えてみても良いです。

で、それが伸びるのか、興味関心を持ってくれるか。

好きになるのか、不得意になるのか。

ここについて悩んだり一喜一憂する必要がないのです。

人によって伸びていくもの・自分の関心は異なります。

うまくいかない・興味が持てない、で良いのです。経験が大事。

うまくいかなくても良いんだ!自分の興味でいいんだ!

と思ってもらうことが時期的にはとても大切なのです。

だからこそSTEP4とSTEP5を意識してあげるだけで

「グッと伸びる」かはわかりませんが「豊かな経験」を積むことができます。

 

③この時期だからこそ「喧嘩は親の出る幕ではない」

0〜3歳の時期に最も大切なことは、

ここまで書いてきた通り「圧倒的に自分であることの認識」です。

そのために環境を用意して、大人が興味関心についていってあげる。

これで良いのです。褒めるでもなく・否定や意見もせず。

本当に身体的に危険なこと以外はグッと我慢です。

子供同士の喧嘩・自分とは違う価値観を持った人との出会いによる戸惑いもそう。

基本的には「見守る」「にこやかにしておく」これは徹底した方が良いでしょう。

小さい頃の喧嘩で泣くこと、少しくらい痛い思いをしても良いのです。

ここで親が、大人が出てきてしまっては育つものが育ちません。

「〇〇しちゃダメでしょ!」

「みんなも⬜︎⬜︎してるでしょ?何であなたはできないの?」

ありがちですが、これも要らないでしょう。

これも「人に迷惑なことをしてはいけない」という

大人の論理や世間体であり、そもそも「それが本当に迷惑なのか?」

これについては本当のところわからないのです。

ちびっ子の頃の喧嘩こそ大人・親が出ることは控えておきます。

「違う考えを持つ人とうまくやっていくこと」

「それぞれの個性を向き合わせていくこと」

こういうことをちびっ子同士で学び合う環境づくりこそが

ちびっ子たちを次のステージへと自然と成長させていくことになります。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

未来への学びシリーズ第1弾。

実はこの0歳〜3歳の学びが一番大事、という説もあるかも。。。

そうすると「もう遅えよ!」という声も聞こえてきそうですが…

多分「年相応というか成長段階に最適な考え方・学び方」があるのだと思います。

だからこそ10歳の学びも、大人の学びもある。

でも、その中でもボクたち日本人が一番根っこの部分で大事なことが

この「幼少期」にあると思っています。

もちろん部分的には「新しい何かを始める時期」にも応用できますので

新社会人・新しい習い事を始めた人・新しい環境でのリスタートの方…

そんな方々の参考に、少しでもなれば幸いです。

 

ではでは!

いよいよ働き方と学び方の壁が溶ける時

 

【本日の目次】

 

経団連の報道

冒頭のツイートにも貼ってあるように、

いよいよ「就活ルール」が変わりますねぇ。

高度経済成長期以来ずーっと続いてきた学生の就活ルール

約65年の時を経て、ついにルールが、ゲームが変わります。

ボク自身、3年くらい前から「学び方と働き方ってすげー似てる!」

こんな風に思うことが増えました。ブログでもかつてこんな記事を書きました。 

mirai-syouten.hatenablog.com

mirai-syouten.hatenablog.com

mirai-syouten.hatenablog.com

今回の経団連の見解について、アンチな意見として

「就活にルールを設けないと学業が疎かになるのでは?」

こんな意見が出ているそうですよ。ボクは思いました。

え?就活のせいで学業が疎か?バカなの??と。

そもそも何のために学ぶのでしょうか?

「働くために学問があるわけではない!」

そんな意見もありそうですが。でも、何のために学ぶのでしょう?

答えは当然一つではないですし、正解なんてものはありません。

それを前提でどんな答えがあるかを考えてみると…

 ◇世界と自分を知るため

 ◇自分の知っていることを世の中に伝えるため

 ◇とりあえず周りのみんなが勉強はしているから

 ◇学んだことで資格を取ったり専門性を高めたりするため

 ◇院・修士・博士に進むため=社会実装できる価値を生み出すため

 ◇単純に探求したい問いがあるから

 ◇働く時に有利だから

 ◇単位取得=修学=学歴が欲しいから(それこそ就活のため)

いろんな答えはありますが、その多くは

「将来働く時に何らか生かすことができるから」

これは圧倒的に多いのでは?

また同時に日本のポスドク問題などは、まさに「働き口」

これに関する問題が大きくついてまわります。

そのように考えると、今回の経団連の発信によって

学業が疎かになるどーのこーのは、あまり大きな懸念事項ではありません。

それ以上に注目するところは多々あるはずなのです。

 

②企業はどんな動きを取るだろう?

さて、今回の報道・変更を受けて企業など産業社会の方々はどのような動きを取るか?

これについては早速様々な見解・憶測が飛んでいるわけです。

企業によって全く見解が異なるのでは?と思うわけです。

今まではある意味ルールによって縛られていたわけです。

その中でもギリギリグレーを責めている企業もあれば

きちんと律儀にルールに則った動きをする企業もある。

それが今回のような「実質的なルール廃止」によってどうなるか?

ルールが亡くなった時にこそ、「個性」や「スタンス」が浮き彫りになるはず。

ボクはそう思います。

100の企業があれば、採用スタンスは100通り。

この「ルールが亡くなったことによって新たに生まれた独自ルール」

しっかりと読み込み、企業の思惑や背景を知る必要はありそうですよね。

 

③良い企業の特徴を予想する

何をもって「良い企業か?」というのも今や難しい時代。

でも、おおよそ未来の動向などに理解があれば、企業のスタンスも

自ずと中長期になると思います。本当に良い企業ならば。 

mirai-syouten.hatenablog.com

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 少子高齢化・Tech&AIの進化などに鑑みると、就職や労働環境においても

「本当に良いものを作り上げるために必要な条件」というのがあります。

ボクが思う、今回の就活ルール変更と未来洞察において

予想できる企業スタンスを箇条書きにしてみますね。

 A.若者はどう考えても減少=希少性が高い→育成への投資が大きい

 B.解禁日がない=大学1−2年でも優秀な学生は囲っておきたい

 C.なんだったら高校生でも優れている人は唾をつけておきたい

 D.でも高校生・大学生なんてぶっちゃけみんなが優秀じゃないよね

 E.「何となく大学生」も多い=社会人になってから育つ奴もいる

 F.そうすると、何だかプロ野球ドラフト会議の様相を呈するか?

 G. Recurrent CareerとかRecurrent Internみたいなものも重要視される?

 H.「学びに年齢制限を設けない」の価値向上が加速する

 I.流動性が高い=退職しやすい=出戻りしやすい、のスタンスも大切

ボクはこんなだと思います。

「どんどん青田買いが増えるのでは?」という議論が多くなりがちですが

それは議論する話題の、ほんの一握りだと思います。

日本は良くも悪くもこれから加速的に国内環境が変化します。

それは以下のブログにも書いている通り。

mirai-syouten.hatenablog.com

 本当に大事なことは

 ・いつからでも学び直せて

 ・どこからでも挑戦できて

 ・いろんな人や価値の中で協力し合えて

 ・身の回りの課題や不便やワクワクに気づくこと

本当に良い企業は、こういうことにアンテナを張る全ての人が欲しい。

年齢・地域・国籍・性別関係なく。 

 

④若者が今考えるべきことは?

前々から言われてはいたものの、改めて変化が激しい現代。

就活ルール・世界のゲームルールが変わる中、どんなことを考え

何をしていくことが大切なのでしょうか?

これは本当に難しい。そして当たり前ですが「正解」は存在しません。

でもいくつかボク自身の拙い経験や未来洞察から言えることもありそうです。

④−1:「ずっと学ぶ」というスタンスでいる

 ぶっちゃけ「大学生になろうと思った理由」ってありますか?

 そんなに大層な理由じゃないこと多くないですか? 

 ボクも「何となく大学生にならないと恥ずかしい」的理由でした。

 今と時代は違いますけどね(笑)

 ボクは「何となく大学生になる」でも良いと思います。

 言い方を変えれば「大層な理由がなければ大学生になれない」も変でしょ?

 でも大事なのは「学生じゃなくなっても、大人になってからも学ぼう」

 このスタンスは大事。何を学ぶかって?そんなの解らなくても良い。

 社会人になってから「もっと学んでみたい」が出てくるはず。

 ボクも社会人になって、20代の頃はただガムシャラに仕事しました。

 そして30代半ばから、今まで感じたことがないくらい猛烈に

 「学びへの飢え」が出てきたのです。

 「大人になると忙しくて学べない」は嘘。ただの言い訳です。

 大人になっても学ぶこと・学び続けること。これをお忘れなく!

 

④−2:「とりあえず症候群」にかからない

 これは結構危険なのがこのご時世。

 「とりあえず海外に行こう」

 「とりあえずセミナーに参加してみよう」

 「とりあえずインターン行ってみよう」

 確かに行動がものを言う時代と言われています。あれこれ考えるよりは

 行動する人にこそ価値があるのは間違いありません。

 が、その動機が「みんなもやっているから」「とりあえず」では無意味です。

 直感的にでも「自分がやりたいな」と思ったことに手をつける。

 選ぶ動機は言葉にできなくても、外側ではなく内側から見つけましょう。

 

④−3:それでも「とりあえず」選んだら一旦ハマってみる

 このご時世、嫌なものから逃げても良いかもしれません。

 「逃げてもいいんだよ!」って言う人もたくさんいます。

 一方で「我慢することも大事!」「忍耐力が勝負を分ける」とも言われる。

 「どっちやねん!」って突っ込みたくもなりますが、

 要は「選んだんから、一旦どっぷりハマってみなよ」ってこと。

 どんなに好きなことをしているという人でも苦労も工夫もない人はいません。

 それは世の中の素晴らしい成功者をみていればわかります。

 「努力をする」というか、「苦しくてもどっぷりハマっている」

 何となくピンときませんか?中高生時代にも部活とか恋愛とか。

 似た経験をしたことがあるはず。それと同じ。

 どんなことでも「どっぷりつかってみる経験」は必ず意味を持ちます。

 それが成功しなくても、周りから評価されなかったとしても。

 

④−4:お金には触っておく

 これは結構前から語られています。

 何だかんだ、お金とか「何らかのスコアリングの仕組み」に触れた人は強い。

 今はお金。未来はお金以外の何かもあるでしょう。

 でも、何らかやってきたことを数値化・可視化する仕組みに

 ダイレクトに触っていた人は圧倒的に有利です。

 社会にこの経験の有無は大きな差を生むことは間違いありません。

 まだまだ日本で金融教育ってタブー視されています。

 でも重要なのは間違いない。ならば学校というコミュニティの外ででも!

 大学の授業だけでなく、生きた「実践値」を!

 

さていかがでしたでしょうか?

いよいよ働き方が変わります。そしてそれは同時に学び方も変わる時期。

これは学生だけの問題ではありませんよね?

そもそも人生を豊かに、自分にとって意味のある人生にするために

人は生きているはず。豊かにするための学びは一生。

それがたまたま「就活」という文脈で顕在化しただけなのだと思います。

 

いろんな意味で「豊かでいる」ためにも

ずっと学び続けて、新しい経験に触れて、ワクワクできるのが一番ですよね!

 

ではでは!

教育で自由に感動を作り出すことはできるか問題

 

【本日の目次】

 

 

①憧れとロマンはどこからやってくるのか?

京都大学特別教授の本庶佑さんがノーベル医学生理学賞を受賞しましたね。

京都大学強いなぁ…と思うワケです。

山中教授とかもそうですよね。

でもボクは「ノーベル賞」と聞くと、いつもこの人を思い出します。

どの先生もそうなんでしょうけど、この人の「熱量」が好きなんです。

あ、ちなみに何をやった方かは詳しく知りません(笑)

でも、とにかく印象に残っています。

確か何かのドキュメンタリー番組で彼が喋ったことだか、

テロップに出た名言だかが妙に記憶に残っているのです。

憧れて近づく  ロマンを持って第1歩

 カッコいいなぁ…と。決してノーベル賞を狙ったわけではない。

単純に、圧倒的に好きなだけ。熱量が違う。

「結果的に」道が開いていった…みたいな。

憧れとかロマンって、どのタイミングでどこからやってくるのでしょう?

もちろん人によって様々ですが、ボクはこう考えています。

感動の後、対象への「未知感」に触れた時かなぁとおもうのです。

人に対する憧れって、圧倒的に「自分にないもの」を持っている人ですよね?

ものや事象に対するロマンって、追求し解明したいという欲求に満ちていませんか?

そしてそれらは、必ず驚きや感動の後にやってくるんだと思うのです。 

 

②感動はどこからやってくるのか?

じゃあ感動ってどこからやってくるのでしょう?

この感動にも様々な種類がある気がしますが、

特に憧れやロマンに繋がるような強い衝撃と共に訪れる感動とか。

上の二つのツイート、驚きとか想定外ってあると思うんですよね。

ボクはアリババのCEOが「先生やりたい」なんて言うのは

ちょっと想定外でした。日本では先生って、少なくとも皆がいい目で見ない。

ボクは教育関係の業界で働いていますし、

ちびっ子達とたくさん触れ合う機会があります。

もちろん学校の先生方とお話をすることも多くありますが、

誰もが先生をよく思うか?答えはNOです。まあブラックとも言われますからね。

 

で、ZOZOの新聞広告。これ、社長はマジで知らされなかったらしいですね。

おそらく前澤社長も想定外であり、少なからず感動があったのでは?

「まあ多分これくらいかな?」と思っているものの上をいく。

期待を超えて、さらに上をいく。

そんな時に「感動」や「驚き」は生まれてくる、といいますよね。

 

③教育は「感動と憧れ」を設計できるのか?

でも、単純に想定外にいいことをやれば良いのか?

予想される期待をさらに超えていけば良いのか?

予定調和を壊し続けることでしか生まれないものが感動なのか?

ちょっと違和感もあるんですよね。ただのパワーゲームみたいになりそうで。

 

サイボウズという会社に「人事部感動課」という部署があるの、ご存知ですか?

www.1101.com

サイボウズの社長である青野さんの講演を聞きにいったことがありますが、

まず彼自身がとても会社とかチームのことを考えているんですよね。

だからこそこのような風変わりな部署ができたのかも。

 

で、この感動かの福西さんの話を読んでみると、感動の秘訣が書いてあります。

めっちゃ「人」にハマっているんですよね。

そしてその人の趣味嗜好にも興味を持ち、自分も趣味にハマってみる。

徹底しています。それこそ「感動させよう」という情熱が違う。

まあだんだん社内でもハードル上がっているので大変そうですけど(笑)

 

ボク、なるべくちびっ子達にも早いうちに感動や驚き、

そして憧れやロマンを持つキッカケだけはあげたいなぁ…って思うのです。

最近の教育現場や学校は、ちょっと違う風になっている感も否めません。

 「これだけ恵まれた時代、夢を持たなければいけない!」

 「君たちは何となく大人になるのではなく、『何者か』になろう!」

うん。こんな言葉には全くワクワクがないですよね。

 そうじゃなくて、もっと子供達にわかりやすく価値のあるものを

うまく見せる環境は作れないものかなぁ…って思うんです。

 

人はいつ憧れやロマンに出会うかわかりませんし、

それが大人になってからで遅いとも限りませんけどね。

でも、やっぱり若いうちであることに越したことはないし

ちびっ子のうちに憧れやロマンを持てると幸せですよね。

 

この問いに明確な答えはないのですけれども。

今、だんだんとボクの中で答えに近づきつつあること。

それは以下のようなことかなぁ、と。

 ・先生も「この子を喜ばせてあげよう!」に情熱があること

 ・先生自身が高いコミットメントを持つ趣味とか学びがあること

 ・生徒自身や生徒の趣味にどっぷりハマってみること

 ・先生自身が五感を研ぎ澄ましておくこと

 ・先生は先生であることにどっぷりとハマること

  (外野とか邪念に気を散らされないようにする)

 

純粋に教えるのが大好きな先生って、ちびっ子達にもその熱は伝わって

で「あぁ、ボクも先生になりたい!」ってありますよね。

あと、先生とめっちゃ楽しく話し合ったトピックで道が開けるとか。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

まだまだ探求したい問いなのですが、

何となく結論が出つつもあるので書いてみました。

ちびっ子達にハマってみる、自分の大好きにハマっている。

そんな人が先生をやれたら、教育を通じて「感動」が生まれる。

そしてそれはロマンや憧れに変わっていく。

もっと世界は明るくなる!

いいですねぇ。まずはちびっ子達と話をして

「教えてあげるよ?」ではなく「教えてよ!」から大人が始めてみては?

 

ではでは!

未来の学校に必要な3つのこと

 

【本日の目次】

 

 

①学ぶ価値=将来への投資ならば学校の価値は?

藤沢数希さんのツイートはかなりエッジが効いていますが

これ、至極ごもっともだと思いませんか?

確かに最近、大学も学部も増えすぎてという理由なのか

はたまた少子化によるパイの取り合いのせいなのか

とにかく学校の「宣伝文句」がどこもかしこも似ています。

そもそも大人たちが作る宣伝文句も似ているからなのかな…

www.itmedia.co.jp

まあ最近の学校だと、中学校も高校も、ほとんどどこもかしこも

 ・STEM(最近はSTEAM)教育

 ・ITを駆使した〇〇

 ・創造性を育む反転学習

 ・英語教育&プログラミング教育

 ・ディスカッションを取り入れたインタラクティブな授業

まあだいたいこんな言葉が並びます。

これらが大事ではない、と言っているわけではありません。

でも「とりあえず流行りに乗っておけ!」

みたいな業界の雰囲気はイヤ。

意味わからないけれども変わっちゃったよ!みたいな業界の方も多いのでは?

ちびっ子たちに実情を聞くと、よーくわかります。

そうすると藤沢数希さんがおっしゃる通り「謳い文句」

それ自体には意味ないんじゃねーの?ってなるわけです。

もう少しいうと、最近流行りの「大学行くべきか論争」とか、

その先の「企業か起業か?」みたいな問いかけにも繋がると思っています。

学ぶ価値は「将来への投資」という方は多いはず。

そうすると合格実績はもちろん、未来はそれに加えて

 ・在学中にどれくらい稼いだ実績がある学生がいるか?

 ・学生起業した人数

 ・学術論文の本数(世界ランキングにも影響しますしね)

 ・リカレント教育の整備と実績

こういう今まではあまり表に出なかった、そしてわかりやすく数値化できる

こういう指標を「学校で学ぶ価値」として出していく必要がありますね。

 

②「学校=閉じられた世界」という大問題

そもそも一般的な学校の最大も問題。

それは学校というコミュニティが先生も生徒も「閉じられている」ということ。

 ・遅々として進まない統一カリキュラムと教科書

 ・「みんなもやっているでしょ?」という謎の説得方法

 ・通知表で算数5を取っても「でも社会が3なのよね」という指摘

 ・公立の先生はそもそもお金稼いだことない人ばかり

 ・個性的であることは褒められても結局評価はされない

 ・進路指導や将来の話はかなり少ない(多分できない人が多数)

もちろん学校や地域による違いがるのはわかります。

が、実態はほとんど上記のようなことがあり

「あぁ!わかる!」っていう人も多いはず。

社会・お金・課題・対人などの点で外に開かれていない。

そしてそれ自体は問題として捉えられない。

なんだか「進撃の巨人」の巨大な壁があるみたいなイメージですよね。。

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この問題を解決して、価値のあるコミュニティに変えていく、

すなわち「未来の学校」を作るために必要なことって3つあるかなって思います。

以下、それを書いていきますね。

 

③必要なこと其の壱:カリキュラムを無くす

業界の方は受け入れることが難しい、一番最初にして最大のポイント。

ボクがそんな風に思っているのが「カリキュラム」

これは結構重たい問題だと思います。

そもそもの学問、そして塾は「必要と思った事柄」を、

「必要と思っている人」が学ぶことから始まりました。

だから学ぶことの本質を考えたら

「同じものを」「同じ時期に」「みんなが同時に」というのは変なのです。

みんなが同じことを同じようにやろうとするから

同調圧力・変な比較が生まれて、いらない承認欲求も生まれる。

ボクはそう思っています。ならばそれは不要です。

 

小学校・中学校からいきなり大学の単位制のようにしておく。

最初は当然戸惑いますし、親バイアスも凄いことでしょう(笑)

でも徐々にちびっ子たちも気づいて、自分で取捨選択できれば良いのです。

先生たちも学ばせたいことを、魅力的な案内で生徒に見せる。

そして「この授業で何が学べるか?」「どんなメリットがあるか?」

これをきちんとちびっ子たちにわかるように提示する。

で、学んだ単元とか科目をスコア化して持っておく。

これを受験などに適応させていけば良いと思います。

 

④必要なこと其の弐:お金かそれに変わるスコアリングを成績に反映

これも大切なことで、でも難しいかな…って思うのがこの部分。

社会に出た大人の方々、結構な人数で

「社会で直接役立つこと」「お金とか社会の仕組み」

こういったことをきちんと10代で勉強させて欲しかったという人がいます。

確かに、冷静に考えて「学ぶこと=将来の投資」だとすれば

お金とか、社会とか、産業構造とかをもっとリアルに取り上げても良いはず。

それも理論から入るよりも体験的な学びから入って

だってその方が人は学びますから。

赤ちゃんが言葉を学ぶとき、文法とか理論からは入りませんよね?

学生の頃は理論ばかりで実践がない、でも社会に出ると急に

成果結果を要求される。ならば、やはり早い段階で

「お金を稼ぐ仕組み」「投資の仕組み」「課題発見の方法」などは

実践やワークショップなどを通じて学びあった方が断然お得です。

 

…ただ、いかんせん日本の教育で「お金の話」はタブーなことが多い。

パッといってサッと変わる気配がない。

ちびっ子達に提供して、ちびっ子達がピンと来なければ辞めればいい。

それだけなんですけどね…

本当はお金じゃなくても良いんでしょうけれども、

今の社会はお金という「共通のスコアリング」がわかりやすいのでしょうね。

実際ボクも仕事で新しい義業とかコンテンツ展開に関わると

当たり前ですが「これは◯億円くらいのインパクトがあるミッションだ!」

とか言われることが多いですし、捉え方次第ですが悪いこととは思いません。

 

現実的にお金を扱うのが無理ならば、ポイントとかトークンのようなもの

トークンがわからん!っていう人はググってみましょう!)

を代わりに使ってでも「社会・地域での貢献がわかりやすいスコアリング」

これは子供のうちにしっかりと与えておくことは大きな意味があります。

そういえば最初の頃、こんな記事も書きました。

mirai-syouten.hatenablog.com

 

⑤必要なこと其の参:不足感・怒り・喜び・ワクワク…「エモさ」

最後にこちら。

起業する人の「熱量の源」ってこれだと思うんですね。

あとイノベーションは「不自由さ」とか「強い飢えや必要性」から起こるのかな、と。

それ以外だと本人がモーレツに好きなものが社会に認められる、みたいな。

マルッとまとめて「エモい」という感性をどう学校という環境で受容し

数多くの機会を創ろうとするか?

これは画一的な中から生まれることはまずありません。

「ドライブがかかる」という状態をいかに作るか?

「其の壱」のカリキュラムを作らない、はここにも関係しています。

計算して偶然の出会いを作る。考える余白を作る。そして感情を大切にする。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

最後の「エモさ」これは簡単には行きませんよね。

あえて簡単に仕組み化するならば大切なことは2つ。

 ①大人は全て「先生」になる可能性があることを認める

 ②オンライン・SNSで外に先生を求めていく

これです。これにより未来の学校は始まります。

カリッキュラムがないからこそ「?」で一杯になる。迷う。

そして純粋な興味や感情の振れ幅で向き合える。

身の回りの課題や面白いと思えることに向き合える。

自分の知らない世界に想いを馳せるだけでなく、見て聞いて話し合える。

そんなんハイブリッドな学習環境ができたら、

色んなものが一気に動き出すのは間違いない。

「一人一人の力は小さいから…」という言葉が単なる言い訳か

閉ざされた世界で教え込まれたまやかしであった、と気づくはずです。

そうなったら面白いですねぇ♪

 

ではでは!

生きる力 〜選挙は若者・飢餓感・必要性で変えよう

 

そういえば来年、いよいよ消費税がまた増税されますね。

ちきりんさんのツイートはいつも学ぶことが多いです。

そして改めて感じる政治・選挙の構造的な課題と財政問題

今回はこの辺りと教育について少し考えていきましょう!

 

【本日の目次】

 

 

 

①選挙の「1票の格差」って世代論で考えないと…

日本の借金っておいくらくらいでしょう?

よく社会の問題とかでも出てくることが多い数字です。

今や1088兆円。ほんの2−3年前は「このままでは1000兆円を超えてしまう!」

こんな風に危機(?)が叫ばれていました。

そしてついに1000兆円を超えてしまったわけです。

日本国民一人当たりがいきなり借金を背負っている、みたいに言われることもあります。

www.jiji.com

まあ一方でこんな記事もあったりするのですよね…

gendai.ismedia.jp

 

日本の赤字とか国債については色々は切り口で議論されています。

「何が正しいのか?」という答え探し、犯人探しをするのも良いですが

ここでそれはしません。だってぶっちゃけ大した意味がないから。今は。

でも、確実に言えることは

「財政政策と国民の信頼関係性構築は歪んでいる」ってことと

「日本国債の特異性から見ても今は決して平時ではない」ってことですよね。

消費税・社会保障・その他政治的公約。

これらを各党各人が市民に訴え、そして選挙があるわけですが

ここに構造的歪みがあるのは多くの人が指摘をしています。

それは選挙における「1票の格差」の問題。

これがとてもわかりやすいですね。

www.kousotu.com

ここにもあるように「1票の格差」とは選挙区による偏りが生む問題。

でもこれはもはや課題の本質ではありませんよね?

今、本当の問題はシルバーマジョリティーとでも言いましょうか

高齢者と若者の選挙における数的影響力の差。

選挙も勝つためにやるわけですから多数ゾーンを狙いますよね。

成人年齢の引き下げもわかります。

若者の政治離れを憂う人もいるでしょう。

でも、それは課題の本質ではない気がしています。

今目の前にある、あるいは向こう10年で起こりえる想定リスクは

世代を越えて、もっとフラットに語り合い意見交換をしていく。

そしてそれらは、いずれは「青年の主張」みたいなイベントではなく

リアルな政治の場にもきちんとバランスよく影響力を持てるようにせねばなりません。

ボクはそれを痛切に感じます。

なぜって?仕事柄たくさんの中高生、10代と接することがあるからです。

既に無理ゲー感満載。

若者の「どうせ無理」を作っているのは上の世代である気がしてなりません。

これを無くすためにも1票の格差是正は世代の偏りをなくすことが急務ですよね。

 

②世界第2位のイノベーション大国イスラエル

イスラエルの人口はわずか800万人。日本の約1/15くらいの規模です。

が、1万を超えるスタートアップを継続的に生み出すなど

イノベーション大国としての規模はアメリカについで世界2位。

サイバー大国・IT先進国としても有名です。

なぜか?諸説ありますが、彼らの言葉でいえばNecessity=必要性があるから。

地続きで内戦も多い。国の人口は少なく、つまり国力もさほどにない。

その状態でぼやっとしていると、あっという間に隣国に攻め入られて国家存続の危機になる。

だからこそ必死で考え、他国を先んじて力を持たなければならなかった。

そういうことが大きな原因の一つであるとよく言われます。

ボクが好きなデンマークのイノベーティブな国として有名です。

brave-answer.jp

ここもおそらくNecessityから発達したのだろうと思います。

人口は500万程度、母国語のデンマーク語は消滅危機言語に認定されています。

周りは地続きではなく海ですが、かつてバイキングに攻め入られた歴史があります。

イスラエルも、デンマークも「流動性」「必要性」「危機感・飢餓感」が

イノベーションや各種政策に大きな影響を与えているのだと思います。

 

③日本にはNecessityが無い…その理由は?

では日本「流動性」「必要性」「危機感・飢餓感」があるか?

ボクは個人的にはNOだと思っています。

流動性については歴史を紐解いても、他国と比べても

「持つ必要がなかった」のかもしれません。

周りは海で囲まれ、他国に攻め入られることも頻繁ではなく、むしろ稀。

色々な問題があるように語られていますが、それは本当に解決必要なのか?

医療問題・教育問題・社会保障

色々な議論はされます。ボクも勉強会に顔を出してみたり

専門家の話を聞きに行ったことがあります。

その時興味深かったのは、例えば医療の問題など

他国の医療制度の仕組みを聞くと「え!それを日本でやられるのはイヤ!」

とか言う人はメチャクチャ多かったのです。

海外留学といか、長めの海外滞在をした方々は良く

「いやぁ、やっぱり日本はいいなぁ。なんだかんだ言って幸せ」

とか言う人いますよね?やっぱり日本のクオリティは高い、と。

ボクは気遣いという文化は日本に特有で世界に誇れる文化風土であると思っています。

その文化風土によって作られたものに浸かっていると、

他国のサービスや在り方に少しばかり不足感や不安感が出る人はまだ多いのだと思います。

結局日本は住みやすいし、冷静に考えたら楽なんです。

 

④依存したい日本人「最後に政府がなんとかしてくれる」?

じゃあこのままでいいのか?

それがダメなことは皆なんとなーく感じてたりするのでは?

現状日本はとても良い国ですが、他国と比べて「随分捉え方が違うな」と

ボクが良く感じるのは二つあります。

 ◇みんなが「自分の国をどうしようか?」と思っているか否か?

 ◇自分・地域・国について「未来思考」できているか?

日本人て「地域が」「国が」という文脈になると

「おいおい、お前ごときが何えらそーなこと言ってんだよwww」

みたいな空気に絶対なりますよね。「身の程知れよ」みたいな。

確かに一人の人がいきなり大きなことはできません。

でもそれはどの国も一緒のはず。この点、デンマークは面白い思考があります。

Think Globally, Act Locally

思考は世界基準で、行動はローカルに。いいですよね。

「この自分の行動がどう周りを変え、それがどう世界に届くか?」

そんな風に考えていくのだそうです。翻って日本は?

いざとなると「自分の行動がどう影響するか?」とはならずに

「親が・先生が・自治体が・国がなんとかしてくれるはず」という思考が

上の世代ほど大きい気がします。だからクレームも平気で言っちゃう。

財政政策の問題も、医療制度も、税金問題も…

「最後は誰かがなんとかしてくれる」から抜け出さないと、

そのためにも若者世代の意見を真剣に聞き入れないと

「大きな変化のうねり」を感じることはないのでしょう。

 

⑤生きる力を育む

教育という視点で見た時、このような現状でできることってなんでしょう?

ここは結構いろんな「答えらしきこと」を話されている方は

素晴らしい大人の方がの中にもいらっしゃいます。

このお方などその代表格。他にもいろんな業界の方が、

いろんな切り切り口で若者へのメッセージを送っています。

ボクはトータル、「生きる力」をしっかりと持っておくことだと思います。

全体的に多いな、と思い誤解も産みやすいメッセージ。

「好きなことをやればいいよ!」

「イヤなら逃げてもいいんだよ!」

この二つかな、って思っています。

「好きなことをやればいい」は共感します。

が、「好きなことがわからない」という人が多いのもまた事実。

「本気で探したことがないんだよ」というものの、

言われた相手はどうすることもできず立ち往生…はよくある光景。

 

「イヤなら逃げてもいい」もわからなくはないけど…

何も考えずに逃げすぎちゃうとか、「どこに逃げればいいの?」ってなる。

これもよく見る光景です。

 

「生きる力を育む」ということは

まさに答えがないことへの挑戦。今までの社会のように

「この〇〇をやれば大丈夫!」

「押さえておくべき5つにポイント!」

とかがあるわけではありません。胡散臭いことこの上ない(笑)

のですが、あえて「多分こういうことは大切だな」と思う

大きな時代と世界の潮流から考える、具体的にやったほうが良いこと、

これをつらつらと書いてみます。

 ・自分で決めたことならばちょっとくらい辛くても辛抱してやる

 ・本当に大好きならば理解者0名でも没頭する

 ・キャンプ・登山・野宿とかは、やるならガチ目にやる

 ・デジタル当たり前の世界では「デジタルで何かを作れる」を当たり前に

 ・だからプログラミングとかは触っておく

 ・結局いつの時代も困りごとは「お金」「健康」「対人関係」

 ・だから買い物はちびっ子からさせる

 ・お小遣いのあげ方、バイトでの稼ぎ方、投資とかは一工夫

 ・無理矢理でもいろんな人に会う、会わせる

 ・だから若いうちに外国の友達を、海外で作ってくる

 ・英会話教室行くよりも海外の友達とか恋人作ってみる

この辺かなぁ、って思います。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

「どうせ政治は変わらない」は、しばらくはあるかなぁ…

でも、今からできることを、しておくことは山ほどあります。

何よりも自分自身の「生きる力」を高めておく。

それが来たるべき時に大きな役に立つのは間違いありません。

大人もちびっ子も、たくましく前向きに自分と向き合っていく。

そして世界と向き合っていくための「生きる力」を共に育めたら良いですね。

 

ではでは!

自分らしさではなく自己中心の人生が最高なのかも

フランスの入試制度は面白いですよね。

「哲学」という科目は、試験時間が4時間だったりする。。。

ボクたちから見たらクレイジー以外のなにものでもないですよね、今は。

でも面白いし、正解の数や点数を競うのではなく

自分の純粋な考えを披露する。そのクールなこと!

例えば哲学ではこんな問題が出たことがあります。

「なぜ自分自身のことを知ろうと努めるのか?」

面白いですよね。皆さんはどのように考え答えますか?

 

【本日の目次】

 

 

①自分らしさ+自己中心的思考

「自分らしさって何だろう?」とか考えたことある人いますか?

結構多い気もします。世代によらず。

でもこれって探し続けてもあまり答えがないような…

で、結局自分らしさを意識しすぎて振り回されてしまう。

あるいは周りの目を機にすることになってしまう、みたいな。

誰でも一度は通る道なので良いのかな、とも思います。

 

最近のボクはこれについては一応の答えが出た気がします。それは。

「自分らしさとか、そんなに追求しなくても良いのでは?」ということ。

そしてその代わりに

「もっと自己中心的な生き方で良いよね!そのほうが楽!」

こんな生き方で良いのかな、そしてその方が結果的に周りに優しくなれるのかな、と。

 

 

②誰かの為と思うこと=他人への要求になりがちな効率化社会

「誰かのために生きる」ということは決して否定されることではありません。

が、最近思うのです。

資本主義社会というか、生産性や効率性を求める文脈でのコミュニティだと

結局それによるなんらかの成果や変化を他人や外部に求めてしまっているよなぁ、と。

上のツイートもそう。

働き方改革っていろんな意味合いがあるのだけれど、

やはり成果報告的なものが登場しないと批判も多くなるのが今の世界。

「労働時間・残業を◯%減らして、生産効率は△%上がりました!」

「週3日休日にして4日だけ働いても売り上げは◯%上がりました!」

こういうのは悪くないんだけど、目的化するものかといったら微妙。

従業員側だって「会社のために働いているのだから」とかいうよくわからん論理で

会社という自分以外のものに必要以上・価値以上の見返りを求めたりする。

同じセリフでも、考え方の根本というか切り口が違うんだと思うんですよね。

美しいはずの思想は、効率化社会・生産的な社会においては「?」になる。

そんなことも往往にしてあるのかな、と思ってしまう今日この頃です。

 

 

③超格差社会は「自己中心思考」と「弱さの余白」が鍵だ!

ちびっ子も、大人たちも、おそらく未来は「自己中心的に生きる」

これは一つの未来を生きるコツな気がしてなりません。

既に色々な人が似たようなことをお話ししている気もしますが。

例えば尾原和啓さんとか。

この本やモチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書 (NewsPicks Book)

とかはまさにある意味「自己中心的に生きた方がよいよ!

というメッセージが込められている本だと思います。

勘違いしてはいけないのは「自己中心的=他人に迷惑や我儘があっても良い」

こういうことではありませんよ、ということ。

自己中心的思考で生きた時、自分はどういう価値や考えを形にできるのか?

さらに自己中心的であるとき、自分の欠陥や欠落はどんなものなのか?

とりあえず周りを気にしようがしまいが自分にとって大切なことは何か?

その大切なことが周囲にもたらす影響とか可能性ってどんなものがあるのか?

 

そんなことを日常的に考えておくことがすごく大事なんだろうと思います。

そして未来訪れる超格差社会

これは今までの文脈でいうと「所得格差」をイメージする人が多い。

でもボクは実際は違うと思っています。所得格差以上に感覚格差が二極化する。

この「感覚格差」もまだふわっとした言葉ですが、ボクはこのイメージ。

 

最初のツイートにもありますが

無益でも自分らしさを優先した行動やセリフの方が幸福度は高まる。

自分にとってのかっこよさ・美しさを追求して言語化することが価値になる。

周りが賛成しなくても、自分だけに大切な真実が大きなリターンを生む。

 

これらのフレーズってイノベーティブである一方で

生産性・効率性を追求したコミュニティではピンとこないし受け入れられにくい。

でも、こういうことを「感覚的にでも」わかる人はとても強い。

そして「結果的に」お金もそうでしょうけれども、それ以外のものも手にするはず。

それも莫大な質量のものを。

 

有意義にして有益な人生を掴もうとすればこそ

有益か否かの尺度を捨てて考えてみる。

そして自己中心的に、自分軸の美學哲学を創り上げる。

 

「自分らしさの追求」ってなんか堅苦しい感じしますしね(笑)

自分の美学や偏愛や大切な真実をさらけ出し続けていれば

やっていることは同じでも、知らない間に社会に何らかのインパクトを与える。

これはあるのだと思います。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

まだまだ、まだまだ結局他人の目や見返りを気にする色は濃く残っていますが

これを捨ててしまうところから格差を乗り越えて楽しく未来を生きることが始まる。

そんな感じしませんか?

ちびっ子たちには「人に優しく、でも自己中心に生きるためには?」

これを結構きちんと教える仕組みを考えて見たいですね!

 

ではでは!

鮮烈に記憶に残る!漫画・本の飲み食い描写5選

これを書いている日、ボクは誕生日を迎えたんですよ。

で、誕生日にぼんやりと色々振り返ったり整理したり

母上と電話で取り止めもないトークを展開していたら

「なんか昔ってよく本とか漫画、眺めていたなぁ」って思い出したんです。

読むというより眺めていました。

なにを眺めていたのか?

それは何かを食べる描写。ここです。

今でも食べることは大好きで、時折エンゲル係数が跳ね上がるのですが

子供の頃からその兆候がありました。

とにかくいろんな本に登場する、食べる描写が好き。

今回は自分の思いで振り返りと共に「この本のココの食べる系描写最高!」

これをご紹介。きっとあなたも食べたくなる…ハズ。

 

【本日の目次】

 

 

 

ヘンゼルとグレーテル

ご存知「グリム童話」のお話の一つ。貧乏なきこりの家に暮らす

男の子ヘンゼルと、女の子グレーテル。実はこのブログを書くまで

物語のストーリーとか全然思い出せないでいました。

改めてストーリーを確認すると…なかなか怖い(笑)

そもそもが両親に捨てられるところから物語が始まるのですね。。。

で、人食い魔女に捕まって、食べられそうになるけれども

逆に人食い魔女を殺してお宝を奪い、家に戻ってまた家族で幸せに暮らす。

すごい展開ですね。。魔女も溜まったものではありませんね。

元々はヘンゼルとグレーテルがお菓子の家を食べてしまったのですから。

しかも自分たちを捨てた両親とまた幸せに暮らすって…

あ、でも物語のストーリーではなくて、今回はあくまでも

印象的な「食べ物の描写」なんです。

そう!ボクはこの本に出てくる「お菓子の家」にすっかり魅了されたのです。

 ・屋根の瓦はチョコ

 ・窓ガラスは砂糖でできたお菓子

 ・入り口の扉がクッキー

当時のボクは「こんな家あるんかいな!」と興奮して読んでいました。

で、それを見ていた母がボクにいうのです。

「じゃあクリスマスにみんなで作る?」

何と衝撃的な響き。。。作る?お菓子の家を??

クリスマスが待ち遠しくて毎日カレンダーを眺めていた時期がありました。

で、クリスマスにスーパーに行って、

イメージにできるだけ近いお菓子を大量に買ってもらって。。。

家で昼過ぎくらいから作りました。夕方までかかって!

当時の写真は流石に無いのですが、イメージはこんな感じ。

f:id:matu1830:20180919160927j:plain

もう少し庶民的だった気もしますが、一番近いイメージです。

まあ子供が作ったものですから(笑)

いやーでも感激しながら、勿体無い!と思いながら食べたなあ…

 

アタゴオル物語

ますむら・ひろしさんの作品集。主人公のネコがインパクト強くて…

名前は覚えていなかったのですが、とにかくこの顔だけは妙に覚えていました。

どうやら名前は「ナゾノ・ヒデヨシ」だそうで。

まあボク、この本は(も?)まっったくストーリーとか覚えていません(笑)

ていうか、特にこの本は小さい頃も物語として読んでいたのではなく

「食べ物のイメージ」で読んでいました。

まず、ヒデヨシの好物は酢ダコ

この時点でグッと来ませんか?ボクはこれでやられていました。

確か漫画の中でも、船の先頭に座ったヒデヨシが、ザラザラした舌で

酢だこを削り取るように食べるシーンがあったと記憶しています。

妙に酢だこが美味しいものなのでは?と想像させてくれるには十分でした。

(当時ボクは酢ダコを食べたことがなかった)

そして食べ物の名前でメチャクチャ記憶に残っているのは

銀クジラ」と「ベニマグロ」の二つでした。 

え?なにそれ?この世にあるん??

どこで食えんの????

そんなことを真剣に考えていました。

多分実在しないですよね?って今でも聞いてしまう。

あぁ・・・食べてみたい。特に銀クジラ。。。

 

ピノッキオ

この物語はあまりにも有名ですね。

この本はボクも「読み物」としてもちゃんと(笑)よく読んでいました。

この本もきちんと読むと華香な長編だったと記憶していて、

当時ちびっ子だったボクは時間をかけて読んだものです。

この本の中にも何度かピノッキオが食事をするシーンが出て来ます。

その中でも妙に記憶に残っているシーンがありました。

おじいちゃんだったかな?誰かの手伝いをせっせと行ったピノッキオに

ご褒美だったか休憩の時間にご飯が振る舞われるのですね。

(すみません、かなり記憶が曖昧です)

足しkそのワンシーンで出されるのが

ホットミルク・カリフラワーの酢漬け、そして

「星型の形をした砂糖菓子」

なるものが出されているのです。これも想像力が掻き立てられる!

 一体どんなお菓子なんだろう?お店で買えるのか?

でもお店で「星型の砂糖菓子ください」って言っても困るだろうな…

そんなことを悶々と考えました。

漫画とか童話って、色々想像させられる謎の食べ物が多い。

そんな気がするの、ボクだけでしょうか??

 

 

④ロビンソンクルーソー

これもピノッキオと同様、物語としてとてもよく読みました。

すごくワクワクしながら読んだのを思い出しました。

これも物語の中で色々なものを食べる描写が出て来ますよね。

生きるために色々食べ物も工夫する描写が面白かったなぁ、と。

 

その中でも「ラム酒」が確かよく出て来たなぁ、と。

当時は当然ちびっ子でしたからお酒の味などわかりません。

でも美味しそうに飲んでいたり、病気だか何かから身を守るために

タバコの葉をつけたラム酒を飲むシーンが出て来たり。

あと畑を作ってパン(らしきもの?)焼いて食べるシーンとか

ヤギを飼育するシーンとか。

ただただ「すげぇなぁ」と思って読んでいました。

今思えば、この本の影響で我が家はヤギを飼い始めたのです… 

この本の中で出てくるあらゆるものは食べて見たい、試したい!

そんな風に思っていました。

結局大人になって、お酒ってめちゃ不味いと感じることは残念でした…

 

ムーミンと魔法の帽子

ムーミンは我が家に昔から置いてある本でしたね。

モモ (岩波少年文庫(127))」とか「はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)

と共に本棚に並んでいました。

絵本ではなく、比較的小さい文字の、ハードカバーの本。

なので、この本はあまり読まなかった(笑)

でも、これも妙に記憶に残っているのが魔法の帽子。

確かくろいシルクハットだったような…

防止の中にいろんなものを入れると魔法がかかって

全然別のものになっちゃうんですよね。

確か卵の殻を入れたらフワフワの白い雲になったりとか。

 

で、ここでも「お!」と思った食べ物の描写。

このシルクハットに川の水を入れてみると…

とても美味しい木苺のジュースになっているのです。

当時ボクはそこまで甘いものは好きではなかったのですが、

(大人のおつまみ的なものが好物という変わり者)

このジュースの描写を見て、変にジュースが飲みたくなったものでした。

そして木苺のジュースって、そもそもあまり見かけませんよね。

いちごは見ても。いやぁ、魅かれました…。

 

さて、いかがでしたでしょうか?

ご存知のものありましたか?

そして「おいおいちょっとストーリー違うぞ!」というツッコミはご勘弁を(笑)

幼少のかすかな記憶を辿って書いておりますので。

 

皆様にもきっと強烈な記憶に残る

「漫画・映画・本の飲み食い描写」はあるはず。。。

 

ではでは!